少女は母と再会した
廃墟までの小路。
左右には木々が広がり、冬の寒さに枯れている。緑は多少残っているものの、寒々しい。夜に通った時とは違う薄暗さが、見渡す限りを陰らせていた。
「それでそれで、レナちゃんはいったい誰とキスしたの。お姉ちゃんに教えてちょうだい」
「だめ。ヒミツです。言いません」
「えー、いいじゃないの。じゃ、イニシャルだけでも」
「うーん……」
「ほらほら、言ってみなさいって。イニシャルだとたぶん私たちも分かんないから」
道中、賑やかなものだった。
陽香はさっきのキス経験済み発言を受け、相手を聞き出そうと頑張っている。対してレナは陽香の質問責めを受けても名前を明かそうとしていない。中々ガードが堅い。しっかりしてる子なんだなぁ、と思った。
「じゃあ、ヒントだけ」
レナが若干折れたようだ。教えないまでも、ヒントはくれる。
「よしきたっ。どんなの?」
「コジョー」
「ほうほう、コジョーね、コジョーこじょーこじょーー……なにそれ?」
ぽかんと、陽香が首を傾げた。分からないようだ。俺も分からない。コジョウってなんだろう。
「オーリはなにか思い当たる?」
「まったく」
「きっと、オーちゃんとお姉ちゃんには分かんないよ。分かるわけがない」
断言されてしまった。そこまで言われると、その単語に何か意味や関連性を考えるのに少しだけ躍起になってしまうのもまた事実だ。コジョー。コジョウ。古城。湖上。弧状。KOJO……KOZYO……分からない。誰かのイニシャルか。にしては多い。複数人だったり、いやそれではおかしい。コジョーがキスの相手を指すのなら、複数人であるのはおかしい。ならこれはイニシャルじゃないな、もっと別の……何かだ。その何かが何かは分からない。世の中分からないことだらけだなって。
「コジョーさんっていう人のこと? コジョー君かな。それなら私たち、会ったことないわ」
陽香の考えに、レナはにやりと笑った。違うっぽい。
「なんなのかしら……なんなのかしら……」
ううむ、と悩む陽香。にやにやと笑うレナ。
その間も俺たちの歩みは止まらずに進み、
「見えてきたな」
木々の隙間から、遠目にひとつの建物が見えた。パトリア、故郷。廃墟、行為を営む場所の廃れ。あの日近泉と訪れた際、血濡れた鉈と、足音を聞いた場所。遠くから見ても、警察の姿は一切なかった。やはりいない。誰もいない。ここに俺たち以外の人間はいないらしい。
「タイムアップだね。なら私の勝ちってことでっ」
レナが笑うと、たたと楽しそうに駆け始めた。廃墟の方へだ。
「ああ待って。待ちなさい、そんな駆けたら転ぶわよ」
少女を追いかけ、陽香も走り出す。
「……行ってしまったなぁ」
走っていったレナと陽香の後姿を見つつ、俺はのんびりと歩いている。直に追いつくだろう。今は考え事だ。さっきのコジョーを、まだ考えている。KOJO……JOKO……常考、情交……ひとつ、気付いたことはある。イニシャル云々からの連想だが。
久之木桜利……俺の名前のイニシャルであるKとOが入ってるなあって。だから何だって話だが。それが入っていたとしても、じゃあ残りのJとOは何なんだという話になる。俺は二人もいない上に、レナとそのようなことをした記憶もない。考えれば考えるほど、無意味さが強く強く主張してくる。
「オーリーーー!」
呼ばれる。遠くで陽香が手を振っている。片手でレナを捕まえていた。早く来い、ということだろうか。だろうな。
「分かったよ」
手を挙げ、俺も駆け出し、彼女たちのもとへとたどり着いた。
もう、廃墟の入り口は目の前にあった。
そして──
「お母さん!」
和服姿の女性もまた、パトリアの入り口の、ガラスが散々に割れた自動ドアであったところに佇んでいた。レナの母親のような存在らしい女性だ。
ぼんやりと彼女は廃墟の奥を見つめていたが、レナの声に振り返り、俺たちを視界に映したのか驚いたような表情を見せた。
「まあ、レナちゃん。こんなところまで……」
女性に駆け寄り、レナが抱き着く。女性もまたひヂぁを折って屈み、その両の手をレナの首へ伸ばし、少女の小さな首を締めようと──「っ!? 何をしているんですか!」叫ぶ。咄嗟に言葉を発し、地を蹴り急いヂヂ で少女を殺そうとする女性の傍へ彼女の凶行を止めようと……駆け寄って手を伸ば、して……「お、オーリ、どーしたのよいったい」背後から陽香の声。困惑に満ちた声。
「オーちゃん……?」
「どう、されたのですか?」
少女の背中に手を回し優しく抱きしめる女性が、抱き締められている少女が、共に戸惑いの視線を俺に送ってくる。なんでもない、親子の感動的な再会の場面が目の前にあった。
「い、いや、はは……すみません」
苦々しげな笑みを俺は浮かべていたことだろう。少女を助けようと伸ばした手の行き先が無くなり、所在なく下ろした。ヂ またノイズ。切り替わる。女性に首を絞められた少女が、俺の方を向いている。女性の手は少女の喉を握りつぶさんばかりに食い込んでいる。だというのに少女は俺を見、微笑みすらしている。微笑み、笑って、目を細めて、情愛のたっぷりと込められた表情で、
「助けようとしてくれてありがとっ☆」
言う。「でも、手遅れなんだけどね」言う。「それでも嬉しいよオーちゃん、私ほんとに嬉しい。アンタはやっぱり私を助けてくれるんだ。ありがとねっ♥」言うのだ。幻、幻の言葉──これもまた、幻聴だ。ヂヂ。俺の目の前では親子がお互いに抱きしめあっていた。身体を寄せ合い、まるで俺から身を守ろうとしているみたいだった。俺は……俺は何を見て、何を聞いている。何が現実で、どれが幻だ。この場で叫び出したい気分だった。けどそうしてしまえば、俺は本物の狂人だ。
「オーリ」
助けようした者を見失い下ろされた俺の手を、誰かが握る。
「陽香……?」
陽香だった。心配そうに、俺を見ている。
「怖いものでも見たのね……」
「見た……というのか。最初から無かったものを見たことを、『見た』っていうのか」
「言うわよ。幻を見たとも言うでしょ。幻よ、あなたが見たものは──今、私たちが見ていた者達といっしょでね。ほら」
そう、陽香が指す先は、抱き締め合う女性と少女の姿があるはずの場所だった。
「……はは。何もかもが唐突だな」
「消えてしまったわ。満足したのかしら」
もう、誰もいない。
この場には、俺と陽香の二人しかいない。