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『モルスの初恋』

     4


 交互に続く黒白の幕。

 ひっそりと静まり返った室内。

 部屋の奥に設けられた祭壇には供花とともに、ひとつの写真が飾ってある。にこやかな笑顔を浮かべる少年……まだ年端もいかない、幼い少年の笑顔が映っていた。自らに暗い幕切れが訪れることを想像だにしていなかったであろう眩い笑みは、より一層、この場の愁嘆を深めさせている。この空間にある笑顔が、少年の笑顔それひとつだけ。それひとつだけしかないというのがまた、葬儀の場としては相応しいのであろうが、あまりにも心苦しい場面と映る。


 彼は、あまりにも若すぎた。


 俯く参列者たちは、死という単語とは程遠すぎるその遺影を直視することができなかった。未来ある若者が、未来を奪われてしまったその居た堪れなさから目を逸らしたがっていた。

「……っ…………、っ!」

 すすり泣く声が、室内の悲痛さを増している。

 少年の母親と思わしき女性が一人、黒いハンカチを握りしめて肩を震わせている。死ぬ順番を狂わされてしまった息子の生前を想起し、もはや耐えられなくなっている。傍らに座る父親と思わしき男性は、その女性を労わりつつも毅然と前を見据え、しかし血が出らんばかりに拳を握りしめて固く口を閉じている。なにか一言でも発しようものなら、そのまますべての感情を吐露してしまいそうだったからだ。無常さ、理不尽さ、唐突に訪れた不条理さへの激情と、悲愴を。

「……」

 参列者たちの中に、彼女と少年少女が並んで座っていた。

 遺影の中で笑う少年の友人たちと思わしき彼らは、この空間を覆う空気を感じ取り、もう二度と皆で笑いあう時間は訪れないことを確かに実感しつつあった。現に、彼女の右隣に座る彼──丸刈り坊主の少年は涙ぐみ、数秒後には爆発しそうなほどの悲しみを含んでいる。そして左隣の異邦めいた少女もまた、何かを心から悔やむかのごとく歯を食い縛り、端正な顔は悲痛に歪み、今にも泣きじゃくらんばかりだ。

 彼女は────ただ、空虚だった。

 ぽかんとした瞳で、彼の笑顔を見上げていた。

 幼馴染の彼に対して、やがて生じていただろう好きという感情を覚えぬままこうなってしまった彼女は、彼に向けていた好意の大きさがそのまま心の穴となった。今泣けるのならば、まだ救われた。救われたのだ。けどそうならなかった。そうはならなかった。彼女の瞳からは不思議なほどに涙が出なかった。彼女の一生が救われないものになるという事実が、幼い今この時に決定してしまった。少年を亡くしたばかりに。好きになったはずの彼を失ったばかりに。


 彼女は思う。時間の止まった笑顔を見上げ、ただ、願う。

 実感の伴わない無意識の願いを、誰にでもなく思い描いた。

 もし死んでいないのなら、もし生きているのなら──それはどんなに、良いことだろう。幼馴染のみんなでこれからも仲良く、いっしょに成長して、そしていつか、いつの日か、想いを伝える日が訪れた……はず、なのに。それはもう、二度と……。

 願う途中で、不愉快が混じる。それは現実という名の、現在という名の、不愉快。


 ああ、イヤだ……。


 すすり泣く声が聞こえる。

 両隣から慟哭が聞こえる。


 イヤだイヤだイヤだ……。


 彼の遺影を見上げながら。

 彼女はひたすら、現実いまを否定し続けていた。

 生きていてくれるなら、生きていてほしかった。

 死んでいなかったら、もし彼が死んでいなかったら……もう一度、彼に出会えたなら……。


(私の────私の目の前に)


 もう一度、もう一度。


(生き返らせて。またお話させて、笑い合わせて、顔を見させて、喧嘩をさせて……この気持ちを伝えさせて。お願い、お願いだから、イヤだ、私は嫌だ、こんな終わり方はいやだ、もっとお話ししたかった、もっといっしょにいたかった、もっと……いやだ、いやだいやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ)


 彼女はからっぽの頭の中で唱え続けた。

 死者が生者に戻るという、まるで筋道の立たない願いを。

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