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彼女が変わった

「死が……」


 花篠了。園田桜子。尾瀬静香。椎尾真理。近泉咲。犠牲者たち。

 死が皆殺しにした。どのような理由があってか、死というものが彼らの命を奪い去っていった。花篠さんはともかく、後の四人は……いや、それは違う。きっと違う。彼女にはそれを行う理由がない。()()()()()()()()()


「……まさかっ、そんなことはありませんよ」


 自然と笑みが零れる。零れざるを得なかった。


「死は人間ではありません。人間を殺せるのは人間なんです」

「だから、死の仕業ではない──と?」

「はい」


 稲達さんの問いにはっきりと頷く。そうだ。ああそうだ。俺は確信している。死がやったわけじゃない。俺を連れに来た死が殺すのは、ただ──俺だけだ。……。…………。


「ハッハッハ!」


 すると突如、稲達さんが笑い始めた。豪快な笑いだった。


「きみは、随分自然に死というものを受け容れるのだね。そこは死なんてものは概念であり存在しないと言うものかと思ったが」


 常識的に考えればそうだ。

 だが、俺が今生きている場所は常識的の範疇にあるか? ないだろう。もう、ない。はっきりと言ってしまおう。この現実は非常識だ──不条理だ。


「悪いね、からかうようなことを言ってしまって。誰が犯人なのかなんて、私には指せないよ」


 稲達さんが言う。笑みを浮かべている。


「探偵ということで頼って来てくれたのだろうけど、私はそういう経験が皆無でね。殺人事件を解決に導いた輝かしい事実など持ち合わせていないんだ」


 もう稲達さんの顔からは笑みが退いており、本当に申し訳ないように口をへの字にして目を瞑った。そして──


「私に、この事件を解決することはできない」


 そう、言い切った。断言したのだ。

 敗北を、目の前の探偵は宣言した。それは探偵としてあるまじきことじゃないのか。それとも、目の前のこの人は()()()()()()()()。……何を馬鹿な考えを。現にここは探偵事務所で、目の前の人の仕事は探偵だ。何をもって探偵ではないと断言できよう。


「いえ、俺こそすみま──」


 礼を述べようとし。


 キイイイ。


 そんな扉が開かれた音に遮られた。


「すみません。ここに男の子が……あ、いた」


 入ってきた()()は、俺を見つけてそう言った。


「……お前」


 ああ、誰だ……彼女は。彼女は……。


「ここにいたのね、桜利くん」


 俺を「()()()()」と呼ぶ彼女は……。


 事務所入り口には、真っ黒な人型の影が佇んでいた。たった今の言葉は彼女から発せられたものであり、扉を開けたのは彼女なのだろう。()()()()()()()()()()()

 黒い影は、ノイズとノイズの間にしかいないはずじゃなかったのか。

 なぜ、この場に、夕陽が、黒い影の姿で……ノイズの狭間に差し込まれていたはずの影が、出てきたのか、出てきてしまったのか。


「ああ。この前の、あの探検隊のメンバーの子か。おはよう。いやもうこんにちはかな」

「こんにちは。突然お邪魔してしまってすみません」


 ……聞こえない。ノイズの音が聞こえない。彼女の姿が戻ろうとしない。


「ふむ……。きみも、コーヒーは飲めるのかな?」

「はい。ありがとうございます」

「少し待っていてくれたまえ。おっと、ソファーには自由にかけてくれるといい」


 夕陽の姿が、人間に戻らない。

 黒い影のままで受け答えし、黒い影のままで俺に近づいて来て、ソファーのすぐ隣に座る。


「どうして、来た……」

「やっぱり心配になったから。未知戸さんとどっちが行くかでじゃんけんして、私が勝ったの」


 黒い影が喋る。視界に張り付いたように平面の影の、いったいどこから言葉が出ているのだろうか。まだ戻らない。ノイズが聞こえない。なんだこれは。夕陽が永続的に影の姿になってしまったとでもいうのか……なんで、どうして、意味が分からない。


「未知戸さんの方が良かった?」


 その声は少し責めるようで、


「ははは……どっちにも、来てほしくなかったな。外を出歩くのは危険だ」

「ふうん。でも来ちゃったし、もうどうにもなんないわ」


 もうどうにもならない。

 もう、どうにもならない。


「まあ、そうだなあ」


 笑いたい気分だった。大声で笑って、何もかもを馬鹿々々しいと笑いたかった。


「桜利くん。きみが追い詰められているときって、視線を伏せてつらそうに笑うんだよ」


 黒い影がそんなことを言い、


「そうだったのか」

「うん。……今、そうしてた」

「……よく見てるな」

「うん……。よく見てるでしょ」


 黒い影の手が伸びて、俺の頬にそっと触れる。視界の下部を蝕む黒を払いのけたかった。だが、できない。黒い影は夕陽だ。どのような見た目だろうと夕陽であり、払いのけて傷つくのも夕陽だ。できるか、そんなことが。


「また、してるわ。きみのつらいときの表情」

「夕陽」

「なに?」

「来てもらって悪いけど、ここを出よう」

「う、うん。別に良いけれど……」


 そして俺たちは、コーヒーを淹れてくれている稲達さんに一言謝罪した。


「ほう、それは残念だが……まあ私も今日はこれから一つ片づけなければならない用事があるものでね、言ってしまえば好都合というところだ。気にせず、また遊びに来なさい」


 稲達さんはそう言うと、やはり大らかな笑みを浮かべていた。

 そのまま逃げるように俺たちは事務所を後にした。何故だか分からないが、すぐにここを離れたかった。

 ビルの前に出たとき、太陽の陽射しがやけに眩しかった。まだ真昼にもなっていないのに。

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