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彼女と話した

「通り魔が出た」


 くたびれた睦月先生の口から飛び出たその言葉。

 現実的な、日常では非ざる事態が起こった。起こってしまった。


「今朝のことだ。ついさっきだな。登校中に見てしまった人もいるだろうが……あそこ、住宅街のところに公園があるだろう? 朝陽ヶ丘四丁目公園、という名称だったと思うが……その公園の中で、人が…………ああ、直接言った方が良いのかもな、人が殺されていた。はっきりと死んでいると分かるような姿で、倒れていたようだ」


 はっきりと死んでいると分かるような姿。

 脳裏に起こる。シートをかぶされたナニカと、飛び散っていた血液。

 どう、死んでいたのだろうか。


「通報されたときにはもう、通り魔の姿はなかった。当然だな。そして今もってなお、その行方は知れない。何処にいるか分かっていない」


 クラスにどよめきが起こっている。ざわざわと騒ぎ始める生徒達へ、睦月先生は冷静な声音で話し続ける。


「臨時の職員会議の結果、今日の授業は午前中のみとなった。半ドンというわけだが、事態が事態だ、喜ばしいことでは決してない。授業終了後は、この学校内、できればこのクラス内に待機していなさい。親御さんや知り合いの方が迎えに来てくれるまでな。親御さんたちの仕事の都合上、迎えが厳しそうな人は、僕達教員が家まで送る。いいか? 絶対に、絶対にだぞ、一人で帰ろうとはしないこと。二人や三人でもだ。警察がいるとはいえ、絶対の安全は保証できない。必ず、誰かが送ってくれるまでこの学校内に待機していなさい。分かったな?」


 皆、不安そうに頷いていた。

 睦月先生の声はあまりにも真剣で、深刻だ。


「今から親御さんへ連絡をして、お昼ごろに迎えに来てくれるのならそうするように。職員室の電話も使用可能だ。そして後でもう一度言うが、必ず帰る際には僕に言いなさい。誰が帰ったかを記録し、漏れがなく、皆が無事に帰宅できたことを把握するためだから。一時限目は少し遅れて開始する。公衆電話も混むだろうしな。電話代の持ち合わせがなかったら僕に言うこと。テレカ、貸すぞ」


 と言い、ポケットから取り出した何枚ものテレホンカードを教壇に置くと、椅子に座った。

 表情は変わらず真剣で、ピリピリとした危機感に満ちている。

 そしてクラスメイト達が皆一斉に、家族と連絡をとるために席を立ち、あるいは今しがた聞いた衝撃の出来事について雑談を交わすために、教室を出て行った。


「っべえな……」


 出遅れたらしいレモンが、俺の隣で心底不安そうに呟く。


「やばいな」

「うん……オーちゃん、俺もちっとカアチャンに連絡してくるわ」

「ああ」

「そん前に先生にテレカ借りなきゃな。俺のサイフんなか十円すら入ってねえんだよ」

「いくらならあるんだ」

「二円だぜ!」


 睦月先生にテレカを借りに行くモヒカンの後姿を、俺はボーっと眺めていた。ぞろぞろと教室を出るクラスメイト達に、すっかりと置いてけぼりをくらっていた。


「桜利くんは行かないの?」

「父さんと母さん、今出かけてるんだよ。どうしたものかな、と思っててさ」

「あら、私もよ。私、一人暮らしだし、お父さんもお母さんも海外に住んでいるから」

「そうか……」

「ね、ね、桜利くん?」


 ひっそりと小さな声で、夕陽が囁く。


「ん?」

「今日、いっしょに帰らない? 親が迎えに来てくれない者同士、で、ね?」

「帰り道いっしょだったっけ」

「登校途中に例の公園があるなら、方向はいっしょよ」

「ああ……ある」

「そう、良かった。桜利くんもそれなら、あのシートの被さったものを見てしまったのね」


 夕陽も、見たのだ。


「一乃下、久之木。お前たちはどうするんだ?」


 睦月先生が、そう尋ねる。

 気付けば、教室内にいる生徒は俺と夕陽の二人だけになっていた。


「知人に連絡してきます。ひょっとすると迎えに来てくれるかもしれませんから」

「そうか」


 夕陽はそう言うと、俺をちらと見、くすりと笑った。「行きましょ」とその眼は言っている。


「あ、俺も知り合いの人に連絡してきます」

「久之木……それはきちんとした知り合いか?」

「え、ええ、はい」

「ならいいが……」


 睦月先生の質問に多少言葉に詰まりながらもそう答えると、俺たちは教室を出て、とりあえず形式だけでも廊下をぶらついた。

 他クラスの生徒も廊下に出てきており、ざわざわと会話している。その内容は想像に易い。通り魔がついに殺人に至った、その話題についてだ。

 みんなの表情にあるのは不安、恐怖、怯え……そして興奮。非日常が起こったことで、日々の退屈から脱却できたという解放感と満足感。言ってしまえば、たとえ身近で殺人が起ころうとも、自らが当事者にならない限りは対岸の火事なのだ。倦んでいる日々を紛らわすためのとびきりの話題としてしか扱わないものなのである。


「みんなとっても楽しそうだわ」

「そうだな……」

「桜利くんはどーお? 楽しい?」

「まだ、分からない。夕陽は?」

「私も、分からないわ」


 しばらく夕陽と二人で廊下を歩いて、教室へと戻った。

 そして、いつも通りの授業が、まるで通り魔殺人なんてなかったかのように開始された。倦んだ日常の緞帳が、また上がったのだ。

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