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彼女は時計台を見上げていた

「遠くからチラチラと見てはいたけど、実際間近で見てみると中々に高いわ」


 ほー、と感嘆の声を漏らしながら、夕陽は眼前に聳える直方体の建物を見上げていた。

 場所は中庭、青々しい緑の中を煉瓦敷きの道が延びており、いくつか点在するベンチには放課後なのにも関わらず人はいない。いつもなら何人かの生徒がこの中庭で雑談に洒落込んでいるのだが……。


「朝陽ヶ丘高校の中でも有数の休息スポットだよ」

「へえ、綺麗なところ。今が夕暮れなのもあってかな、なんだか幻想的……」

 

 俺達がいるのは、そんな中庭の中央だった。

 中央に建つ、細長い建物の付近だった。

 中庭全体は今、他の場所と同様に黄昏が落ちてきている。赤く染まるこの憩いの空間は、人がいないのと静けさも相まって、まるでトワイライトゾーンの中に迷い込んでしまったかのようだ。夕陽が幻想的だと言うのも、素直に頷けた。


「……本当に、高いわ。一番上から飛び降りでもしたら、ひとたまりもないでしょうね」

「物騒な想像をするんだな」

「桜利くんはしないの? そういう、『もしも、こうしてしまったら』みたいな想像」

「ううん、あんまり覚えがない」


 校舎の三階分はあろうかという高さのその建物は、頂きの部分に丸い文字盤が四か所、それぞれの面についている。そのいずれも同様に長針と短針があり、一斉に時を刻んでいる──そう、時計台だ。朝陽ヶ丘高校には時計台が存在する。それも、さる芸術家が設計したもので、確か『狂った時軸』という奇妙な名称もついていた。名前の割に別段変わった機能などはなく、時計の文字盤は四面とも精確な時を刻んでいる。大小様々な歯車にくわえ、正確な標準時刻の電波を時計台の内部アンテナが受信する、云わば巨大な電波時計なのだ。だから、刻まれる時針は常に正しい。アナログではなくデジタルに誤差を修正しているその時間が狂ったことは、今まで一度もないとすら聞く。


「けど、地味な色合いね。お墓みたい」


 夕陽が失礼な感想を零している傍らで、俺もじっと時計台を見上げていた。

 白と黒と灰。

 無彩のタイルが散り散りに敷き詰められたその見た目は、建てられて数年ほどだろうか、未だ新しさというものを纏っているかに見える。だが一方で、無彩という文字通り彩度の無さにより色あせたその姿は過去に在るかのような錯覚を伴う。

 『狂った時軸』という得体のしれない名を付けた芸術家の意図は知れない。見たところ、時針は狂ってなどいない。……もしかして、この佇まいに由来するのだろうか。時計台は、その無彩のタイルにより現在でありながら過去として映っているように錯覚させる。白黒映像を見ているかのような、"過去"として強調させているかのような……ダメだ、分からない。芸術家の心境なんて、そうでない俺にはさっぱりだ。


「……」


 夕陽は静かに、時計台を見上げていた。入相の空から彼女の頬に朱が注がれている。切れ長の彼女の瞳は憂いを帯びているふうにも見え、ただでさえ綺麗な横顔がさらに映える。

 つるべ落としのように、西の空に陽が落ちていく。

 静かな時間だ、と思った。

 ふと、夕陽の視線がこちらを向く。


「……桜利くん。次に行きましょう?」

「え、あ、ああ……」


 少し、彼女の横顔を見すぎていた。見惚れていたのか……だろうな。

 そして俺たちは、中庭を離れ、ふたたび下駄箱へと向かって歩き始めた。


「段々寒くなってきたわ……」

「そうだな。本格的に暗くなる前に解散しようか」

「ええ……、ふふ」

 

 おもむろに夕陽は俺の前に歩み出て、くるりと振り返った。

 くすりくすりと、悪戯めいた笑みだ。


「私の横顔、見惚れてた?」

「お……」


 見惚れていたか、と問われると……いざ本当にそうだったのだとしても、素直に頷くのはためらわれた。単純に、俺は照れたのだ。


「自分でもよく分からない。気付いたら見ていた。ほら、綺麗なものって無意識に見てしまうものだろ」


 お茶を濁そうとしてそうとぼけたが、口にしてすぐにその言葉が何よりの肯定であることに気づいた。俺が彼女に見惚れていた、しかも無意識に────という、そんな事実の。


「……!」


 彼女のすらりとした双眸が、一瞬の丸みを帯びた。驚いた、のか。

 夕陽は「そう」とだけ言って、すぐにくるりと振り返り、前の方を向いてしまった。


「……次はどこを案内してくれるの?」


 前方を向いたまま、夕陽はそう言った。


「どこ、がいいかな。めぼしいところは全部教えたしなぁ……正直、この朝陽ヶ丘高校の有名どころなんて、この時計台ぐらいだし……」

「それなら、これでおしまいね。ちょうど下駄箱も見えてきたことだし」


 そして俺たちは校舎の下駄箱に到着した。

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