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『モルスの初恋』

 Ⅳ 真実の街


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 蝉が騒がしく鳴く、夏のとある暑い一日のことだった。

 姿見の鏡の前で念入りに身だしなみを整える一人の少女がいた。窓から差し込む陽の光に輝く薄い金色の髪に、緑がかった瞳をもつぱっちりとした目。形のよい鼻梁と、透き通った肌、赤い唇。誰が見ても可愛らしいという印象を抱く、そんな女の子がいた。

 よし、今日も私はかわいい。きれい。

 少女はそう思い、すぐに不安になった。でも、彼にとっては? そう考えてしまった。もう少し、あともう少しだけ、おかしなところがないかを入念に見てみよう。


恋失れな、いつまで鏡の前にいるんだい?」


 茶化すように父親が言い、母親もくすくすと微笑ましく笑う。いつまでもいつまでも姿見の前で御洒落にご熱心な愛娘への微笑ましさが、言葉となって飛び出してきたのである。

「今日はお友達と遊びに行くのでしょう? 穂乃果ちゃんに、衛門くん。それと……ふふ、桜花くんだったかな。いつもの仲良し四人組で……約束の時間に遅れちゃだめよ?」

 母親……流暢な日本語を話す陽に映えている髪色の母の言葉に、恋失は「分かってる」と返した。約束の時間はきちんと把握している。その時間までにまだ余裕があることだって分かっている。だからまだ、もう少し、あともう少しだけ準備に時間をかけたって良いだろう。

「本当、仲が良いなあ」

「本当にね。羨ましいわ。きっと一生のお付き合いになるお友達が、恋失にはもうできたんですから」

「そうだね。友達は大切にすることだ、恋失。取り繕う必要のない、それでいて気の合う友達というのは大事だぞ」

 そんなことを言う父親へ、「分かってるってば」と恋失は多少の苛立ちと共に言った。両親の能天気な会話を聞いているどころではなかった。もう心臓はばくばくしているし、朝起きた時から喉が渇いて麦茶を何杯もお替りした。不安でいっぱいだった。

 少女──心亡すわ恋失れなは今日、ひとつの決意を抱いていた。


 気になっている男の子に、告白する。


 そんな決意を、抱いていた。 

 今日はみんなで廃墟探検をする約束となっている。そのときに、するんだ。

 

 探検のメンバーは。

 私。

 条理桜花。

 三宅衛門。

 道戸穂乃果、の四人。いつもいっしょの、幼馴染たち。


 穂乃果と衛門は家の用事とやらで遅れるため、恋失と桜花だけが先に行く手筈となっていた。なっていたというか、恋失がそう決めた。「じゃあ、私とオーちゃんで先に行ってても良いでしょ」と、そう。異論は出てこなかったため、そのようになった。恋失にとってのチャンスが出来上がった。ただ、遅れるとはいっても三、四十分ほどであるため、すぐに衛門と穂乃果は追いついてくるだろう。だから速やかに告白を実行……できればいいなぁ。恋失は勢い込み、そして怖気つくのを今日に至るまで何度も繰り返していた。

 そうして約束の今日となり、ご用意の現在となる。

 廃墟探索に行くことを、恋失は両親に話していない。ただ、遊びに行くとだけしか言っていない。廃墟は危険だからと両親がきっと良い顔をしないことは分かり切っていたからだった。

「よしっ」

 準備は整った。終わった。完了した。寝ぐせはついていない、隈なんてないし、染みもにきびもそばかすもなにもない、綺麗な肌だ。ムダ毛なんて論外なものはもちろんない。よし。よしよしっ、準備完了。かわいい私。きれいな私。だからきっと……自分を鼓舞するものの、不安は拭えなかった。


「あ……」


 ふとそこで、ひとつの不備に気付いた。不備と言えどもささやかなものだ──ハンカチを忘れていた、それだけの些末事。恋失は収納ケースの中、彩りあるハンカチの中から一枚取り出す。それは真っ白な布地で、隅っこに小さく、目立たない程度に金色の刺繍がされているシンプルなものだった。恋失はそのハンカチを気に入っている。少女がいつの日かテレビの向こう側に見た、白いドレスを着た綺麗でまるでお姫様みたいな花嫁が用いていた白いハンカチのように清潔感が溢れるその見た目を、そしてそれを使っている自分が、夢見ている花嫁姿を先取りしているような感覚を、気に入っている。花嫁には花婿がいて、お姫様には王子様がいる。なら、私の王子様は────恋失は一人、頬を紅く染めた。王子様は、もう既に訪れているのだ。幸せな少女はそう思い、一人微笑んだ。


「行ってらっしゃい。気を付けて」

「水分はきちんととるんだぞ」

 そして両親に見送られ、恋失は玄関扉を開けた。

 真夏の、暑い日差しが降り注いできた。太陽がひどく眩しかった。蝉の鳴き声がそこら中から聞こえてきて騒がしい。抜けるような青空の先には、大きな雲がもくもくと泳いでいた。

 暫し恋失は立ち止まり空を眺めていたものの、意を決して待ち合わせ場所への道を歩み始めた。心臓のばくばくは、やはり止んでくれない。

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