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俺は死ぬには早すぎた

 多くの黒が徂徠そらいする。

 黒と白の幕が交互に、どこまでも、どこまでも、……ああ、ずっと先まで続いている。

 しとしとと雨が降っていた。灰色の、気が滅入る空色だ。


「……」


 ぽつねんと、俺は立っていた。上も下も真っ黒の服だった。黒い靴、黒い靴下、黒のスラックスに、白のシャツ、黒のネクタイ、黒のジャケット。降り注ぐ雨の妨げにと、黒の傘を差している。


「この度はお悔やみ申し上げます」「この度は、誠にご愁傷さまでございます」「心よりご冥福をお祈りいたします」「大変お辛いことで、言葉もございません」「あまりにも急のことで」「あまりに突然すぎて」「言葉がございません」「なぜ、このようなことが」「この度は、」「ご愁傷さまで」「お悔やみ」「お祈りを」「心より」「申し上げます」


 二人組の喪服姿の男女。見覚えのある若い男性と、見覚えのある若い女性が揃って佇み、黒色の参列者が次々に同じような台詞を並べていく。その度に二人組の男女は頭を下げ、顔を歪ませる。きっと参列者の方々に微笑もうとしているのだろうけど、そうできない理由があるようだった。肩が震え、閉じた唇が震えている。


「……この度は、心からお悔やみ申し上げます」


 誰かに似ている彼らへ、記憶の中の父と母を少しばかり若返らせたような彼らへ、俺も喪服姿の参列者達と同様に紋切り型の言葉を述べる。彼らは、それまでと同様に微笑もうとしてそうできていなかった。瞳が揺らいでいる。父親の方は、自らが拳を握りしめてぷるぷると震わせているのに気づいていないようだった。母親の方は、穏やかな笑みであろうと心掛けているのだろうけど、ふと見せる瞳が絶望に染まっていた。「なぜ」「どうして」「こんなことが」彼ら自身、何も分かっていなかったのだろう。どうして、も。なぜ、も。なんで、も。なにも。


「……」

 

 参列者たちの後に続き、屋内へ入った。

 部屋の奥に設けられた祭壇には供花とともに、ひとつの写真が飾ってあった。にこやかな笑顔を浮かべる少年……まだ年端もいかない、幼い少年の笑顔が映っていた。ああ、似ている。自らに暗い幕切れが訪れることを想像だにしていなかったであろうその眩い程の笑顔は、この空間において不釣り合いだった。少年だけが、笑顔だった。

 見覚えのある人たちがいた。みんな喪服姿、上も下も真っ黒だ。身体中で死を想起させている。

 丸刈り坊主の少年が、壇上の少年の笑顔を見上げ、とんでもなく難しいテストの問題に行き当たった時のように硬直している。問題は解けて、理解できたのだろう、やがて肩を震わせ、歯を食いしばり、両手で顔を覆った。少年の母親と思わしき真っ黒の女性が、少年の顔を黒色のハンカチで拭う。

 黒い髪の少女が、呆然と少年の笑顔を見上げている。ぽかんとした瞳だった。聡明な彼女が、この状況に関する何事も理解していないはずがなかった。全て分かっているうえで、なにも分かろうとしていないようだった。

 金色の髪の少女(誰?)が、歯を食いしばっている。表情には怒りがあり、悲しみがあった。矛先は周囲に向けられ、自らにも向いているようだった。もう既に赤い瞳からはポロポロと涙が頬を伝い落ち、何かを悔やむような視線で怯えたように周囲を見渡すと、少年の笑顔を見上げ、赤く小さな自らの唇を右手の人差し指と中指でそっと触り、そのまましゃがみ込んで嗚咽し始めた。金色の髪の少女の両親が、「  」と少女の名を呼び、そっとその肩に手を乗せる。


 この場は、この場面は、この愁嘆場は。 

 誰一人、笑っていない。誰一人、幸せになれない。


 笑っているのは壇上の死人だけだ。あの、誰かによく似た少年だけだ。小さな頃の俺みたいな顔貌の少年だけだ。


「……はは。まあ、だろうなぁ」


 これは──俺の、葬式だ。幼い頃の俺の……


 そう考えると、自分の死を理解すると。

 まるでそれが契機になったみたいに、その瞬間を待ち構えていたみたいに。

 黒の参列者たちが、黒色の両親が、丸刈り坊主の少年が、黒い髪の少女が、金色の髪の少女が、みんなみんな一斉に顔をぐるりと俺の方へ向け、一斉に口を揃えて言うんだ。


「だ、い、せ、い、か、い」


 大正解だ、って。

 ……ああ、何となく分かっていたさ。

 俺という人間が、もう生きてはいないんだってことは。


「……なんだ?」 


 ガシリと、誰かに肩を掴まれた。

 小さな手、か弱い力だった。振り返ると、そこには、


 ────。


「しんじゃった。死んじゃったね。死んじゃったのね。死にたかった? 死にたくなかった? どっち? どっちなの? 私? 私はとぉっても、うれしいけれど」


 ────。


「どうしたのかね?」


 当惑したような表情の髭の人がいた。探偵だ。稲達さんだ。

 ここは稲達探偵事務所内──どうしてここで、俺は微睡んでいたのか。

 テーブルの上には、グラスに入れられた一杯の黒くシュワッとした炭酸ジュースがあった。なみなみと注がれている。来客用にと、備えておいたのだろうか。


「……えっと」


 どのような言葉が相応しいのかが分からなかった。だから、


「すみません、少し寝不足で、ボーっとしていたみたいで」


 稲達さんが何かを言うよりも早く、弁明のようにそう言った。口の中は乾いていたが、目の前のコーラに口を付ける気にはならなかった。


「アッハッハ! そうだね、きみは最初からすごく眠そうにしていた」


 寛大な様子で笑うと、稲達さんは言葉を継いだ。


「きみが、私に犯人が誰かを訊ねたところだよ。そういう場面だ、今はね──どのような質問かは、憶えているかな?」

「……犯人が誰か、でしょうか」


 探偵に訊ねるとしたら、そのような質問に違いない。


「うむ。そうして私は君の問いに答えよう──死、だよ」


 探偵は笑う……笑うと表現するには少々、口の端が吊り上がり過ぎているように見えた。

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