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廊下を歩いていた

 夕暮。黄昏。彼岸へ向かう一日の時間残滓。

 一乃下夕陽と俺は二人、ガランの廊下を並び歩いている。


「久之木くんには幼馴染って、いる?」


 途中、ふと一乃下夕陽が口を開いた。


「いるよ」

「何人? 三人くらい?」

「惜しいな。二人だよ」

「ふうん、二人ねえ……当ててみましょうか?」


 ぴたりと、一乃下夕陽が立ち止まる。その両眼が、じっと見つめてくる。きらきらと曇りのない瞳だ。ガラス玉のような。無機質めいている。


「一人目は……三択みたくくん?」

「当たりだね」


 三択みたく檬檸もうどうもとい、モヒカンもとい、レモン。小学校の頃からの付き合いだ。この朝陽ヶ丘高校に入ってから、坊主からパンクロッカーのようなモヒカンへと変貌を遂げた赤点常習犯である。腐れ縁と云うには、まだ短い。


「ふふん。隣の席同士だし、仲良さそうに話していたし」


 どやぁ、と一乃下夕陽は満足げ。楽しそうだ。良いことだ。


「じゃあ、二人目は……」 


 さて、彼女は分かるだろうか。面識は一度、いや、二度あるか。


「んー……」


 人指し指を顎に当て、思案顔。

 二人目は未知戸陽香だ。家が隣の、これまた小学校からの付き合い。成績平凡、赤点初犯のみ一回、運動神経抜群、隣り合った窓ぐらいなら容易く乗り越えてくる。怒らせたりして全力で追いかけられようものならまず逃れられない(実践済み)、典型的なスポーツ向きの少女である。けれども帰宅部。誰もが彼女のそんな選択を惜しんでいる。


「ひょっとして、私?」


 自らを指さし、一乃下は言った。

 どうしてそう結論したのだろう、不思議。


「違うな。きみと会ったのは昨日が初めてだ」


 俺が至極当然の事実を口にすると、彼女は「ふうん」とそっけなく俺の言葉を流した。


「もしかすると小さなころに出逢っていた運命の相手だったりしないかしら?」

「記憶にないな」

「忘れているだけだったり」

「俺の幼い頃に、一乃下夕陽という名前の女の子は登場しない」

「……むぅ。取り付く島もなし、かあ」

 

 残念そうな彼女の表情に、少し拒みすぎたか、と反省。それが冗談なのは瞭然なのだから、もう少し乗るべきだったかもしれない。

 朱に染まる廊下。床に落ちる十字の桟。空の校舎内。

 常々感じている寂寥は、今日もやはりこの時間この空間に満ちている。

  ヂ。


「────ずっと、」


    ヂヂ。

「冷たいわ」

ヂ。


「ずっとずっと。見てたのになぁ」


 ヂヂ。ノイズ、ノイズ、ノイズ、ノイズ。

 前を向けていた視線を、隣の一乃下夕陽に向ける。

 今のは彼女の台詞か、否か。判別しかねた。けれども確かに彼女の声だった。


「どうしたの? そんなに私をじぃっと見つめて」


 きょとん、である。

 今、自らがどんな言葉を言ったのかをまるで分かっていない様子だ。分かっていて言ったのか。俺の反応を理解しその上でしらばっくれているのか。


「なにか信じられないものでも見るような眼つきだわ」

「きみは今、なにを……?」

「なにって……もう一度聞きたいの? 誉め言葉ではなかったのに」

「頼む。……少し、聞き逃したんだ」


 一乃下夕陽は怪訝そうに眉をひそめていたが、やがてくすりと笑うと、


「『久之木くんって冷たいわね』────そう、言ったの。だってさっきからずっと素っ気ないんだもの、きみ。私は仲良くなりたいのに」

「あ、ああ……それは、ごめん」


 違った……俺の聞き間違いだったのか。


「いいの。いいのよ。久之木くん……ううん。ねえ、ひとつお願いしていい?」

「……俺にできる範囲なら」

「うん。すぐできるから。今からね、桜利くんって呼んでいいかしら?」

「ああ、うん。どうぞ」

「ありがと。なら、呼びます。私のことは夕陽と呼んでね」

「分かった。そう呼ぶよ、夕陽」

「これで少し縮まったかな。きみと私の、心の距離が」

 

 そう言うと、夕陽は満足そうに微笑んだ。なんてことはない、人間の笑顔だ。


「さらっとお願いを二つ言ってしまったけれど、ちゃんと聞いてくれるのね」

「ははは。そこまで俺は狭量じゃないよ」

「ふふ。それでは案内の続き、よろしくお願いします。桜利くん」

 

 遠くの空にはもう、藍色の夜が凝っていた。

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