散歩へ出かけた
出歩くな、と言われても、妹の迎えとなれば話は別である。
朝陽ヶ丘高校が半日で終わりならば、当然朝陽ヶ丘小学校の方も半休となるのではないか。そう考えていたら、電話がかかってきて、出たらやはり、朝陽ヶ丘小学校からだった。
「あ、おにーちゃん? 帰ってたのー?」
「ああ。俺のほうも学校が休みになったんだ。舞もか?」
「うん。とりあえず家に電話してみて、誰もいないならせんせーが送ってくれるんだってー」
「迎え行こうか?」
「おにーちゃん一人で?」
「おう」
そう答えると、舞は「うーん」と一悩みし、「だめかもー」と言った。だめなのか。
「子どもだけで二人で帰るのはゼッタイだめだってせんせーが言ってたの。だからね、私はだいじょーぶだよ」
「そっか」
それは、そうか。いよいよ子どもだけの登下校が危険視され始めたのだ。
「じゃーねーばいばーい。また家で会おうね」
「だな。バイバイ」
電話を切り、俺はリビングのソファーに腰を埋め、テレビをつけた。まだ今朝の事件についての報道はないようだ。規制が敷かれているのだろうか。今朝に関しても、まだ報道機関の人間はいないようだったし。
「はぁ……」
息を吐く。
事態は最悪だ。クラスメイトが殺された。それも教室内で。
そして、その殺された園田桜子に、俺たちは直前に会っていたのだ。朝陽ヶ丘図書館の館内で、あのときに会っていた。そのあと、園田は殺された。
「……いいや」
首を振り、浮かんだ考えを振り払った。
あのときこうしていれば、などは、結局は過ぎた出来事への後悔を深める働きしかしてくれない。悔やんだ結果過去に戻れるなどあり得ない話なのだ。それは現実的ではない。空想的で、逃避的な行動である。逃げてはならない。目の前に聳える結果から逃げてはならない。
「……散歩、行こ」
それでも頭の中を巡る考えの諸々を振り払うために、少し外を歩こう。もし通り魔に出遭ってしまえば、そのときは俺の寿命が来たというだけだ。
……ひょっとすると、俺は今、自暴自棄になっているのか? 分からない。
◇
前々日に雨が降ったせいなのかは知らないが、外は寒かった。からりとした空気の中、文字通り身を刺すような冷え込みが身体全体を包み込む。冬は近い。もうすでに訪れているのかもしれない。十月ももう、終わりなのである。制服もシャツだけの時期は終わり、学校指定の上着を着用する生徒が大多数となっている。
吐く息ももう、真っ白だ。
気付けばずいぶん歩いていたようだ。まだ住宅街の中ではあるのだが、視界の隅に公園の姿が見える。昼近くだというのに人気が全くない、つい最近人が死んでいた公園だ。朝陽ヶ丘四丁目公園。
「おや。おやおや、きみはいつぞやの少年ではないか」
公園の入り口には、ダンディズムがいた。相変わらず糊のきいたスーツ姿で、片手にぷかぷかとパイプの紫煙をくゆらせている。相変わらず様になっているなあ、とそんなことを思った。
「危ないのではないかな。ここ最近の通り魔云々があるのだろう?」
「そう、ですね。出遭ったら全てを諦めるつもりですよ」
「ううむ。それはいけないな。実にいけない」
俺の投げやりな言葉に、ダンディズムは眉をひそめる。
「きみは若い。ということはつまり将来というものを未だ持っているのだよ。生を諦めるにはもう少し生きてからでいいのではないか。それとも……」
ダンディズムは冗談めかし、あくまで冗談めかして、言った。
「諦める以前に、実はきみは生きていなかったりするのかな」
生きていない。
俺は今、思考し、二本の足で立ち、呼吸し、寒さを感じている。
現在の俺の思考挙動全てが、俺が生きていないという仮定への反証となる。俺が生きているという筋道は、確かに通っているのである。だから俺は生きている。
「そんなわけないでしょう。生きてますよ、俺は、この通り」
「うむうむ。そうだね、きみは生きているのだね。ならば、易々と自らの命を軽視するような発言は控えた方がいい。きみ自身が自分の命をどうでもいいと思っていても、きみ以外の人間がそうではないのだからね。少なくともきみは生きることに執着すべきだ。きみ以外の人たちの為にも。特にあの子、きみのガールフレンドが悲しんでしまうよ」
バチン、とウィンクをし、ダンディズムは俺に背を向け歩み出した。どこに向かうのだろうか。
「では失礼する。これから一仕事あるのでね」
「あ、仕事してたんですね」
がく、とダンディズムは漫画のようにつまずいた。
「し、しているとも。私はある意味無職のようなものだが、それでも無職というには少々働いているのだよ。そこを勘違いしないでくれたまえ」
「探偵、とかですか」
思いついたことを、そのまま尋ねた。なんだかとても、そう、とても探偵をしているような人間に見えていた。事件現場で、顎に手をあててううむと頭を捻っていそうなタイプの探偵めいた人間に。
「ふむ。それはある意味で、当たっているのかもしれないな。稲達孤道は探偵をしている、という事実は確かに存在する」
「イナタツ、コドウ……?」
「ああ、そういえば名乗ってなかったね。私の名前だよ」
そう言うと、「ではまた会おう」とダンディズム──稲達さんは今度こそ歩き去って行った。探偵、というのはある意味当たっている。ある意味無職で、ある意味探偵のダンディズム……なんだか、また会いそうな気がする。
その後、家に帰ると舞はすでに帰宅していて、一人で出歩いていたことを怒られてしまった。その日は陽香もやって来ず、今日という一日は終わった。




