恋人が失踪した
「その、久之木くんは知っていると思うけど、僕達……僕と深宇は、シナリオを書いているんだ。素人作りのもので、演劇部の為に、なんだけど」
訥々と、久山が言う。
俺と夕陽は言葉を挟まず、道行く人のいない路上で、黙って久山の言葉を聞いている。
「今日も、少し話し合おうってなって、それで二人で……僕達のそれぞれの家からちょうど良い距離だったから、あのスーパーの前で待ち合わせして軽く何かを買って、何処か適当なところに入ってシナリオ会議だって……なってさ」
話しながらも、久山の視線は路上を巡る。周囲を見遣る。そこに彼女がいれば、という微かな期待と、望みを抱いている。
「それで僕、この場所に来たんだ。そしたらもう深宇は来ちゃっててさ、未知戸さんと何か会話してたんだよ」
美月さんは、未知戸──陽香と会話していた。陽香がここにいた。……なんで、いた?
「夕陽」
傍にいる夕陽を見る。
「……私が家を出たときには、未知戸さんは家にいたわ。そもそも、私が一人で行くことになったのは、舞ちゃんを家に一人で残すのは危ないと思ったからよ。私と未知戸さんで、そう話し合ったの」
夕陽の言葉には疑念が含まれる。
俺たちは、陽香の行動理由が分かっていない。
陽香はどうして家を出ていた。
「え、ど、どうしたの?」
久山が戸惑っている。
「陽香、どんな様子だった」
「へ、あー……なにか、嬉しそうに見えたかなぁ。僕が着いてすぐに、未知戸さんは手を振ってどこかへ行っちゃったから……」
「何処かへ行くとか、言ってなかったか」
「んー……聞いてない、ね。深宇も何も言ってなかった」
陽香は何処へ行った。
「口を挟んで悪い。陽香が立ち去ってから、どうなったんだ」
「その後は……スーパーの中に入ったんだ。とりあえずは、僕の家に行こう……ってなったから、飲み物とか、お菓子とか買おうって。そこで入って、僕、トイレに行った……そして出てきたら……もう」
美月深宇は、何処にもいなかった。
そして久山は必死に探し、今に至る。
「美月さん、何処かに行きたいとか言ってなかったか」
「言ってないよ。そもそも、これから家に遊びに行くのに、黙って他の場所に行ったりはしない。からかうにしても、深宇はそういうことをするような人間じゃない」
「まあなぁ」
何処に行くとも言っていない。
何処かへふらりと立ち去る理由も思い当たらない。
なのに、いなくなった。
「あぁぁぁ……! 僕があのとき、トイレなんかに行かなければ……!」
心底後悔するように久山が頭を抱えた。焦燥がぶり返そうとしている。「仕方ないわ」と夕陽が久山を慰めた。
「だな。生理現象は……まあ、憎みようがない。今は探そう。思い当たる節や、気になることがあったら教えてほしい。何かを見たとか、何かに興味があるとか」
「……そういえば、朝陽ヶ丘通りの……ここの、このスーパーの近くで、深宇、UFOを見たって言ってたよ」
「……UFOを見たことは、俺も聞いたよ。この辺りだったんだな」
「…………」
「…………」
俺たちは恐らく、一つの仮説を思いついている。
「連れ去られたのかな……」
久山が、その仮説を口にした。
「UFOにか」
「うん……深宇なら、なんだか喜んで連れ去られていきそうだし……」
「ああ……好きだもんな、美月さん、宇宙……」
「シナリオも、そんなカンジなんだよ。ある日突然、何の変哲もない女の子の前にUFOが出てくるんだ」
美月さんなら、確かにUFOが目の前に来たら渡りに舟とばかりについて行きそうだ。大気圏を抜け、地球を離れて、宇宙へ……「でも、そんなことは……」言い淀みつつ、夕陽が否定の意を示す。分かっている。UFOなんていないことは、俺だって理解できている。
