転入生のご案内
「第一ね、アンタは人にぶつかっておいて、その上、人のぱんっ……パンツまで見ておいて、放置していくとはどういうことなのよ」
なんとも光栄な無茶を賜ったものだ。
若干、頬を紅く染めながら、さきほどから早口で文句をまくしたてている彼女へ、校舎──この夕陽ヶ丘高等学校を案内するという任務を、カンナヅキ先生から仰せつかったのだ。
さっき、彼女が自己紹介のときに俺を指さした為に、『おっ。なら面識のあるクノキに、これから校舎の案内を頼もうか』と俺に白羽の矢が突き立った。そうして今、こんな授業中での校舎の案内に至る。授業も特に大切な部分ではないとのことで、カンナヅキ先生から特別に許可されたのである。
「ごめん。なんか怖かったんだ。いきなり追いかけてきたし」
「怖かったって。私は普通の女子高生よ? こんなにも見目麗しい転入生じゃないの。どうして怖がる必要があるっていうの?」
自分でもそう思う。
そう思うが、その直前に見ていた(きっと今も見ているであろう)悪夢の所為だ。
朝、登校途中に食パンをくわえた女の子に体当たりをされる出来事、その意味の分からないイベントが悪夢として去って行ったかと思ったら、目の前にその女の子が転入してきたという……ああ、なんてこった。さっぱり分からないぞ。俺を指さしてパンツ覗き魔だと叫んで……誰がパンツ覗き魔だ。あれは不可抗力だ。
『よろしくお願いします。今日からみなさんとクラスメイトになります、諏訪玲那です』
そのように彼女は自己紹介をしていた。ぺこりとお辞儀をした際に、二つ結びにされた異邦人めいた金色のおさげがぴょこんと揺れた。
ハーフなのだろうかと、そう考えていた俺を見透かすかのように、
『疑問に思う方も多いと思いますので、先に言っておきます。私の母はフランス人で、父親が日本人です。それだけだと私も黒髪になるはずだったみたいなのですが、先祖返り? とかいうのを起こしてこのような金色の髪になりました。だから地毛です。どうぞよしなに』
と、彼女は言った。なにそれすごい、という感想を俺は抱いた。
「──で、どうして? 私を怖がる理由、なにか思い浮かぶ?」
強いて言うなら、その存在自体、だろうか。でもそう言ったら怒りだしそうなので、
「ほ、ほら、あんまり綺麗なのを見るとさ、人って萎縮してしまいがちだから……」
お茶を濁した。実際、諏訪さんは超がつきそうなほどの美人だ。小顔で、鼻筋は通り、緑がかった目は真ん丸、ぷっくりとした唇。そしてなにより、その金色に輝く髪……事実を述べたまでである。
「えっ……ま、まあ、私が美人なのは事実だけど……」
と、髪をくるくると指でいじりながら、満更でもなさそうに彼女は口を尖らせた。
「ふん。パンツを見たのは許すわ。私は美人で、寛大だもの」
にこにこと笑顔を浮かべながら。
彼女は無事に機嫌を直してくれたようだ。
これから彼女を校舎案内に連れて行くが、この夕陽ヶ丘高校は悲しいかな、特にこれはというスポットはない。強いて挙げるなら、あの時計台ぐらいか。
さて、どこから案内しよう。
そう考えていると、廊下の前方から一人の先生が歩いてきた。切れ長の目をして、艶やかな長い髪をした、めちゃくちゃに綺麗な人。隣の諏訪さんと綺麗さのタイプは違うものの、ほんとすんごい美人。語彙力とぶ。やばい。
「……」
会釈すると、先生もまた会釈する。綺麗なのに滅多に笑わない、クールな人という評判で通っている先生なのだ。かくいう俺も先生が笑っているところを一度として見たことがない。いつだって先生は涼しげにしている。
「あの人、綺麗ね」
「うん」
諏訪さんの言葉に、俺は本心から頷いた。
「名前、なんていうの?」
「久之木先生。美術の先生で、美術部の顧問」
「ふーん? ってことはアンタとおんなじ名字ー?」
「ああ。でも音が一緒なだけで、漢字は微妙に違う」
「そーなんだ」
先生はクノキで、俺もクノキ。
音は同じで、漢字が異なる。それだけである。
「綺麗は綺麗だけど、三十は越えちゃってるでしょ。若さがないわ、若さが。私たちのような瑞々しさがないのよっ」
諏訪さんの言葉には、明らかな敵意が滲み出ていた。
「そんなこと言ってると敵ができるぞ。久之木先生のファンは多い」
「あら、怖い。私は事実を言っただけなのに」
とぼけるように言うと、彼女は肩をすくめた。
まあ、ババアだとか言わないだけ、彼女は言葉を選んでいるのだろう。
「ババアね、あの先生は」
言いやがったこいつ。
「若さには寿命があるのよ。青春だって有限なの。そのク、ノ、キ先生とやらは寿命が尽きちゃったのよ、有限の青春が終わってしまったの。私たちとは違ってね。お気の毒さまごしゅーしょーさまー」
にやにやと、意地の悪い表情で諏訪さんは言う。彼女はたった今すれ違ったばかりの初対面である久之木先生を嫌っている。もう、嫌っている。いくらなんでも早くないだろうか。前世で殺し合いでもしたのかな。
「なんか格言っぽいな。その、若さには寿命がってやつ」
「そう? 私のお友達が口にしていたのよ」
そうこう話しているうちに、俺たちは下駄箱に到着した。
向かうは中庭、時計台である。すべては諏訪玲那という転入生をご案内するためだ。




