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『モルスの初恋』

     58


 人殺しの化け物と言われたということは。

 好きになるわけないだろ、と言われたということは。

 苦悶の形相の桜花に悲しそうに睨みつけられたということは。


 以上の結果から導かれる答えは一つしかない。そこで導けないほど死は愚かでも鈍くもない。愚鈍であればまだ救われたのだろうか。桜花の発する言葉の一語一語に首を傾げるような無知蒙昧であったならば、地獄に墜ちるような絶望を味わうことなく済んだのだろうか。全て仮定だ。意味はない。

 死は振られた。

 彼女はノーを突き返された。

 人殺しの化け物は拒絶されたのだ。

「な、なんでっ……」

 より傷つくだけだから、聞き返さない方が良いのに。

「っ……!」

 いくら三人も殺した化け物だろうと、今の見た目は人の少女そのものだ。そんな者が、表情を悲痛に歪め、涙を溜めた瞳と震えた声で理由を尋ねる姿は、憐憫と同情を誘うに余りある。桜花もそうだった。視線を伏せ、歯を食いしばり、桜花は言いづらいことをどうにか言おうとするように顔を上げ、

「人を殺すのは悪いことなんだよ。許されないことだ。反省すべきことだ」

 諭すようにそう言うのだ。罵詈雑言を吐き捨てて走って逃げても良い相手であるのに、優しい人だこと。

「で、でも、私あなたが好きで、その為に身体が必要で」

「でもじゃない。好きだからって人を殺していいわけがないだろ」

「でもっ……! そうじゃないとあなたが怖がって私を遠ざけようとするからぁっ……」

「人を簡単に殺せる人間を怖がらない人間なんていない」

「でも私あなたを殺したりはゼッタイにしないわ」

「でもじゃないんだ。まずは悪いことだと認めてくれ。自分のしたことがどういったものなのかを分かってくれ。人殺しなんだ。それは法律に反していて、罰されることで、絶対にしてはいけないことなんだ。それを分かってくれよ……!」

 条理桜花は、世間に暮らす大多数の人間と同様、殺人を人間的倫理的重罪だと捉えている。絶対にしてはいけないことだと感情でも理屈でも理解し納得し遵守している。対して死は、優先的な人殺しは行わないが、それが必要なことだと思えば実行するほどには道徳的だった。結局のところ、どう外見を取り繕おうとも死は人間とは根本を違えている存在なのだ。

「でもでもっ……! でも……!」

 言葉が通じようとも倫理観の合わない相手に一方的に好かれたところで、そこには困惑しか生まれないだろう。それも良くて困惑だ。拒絶と嫌悪感を引き連れてくることだってある、今のように。可哀そうな死は、大好きな彼に向けて紡げる言葉を引き出せず、「でも」を繰り返して何とか桜花の言葉を上塗りしようとしている。でも、残念ながらそれは不可能だ。行いが行いだった。『好き』という強い想いと言葉が、果たして殺人に対する免罪符になり得ようか。なり得たら、世の中には殺人行為が蔓延り、だというのに誰も罪を負わないというそれはそれは素晴らしく愛に満ちた世界となろう。なり得るわけがない。

「う……! ううう……!」

 目に涙を湛えて歯を食いしばり、必死の訴えを親に聞き入れてもらえず駄々をこね始めた子どものように恨めしい視線で桜花を睨みつけ、死は唸り、拳を握りしめて、込み上がる感情を言葉にすることができず、桜花の前から走り去っていった。

「なんなんだ。なんだったんだ……」

 逃げ去る死の後ろ姿を見、振ったばかりの桜花の心情はそれでも罪悪感に侵され、ひとつ落ち着くために深呼吸をし、人間以外に告白されるという衝撃体験の余韻を引きずりつつ、その場を後にした。

 そもそもどうして桜花はこんなところに来たのだろう。

「或鐘先生の所に行かないとな……」

 そんな独り言を親切にも桜花は洩らしてくれた。彼は或鐘流奏に呼ばれたのだ。まあ、電話かメールか、それともメッセージアプリの何かかでだろう。或鐘に呼ばれて未明ヶ丘高校にやって来て、中庭に見覚えのある姿を見かけて、ついつい近寄ってしまった──そういうところか。


「……あいつは」


 桜花は、死が走り去っていた方向を見た。ちょうど、未明ヶ丘高校の校門の方だ。

 今は、桜花一人。穂乃果とは共に行動していない。穂乃果はこの未明ヶ丘高校の敷地内にはいないということだ。

 ならば、もし。これは仮定の話だが。もしも、に過ぎない話だが。


 穂乃果が、一人で出て行った桜花を心配してついて来たとすれば。

 桜花が行き先だけを穂乃果に告げていたとすれば。

 道戸穂乃果が、未明ヶ丘高校の校門で逃げてきた死と鉢合わせしてしまったとならば。


 振られたばかりで、絶望の底に沈んでいて、泣いていて、錯乱状態の死が。

 間違いなく桜花と結ばれることになるだろう穂乃果と出会ったとするならば。

 死の目の前で散々いちゃつかれその役割を羨んだ穂乃果その人と出くわしたとしたら。


 今の泣き喚きながら逃げている死は、果たしてたった一人で自らと遭遇してしまった非力で簡単に殺せてしまう状況にある穂乃果に対してどのような行動をとるのだろうか。


 桜花に恋慕を秘めていた園田の首を奪い、桜花へ思慕を披露した小瀬の胸を奪い、桜花に情欲を主張した遠泉の肢体を奪った死は──道戸穂乃果へ、いったい、なにを、しようと、いう?

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