……けど、黒い影がいるのに、どうしてUFOだけがいないと断言できる? まあ、どちらもいないか。その片方を見続けている俺はなんなんだ。
「あと、ブラックホールのことも言ってた」
「……へえ、ブラックホールか」
事象の地平線。特異点。いずれも、ブラックホールに関連する単語。
久山はパニクっていた時、その二つの単語を口にしていた。ブラックホール。超々高密度の天体。光すら逃げ切れない暗闇。黒……視界の端に、夕陽が映っている。
「それで深宇、事象の地平線を一回は越えてみたいよねっていつも言ってたんだ」
「はは、言いそうだな……」
「『夢は宇宙の局所的召喚である』……深宇、そんなことも言ってた。好きな言葉だって」
夢は宇宙の局所的召喚。俺も、聞いた覚えがある。かなり前、いや、割と最近……どっちだったか。
「宇宙から送られてくる信号を脳が受信して、夢として展開する。ブラックホールの向こう側には、別軸の世界が広がっている。深宇はそこに強い興味を持ってた。夢占い、みたいなものだってしてたし、夢が覚めたときに、頭に残っていた文章を何の思考も介さずにそのまま出力するんだ。それは宇宙から送られてきた信号の名残りで、きっと意味のあるものだから、って」
……夢と宇宙は別物だ。
「実際、ブラックホールを通って来た人、いるらしいんだよ」
「そんな人いるのか」
「さっき言った、夢は宇宙の、って言葉を言った人──ミスター・ストレンジャー」
ミスター・ストレンジャー。ストレンジャー。どんな意味だったか。赤の他人とか、知らない人間だとか、旅人、異国の者、よそ者、異邦人……
「だから、僕、思ってしまったんだ。深宇はさ、偶然、ほんとに偶然にブラックホールを見つけて、事象の地平線を超えてしまったんだって、そして、特異点に吸い込まれてしまったんだって……だから、もし本当にそうなら、僕もそれを追いかけようと思って……」
ブラックホールがこんなところにあったら、地球という惑星の命日が今日になっている。
ブラックホール、真っ黒な天体……あるいは、それに類するもの。それに似ているもの……真っ黒、暗闇、光のない純粋な黒……夕陽が、相変わらず視界の端に映っている。
「僕、また探してみる。深宇の家とか、僕の家とか、深宇が行きそうなところは全部……!」
この街を、朝陽ヶ丘市全体を虱潰しに探さんばかりの勢いだった。
「俺たちも探すよ。まずは、陽香に話を聞いてみる。美月さんと会話してたってことは、なにか重要なことを聞いているかもしれないしな」
「そうね……」
「でも……」
「俺たちは平気だよ。美月さんが見つかるまで探す。必ず見つけよう」
久山が目を潤ませ、「ありがとう」とひとこと。
「じゃあ、僕は行くよ」
「一人で探すのか。危険だから俺たちと」
「いいや、それは遠慮する。別れた方が、きっと効率がいい」
「けど……」
「いいんだ。深宇を探すのに安全性を考えてなんていられない」
久山はそう断言した。俺たちの言葉に聞く耳はもってくれないだろうことは瞭然だった。
そして俺たちは頷き合い、「見つかったら電話を入れる」と約束を交わし、久山は走り去って行った。
「……」
「未知戸さん、何処にいるのかしら」
呟く夕陽。
「一旦、家を見てみよう」
一度、帰宅してみるべきだ。
一人でいる舞のことも心配だから。
そこに陽香がいれば、訊ねてみればいい。
──一人で何をしていたんだ。
と、聞いてみればいい。
陽香はきっと答えてくれるだろう。
それがどんな内容であっても……彼女は答えてくれる。昔からそうだった、昔から……そのような過去が、俺にはある。あるんだ。彼女との過去が。未知戸陽香との過去が。あるのだからないわけがない。