金髪少女は母を探していた
「可愛らしいお嬢さんだなんてどーしたのよオーリ、いきなり紳士になっちゃってー」
ぷぷぷ、と陽香が堪え切れないと頬を膨らませ、口元を手で押さえている。
「いや、驚きのあまりに……」
「あははっ、驚いちゃった? ざーんねーん。三人でしたー」
陽香が口を大きく開け、そう言い放った。「でしたー」と金髪少女がにこやかに追従する。二人ではなく、三人だったというワケだ。「えひひーっ」少女が笑う。笑っている。楽しげだ。しかし、何時ぶりなのだろう。この子を見たのは……ただあの和服姿の女性がいない。常にともにいたはずだったのに。
「あれ。でも、あなた、……お母さんは?」
陽香も俺と同じことを思ったのだろう。そう尋ねた。少しの間を置いてしまったのは、彼女が事実を知っているがために悩んだのだろう。この子の母親らしきあの和服女性は、けれども母親ではないのだ。
「んー……」
途端に、少女の表情が暗くなった。どちらだ、と思う。母親ではないあの女性を母親だと呼ばれたからか……それとも女性が──この場合は、この少女があの女性のことを母親だと認識していることになる──何処かへ行っている、はぐれてしまったのか。
「お母さん、さっきからいないの……」
後者だった。……いや、確かに、この子はあの和服姿の女性をお母さんと呼んでいたような覚えもある。事実が否定しても、本人たちは自らが母子の関係にあると捉えている。
「あらま……」
迷子だわ、と陽香が視線で俺に示してきた。
「私がスーパーのトイレから出てきたら、いなくなってた……」
……幽霊もトイレするのか。いや、そんなことはどうでもいい。
スーパー。それはこれから俺たちが向かおうとしている場所に違いない。そこではぐれたのだ。となれば、
「中にはいなかったのか?」
少女に問う。
「いなかった」
と、首を横に振った。「じゅーおーむじんに探したのに……」店内を虱潰しに探しはしたらしい。
「成仏したんじゃ……」
口を滑らせようとした陽香が「こほん」と咳払いし、膝を折り、少女に目線の高さを合わせた。俺もそれに倣い、屈んだ。
「何処かへ行くとか、言ってなかった?」
「森の方がなんたらかんたらとかって、言ってたんだけど……」
事情を話している内に悲しくなってきたのだろう、少女の表情はいよいよ翳り、いまにも泣き出しそうな程にまでなっている。
「探すのなら手伝うわ、オーリ、いいでしょ?」
「ああ」
幽霊であるとはいえ、それが何の関係があるだろう? 母親の行方を尋ねる子どもを助けない理由がない。ないのだ。事実が、この少女と和服女性を親子でないと語っていても、この子があの女性を母親と呼ぶのならそれでいい。何も口を挟むことはない。
「ほんと……?」
信じ難いと俺たちを見つめる瞳には、嘘偽りない涙が溜まっている。
「ほんとだよ。──」
言葉の終わりに少女の名を呼ぼうとし、俺の口は止まってしまった。
この子の名前は、何と言ったか。
……。
……。
……。
……思い出せない。
「レナ、だよ」
すると、俺の疑問を見通しているかのように、目の前の金髪少女は名乗った。その表情には失望が見えた──気がした。この子にとってとても悪い──とはいえ人の名前を忘れること自体が褒められるような行いではないが──ことをしてしまった、と少女の表情から窺えた。「きちんと、憶えていてね」そう付け足して言われた。「分かった」と頷く。彼女の名前はレナ。憶えた。もう忘れない。
「買い物、この子の母親を見つけてからにしましょ」
「そうだな。そっちの方が良い」
決まりである。
「……」
「どうしたの?」
ぽかんと固まっているレナへ、陽香が訊ねる。「あ」と、掠れた声がレナの口から発された。
「ありがどぉぉ」
ほっとして肩の力が抜けてしまったのか、気張っていた心が和らいだのか、レナはぼろぼろと涙を流し始め、陽香がくすりと笑ってポケットからハンカチを取り出し、少女の頬を優しく拭っていた。幽霊とはいえ小さな女の子だ。母とはぐれた孤独は、それはそれは大きなものだったろう。これは是が非でも、見つけなければならない。
「よしよし。一人で寂しかったのね……」
視線はレナに向けられたままの陽香の言葉は、俺に向いていた。
「まあな。不安になるのも無理ないよ」
そう答えると、ゆっくりと陽香の視線が俺の方へ向けられ、そして、
「独りで寂しかったんだわ」
と、もう一度。泣きじゃくっていたレナの涙も止まり、その潤んだ双眸が俺に向いている。泣いていたという跡はあるのだが、なぜだか、その視線は全くの無に見えた。無表情だった。レナも、陽香も。二人して無の表情で、俺を、見。
「……」
そんな四つの瞳に見つめられ、少し、気圧されてしまった。
何か俺は言葉を求められているのだろうか。この二人は、俺に何らかの反応を期待しているのか。そう勘繰るも、邪推の気がしてならない。ただ何となく陽香は同じことを二回言い、何気なくレナは俺を見ているだけだ。だが、その視線は……俺には恐ろしいものに映る。まるで責められているようだ。何かを。何を? ……分からない。
「……まずは森の方を探してみるか。レナちゃんのお母さんがそう言っていたのなら」
そう、話題を変える。陽香の口が緩やかに開かれ、その口の形が明らかに「ひ」を形作った瞬間、かぶせるように「ちゃんはつけなくていい」と、レナ。
「呼び捨てでいいのか」
「うん。私の方が年下だし」
妙にはっきりとした口調で、レナは言う。
「分かった。ならそう呼ぶよ」
「……」
俺の言葉に、レナは無言だ。何も言いはしないが、その丸く微かに緑がかった眼は俺を真っ直ぐに見つめていた。
「レナちゃん、そんなにオーリの顔を見つめたら穴が空いてしまうわ」
陽香が笑みとともにそんなことを言う。
それでもレナは俺の顔を一心不乱に見つめていた。なにか俺の顔に疑問の答えでも書いてあるのか、単になにかを訴えたいがためか。どちらだろう。それともそれ以外のことか。
「名前……」
レナが呟く。小さな声だった。
「名前? 名前がどうかしたのか、レナ」
「……ん、よし」
問い返すと、満足そうにレナは一人頷き、俺の顔から視線を外した。なんだか分からないが、この子なりに満足のいく結果を得られたようだ。それならそれでいい。
「……意外と乙女なのね」
陽香がそう微笑む。レナもそれに笑い返した。二人の意思は通じ合っているようである。対して俺は、よく分からないままだ。
「じゃ、行きましょ──メメント森へ」
陽香と共に廃墟へ行くこととなった。レナの母親を見つけに。
1足す1足す1は、三人。……今俺たちは、三人いる。