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やはり誰も気付かなかった

 夕陽を起こすのは舞に頼み、俺は一足早く階段を降り、陽香のところへ戻った。


「起こしてくれた?」


 湯呑に注いだ緑茶を片手に、席に着いていた陽香が言う。


「ああ」

「そ。舞ちゃんとユーヒの寝顔、可愛かったでしょ?」

「そうだな……まあ、可愛いという言葉、相応しいと思う」

「……。私の寝顔も可愛いけど?」

「もとが可愛らしいのならそうなるものだろ」


 寝起きの顔ならともかく、眠っている間の顔は殆どの人間が死人のように静まる。死んだ祖父の顔は、まさしく眠っている者の寝顔だったことを今も憶えている。その前に見たあの轢き潰された死体は……うつ伏せだったから分からなかった。……昨夜の彼女、どのような表情を浮かべていたか。彼女もまた、眠っている者の顔だったか……多少、皮膚を剥がされていたが……目を剥いていたような記憶が、だらりと舌を出していたような記憶が……


「……けっこう、不意打ちだった」


 陽香は困ったような笑みで、隠すように顔を手で覆っていた。


「なにが」

「気にしなくていいわ。大好きってことだから」


 そんな会話をしていると、舞と夕陽が二人、やってきた。二人ともぼんやりとしていて眠そうである。おはようという挨拶を交わすと、二人は洗面所へ行き身支度を整えた後、幾分かさっぱりとした表情で出てきた。

 

「ご飯、食べれそう?」


 陽香の問いは、主に夕陽に向けられていた。夕陽は「ええ」と頷いた。

 そして俺たち四人、席に着く。


「朝ごはん……未知戸さんが?」

「ええ。オーリと二人で作ったの。ユーヒが可愛らしい寝顔をしていたときにね」

「ごめんなさい、私も手伝うべきだったわ」


 夕陽が言うと、舞も「うぅ、ごめんなさい、陽香おねえちゃん」としょんぼりとした表情。陽香は「気にしないで」と慈しむように彼女たちへ微笑んだ。


「ちなみにね、可愛らしい寝顔というのはオーリの言よ」

「っ……見た、の?」


 夕陽が一瞬目を見開き、眉をひそめて俺を見る。顔を紅くし、イヤそうな表情。


「……少しな。ごめん」

「……もう」


 意に反し、夕陽は「もう」で済ませてくれた。そんなに怒っていない、のか。


「さーて食べましょー。冷めちゃう前にね」


 テーブルを囲う俺たち四人。

 俺の隣には陽香が座り、笑顔を交えて言葉を発している。

 正面には舞が座り、一生懸命にご飯を口に運び合間合間に喋る。

 斜向かいには夕陽が座り、受け答えしつつも静かに淡々と箸を動かす。


「さっき飲んだんだけど、このお茶美味しかったのよね。スーパーに売ってるのとはまた違ったりする?」

「ゲンセンした茶葉を扱うシニセで仕入れたものですゆえ。陽香おねーちゃんが気に入ってくれたのならこちらも喜ばしい限りでごぜーます」


 陽香の言葉に、舞が時代劇口調で返す。おそらく、マイブームなのだろうな。舞だけに。


「そんなお店、どこかにあったっけ?」

「うん。朝陽ヶ丘商店街からメメント森に行く途中にね、あるの」

「へー。私も行ってみよっかな」


 会話の内容には、殺人も死体も含まれない。なんてことはない日常の、いつも通りの単語を扱っている。いつも通りの会話だ。


「霜月先生とレモンって、意外なところで好みが似てるのね」

「そうね。三択くんも先生も、琴線に触れる要素があの人形にあったのだろうけれど」

「ユーヒは触れる? あの人形、琴線に」

「触れないわ。未知戸さんは?」

「私も、全然。私の琴線に触れまくってるのは、この人だけなんだもの」


 ぴと、と陽香が身体を傾け、頭を俺の肩に乗せる。サイドテールの房がくすぐったい。

 

「……ふうん。そうなんだ」

「ユーヒだってそうでしょ?」

「知らないわ」

「否定しないんだー」

「……知らない」


 やはり誰も気付かない。現ヂつの変化に気付かない。

 この現実はおかしい。おかしいは何処からおかしいだった? いつから歪んでいた?

