男が探し物をしていた
「探し物ですか」
俺が声をかけると、地面に四つ足をついていた男の身体がビクンと震えた。驚かせてしまったみたいだ。
「き、君たちは……?」
「通りすがりのこーこーせいカップルです!」
即座に陽香が答え、俺の腕をとった。どうやらそういう設定でいくみたいだ。
「カップル……じゃ、じゃあ、通り魔じゃ、ないんだね?」
「もう、失礼ですね。こんなに仲睦まじそうな通り魔がいると思いますかー?」
陽香が言うと、男はアハハと苦笑した。
「確かにそうだね。見たところ刃物なんかも持っていないみたいだし、疑ってすまない」
そう言うと、男はまた地面の上を探し始めた。
「いったい、なにを探しているんですか」
「うん? いや、ペンダントさ。ロケットペンダントっていうのかな、それをちょっと落っことしてしまったみたいでね。ポケットの中から転げ落ちたみたいなんだな、これが」
「手伝います」
「え? あ、ああ、それはありがたいが……大丈夫なのかい? もう夜だよ」
「最近の高校生って、夜遅くでも遊んでるもんですよー、おじさん」
男は苦笑した。よく苦笑する人なのだろうか。
「あはは。格好が格好だから、通報でもされたのかと思ったよ」
「悩みましたが、様子があんまりに必死だったもので」
「ああ、ああ。大切な、本当に大切なものなんだ」
俺と陽香も公園内の街灯周辺を探し始めると、ペンダントはあっさりと見つかった。水道蛇口があるところの、ちょうど影になっているところに落っこちていた。
「おお……! ありがとう、本当にありがとう」
男は感動したように、俺と陽香へ礼を言う。言葉の通り、よほど大事なものだったらしい。
パカリとロケットペンダントを開けると、彼はそこに収められた写真を見つめていた。女性と男性、その間に一人の少女。みんな正装姿だ。
「奥さんと、娘さんですか」
陽香が尋ねる。
「うん。二人とも、もうここにしかいないんだけれどね、大切な、僕の宝物だよ」
目を細め、遠い過去を懐かしむかのように男は写真を眺めている。軽い口調だが、その言葉の内容は……
「えっと……」
言葉に詰まってしまった。どういう言葉をかけたものか、まったく思い浮かばなかった。目の前のこの男性は、その口ぶりからして妻と娘を亡くしている。
もうここにしかいない。
思い出としてしか存在しない妻と娘。
陽香が横目に、俺を見た。どうしようかしら、とその顔は困惑していた。
「……君たちには、宝物はあるかな? 心を満たしてくれるような、そんな宝物が」
視線はロケットの中の写真を見つめたまま、男が問う。
「大切な人と過ごす時間、です!」
陽香が即答する。そうして「オーリは?」と俺を見つめた。宝物。宝物は何かを問われても、すぐに出てこない。なにも出てこない。
「……毎日の、平穏?」
こうやって常識的に生きられることだろうか。我がことながら曖昧だが。
「バクゼンねー、オーリったらそれはアイマイ過ぎるわ」
仕方ない。すぐに出てこなかったんだから。
「ハハハッ、君たち、良い宝物を持っているね。失くしてしまわないように、頑張らないといけないな、それは……」
そう笑うと男はロケットペンダントを鞄の中に入れると、そのまま鞄に片手を突っ込んだまま俺をじっと見据えた。なぜ?
「君と、どこかで会ったような気がするんだけど……気のせいだとも思うんだよなぁ」
「俺とですか」
「ああ、きっと気のせいなんだろうね。君の平穏、無事に続くと良いね。君も、君の彼女さんも、今日は本当にありがとう。僕の探し物を見つけてくれて。さ、もうおかえりなさい。夜は危険だよ、通り魔に出くわさないとも限らない」
男は笑う。
俺たちはそんな彼に「さようなら」と挨拶を交わし、公園を出た。最後まで男は、片手を鞄の中に突っこんだままだった。
「ねえ、オーリ?」
「ん」
「あなたはあの探し物をしていた男の人と、会ったことある?」
「ない、だろうな。記憶にない」
「ふーん……」
そんな会話を陽香と交わした後、家に着くまで俺たちは他愛のない話だけをしていた。
「おにーちゃんおかえんなっさーい! ご飯にする? お風呂にする? そ、れ、と、もぉ! 陽香おねえちゃんにするぅ!?」
家には妹がいて、開口一番、とても高いテンションでそう尋ねてきた。
「なんだよ、その質問」
「え、陽香おねえちゃんにするって今言った?」
片方の耳に手をあて、舞が言う。俺はそんなこと言ってない。「やだもー、オーリったらだいたんー」隣にいる陽香が身をくねらせた。
「言ってないよ」
「おにーちゃんったらー!」
「言ってない」
「ちぇっ、ノリが悪いわねー。そこはノリノリで私に襲い掛かるところでしょーにぃ!」
「でしょーに!」
わいわい、がやがや、きゃはははっ、と、陽香と舞が会話する。
いつも、このような光景だったのだろうか。舞が出迎えて、からかって、陽香が笑って、さらにからかう。そのような景色……今は、そういう現実。
「あ、それじゃあ私かえろっかな」
少し話した後、陽香がそう言った。
「えー? もう帰っちゃうのー?」
寂しそうな舞に、陽香はくすりと笑い、なだめるように優しい声音で、
「今日はちょっと宿題が溜まりに溜まっちゃっててねぇ。少し頑張る必要があるの」
「おにーちゃんといっしょにすればいいじゃんかー。おにーちゃん、頭だけは無駄に良いし」
「無駄には余計だ」
「頭だけは良いしー」
「だけも余計だな」
「おにーちゃん注文おおすぎ」
ふんっ、と舞がそっぽを向く。
「なに、オーリも私といっしょにいたいの?」
ふふん、と何故だか自慢げに陽香に問われた。
「宿題頑張れよ」
「そこはそうだよと言うべきところでしょっ」
「ところでしょ、だよおにーちゃん!」
二名の視線が突き刺さる。
「俺より宿題の方が将来を考えると大事だろう」
「うわ、おにーちゃんその言葉はないかなーって」
舞がドン引きとばかりに眉をひそめ、陽香はふんっと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「もういい。もういいし。私宿題のことだけ考えてやるし。オーリに関するすべてを思考の外に放棄してやるしっ。私は宿題に浮気してやるしー、また明日ー」
むきー、となって陽香は玄関ドアをそっと開けて、軽く手を振って外に出て、そっと閉めた。帰宅である。「またねーおねーちゃん」隣で舞が手を振る。
「またな」
小さく俺も、そう言った。




