『モルスの初恋』
7
なんてことはない、ただの忘れ物だった。
園田咲良は、教室の自分の机の中にお気に入りのペンケースを忘れ、いてもたってもいられずに取りに来た。
本日の学校は休みだ。休校と学校側が決めた。最近起こった殺人事件のせい。
雨の中、園田は学校まで歩いてきた。学校が開いているという保証は全くなかったが、それでも開いていれば、という希望をもってやってきたのである。
そしたら校門は開いていた。やった、と思った。
そして校舎内に入る入り口も開いていた。ついてる、と思った。
きっと誰かやってきた教員が開けたのだろう。もし遭ってしまったときは素直に謝り、忘れ物をとりにきた旨を正直に伝えるほかない。たぶん、許してくれる。
そして園田は自らの教室、一年C組の前にまできた。入り口の引き戸に手をかけ、開ける。開いた。目の前に人がいた。「きゃあっ!?」死ぬほどびっくりした。もとより真ん丸の目は更に見開かれ、彼女のチャームポイントである茶髪を結ったサイドテールがぴょこんと飛び跳ねた。
「あ、ご、ごめんなさい」
休校になった日の教室内で同級生と出くわしてしまった。
クラスメイトの美月海未だった。
ほんわかとしている彼女は、確か条理桜花の隣の席だったと思う。宇宙が大好きらしい彼女は、言ってしまえばクラスの女子の中でも浮いている。いわば変人に分類される人間である。だから園田もあまり彼女とは関わらず、彼女も園田とは関わらない。隣席の条理桜花と話しているのはよく見かける。そしてそれをよく思わない人間がいることも、知っている。
条理桜花は静かで淡白な男子だ。これまた隣の席の幼馴染であるらしい三宅衛門とよく一緒に行動している姿が見受けられ、また、あの道戸穂乃果とも仲が良い。条理桜花と幼馴染らしい彼女とは、付き合っているのではないか、という噂もある。それをよく思わない人間は、確かにいる。
園田咲良の条理桜花に対する印象は、まあ悪くない。好き、とまではいかないが、告白されたらまあ付き合ってやってもいいかな、というぐらいには良い。道戸穂乃果と話している姿を見るとなんとなく苛立つぐらいには良い。幼馴染? だからなんなんだと思うぐらいには良い。少し綺麗だからってなんなのよと思うぐらいには良い。
条理桜花……彼との最初は、どんなものだったか。なにもロマンチックな出会いなどはなかったように憶えている。憶えてないかもしれないが、小学校や中学校もいっしょだったのだ。ただなんとなく会話して、条理桜花を含めたあの仲良し幼馴染ヨ人組や静葉といっしょに遊んだことだってある。それだけだ。きっと条理桜花の目には、私は映ってなどいない。あの子の傍にはつねに、あの道戸穂乃果が佇んでいた。彼に近寄ろうとする女子生徒に無言の圧力を加えていた、少なくとも私にはそう見えたあの女が……いけないいけない、彼女を憎んでもしょうがない。
実は、今日学校に来る以前に、園田は条理桜花と道戸穂乃果と会っている。図書館で勉強しよう思った園田が行ってみると、同じ席で彼と彼女が仲睦まじそうに勉強していた光景を見つけたのだ。それを見、いくつか会話を交わし、苛々して、そのまま図書館を出て、どうせだからとペンケースを取りに来た、そういう流れなのだった。
まあいい。まあ、どうでもいい。
園田は首を振り、自分の机へと向かった。
お目当てのペンケースはすぐに見つかり、それで教室への用はなくなった。
「え……?」
だから帰ろうとしたのだ。自らの家に。
帰ろうと教室の入り口に目を向けて、「な、なんなのよ、アンタはッ!?」
そして、可哀そうな園田咲良は家に帰ることができなくなってしまいましたとさ。