 あのとき、あのとき俺が死にかけてからか? 病室の隅にいた死を見てからか? 轢き潰された死体を見てからか? 食パンをくわえた夕陽にタックルされてからか? いなかったはずの妹が発生してからか? 両親が遠くへ二人だけで行ってしまってからか? 花篠了が公園で殺されてからか? 和服女性と金髪少女の幽霊を見てからか? 園田桜子が教室内で首を切断されてからか? 睦月先生が霜月先生に変わってからか? 尾瀬静香が西霊園で胸を削がれてからか? 血濡れのハンカチが届けられて死体の写真が送られてきてからか? 家に誰かが入って来て写真を盗っていってからか? 廃墟の中で殺人犯と鉢合わせしそうになってからか? 広場公園で近泉が中途半端にバラバラにされてからか? 森の名称が変わってからか? ノイズが。聞こえ続ける頭のノイズが、狂わせる。頭の後ろが痛い。


「ぁ……ぃ……。ぉ……」

「四丁目公園。一年C組。西霊園。メメント森手前広場。花篠了。園田桜子。尾瀬静香。近泉咲。首を斬られて、首を切断されて、胸を削がれて、バラバラ死体(中途半端)」

「ぃ……、っ、は」

「私が殺したの。全部全部、私が殺した。人間じゃない私がやったの。信じて。疑わないで。桜利くん。ね。ね?」


 テーブルを囲う俺たち四人。

 俺の隣には血塗れの彼女、喉がくっついていないから空気が漏れている。胸の膨らみは、服の下ですとんと落ちた。ぽとりと右腕が落ち、左腕も時間差で落ちる。

 正面には誰も座っていない、誰も誰も座っていないいない。

 斜向かいには真っ黒な影。歌うように惨事を謳う。


 朝食の席を、異常が囲う。一人は血塗れ一人は不在一人は黒い、四人のうちの三人、人間ではなく振舞う。

 なら残りの一人──俺は?

 そんな疑問が頭に浮かび、


「あ──」


 ぷつん、と。ふと。


「ぃ、で……!」


 痛い。痛い熱いいだい。胸、左胸が。

 抑えようと腕を伸ばす、ガチャンと持っていたモノが落ちて割れる音。伸ばした手に異物の感触。突き立っている。なにかが俺の胸に突き立っている……「な……これ」視線を落とす。銀色の刃、簡易な柄──ナイフ。ナイフが俺の左胸に、突き立って……これが現  真ヂヂつ。 


「……! はぁ、はあ……!」


 額に汗の粒が浮く。

 心臓が早鐘を打ち、間断なく脈打つ動悸がする。


「ちょ、ちょっと、オーリ、大丈夫?」


 陽香の心配そうな言葉。夕陽と舞も、不安そうな目で、俺を見ている。


「大丈夫、だよ」


 立ち上がろうとし、「待って」と陽香に手で制された。


「お茶碗が割れちゃってる。破片が刺さるかもだから、座ってて。動かないでね、今、ちりとりとほうきを持ってくるから。掃除機のほうがいいかな」


 陽香が用心して立ち上がり、ぱたぱたと走って行った。


「お、おにーちゃん、大丈夫……?」


 舞が問う。大丈夫かどうか。


「平気だよ。ごめんごめん、ちょっと、寝ぼけてたのかもな」


 夕陽は無言で、俺をじっと見ていた。

 それはそれは──泣きそうな、泣きそうな表情。大丈夫、大丈夫だから、夕陽──だから、そんな悲しそうに泣きそうに、しないでくれ……。なにも心配はいらない。不安はない。真ヂ つが、現ヂヂ  つが、事ヂつが今だ。「ぐ、く……!」また痛み。まだ痛む。生じる。左の胸、ナイフの感触。「桜利くん!」俺は生きていないと語るかの如くに、主張してくる。強要してくる。死人であれ、と俺に云う。ふざけるなよ。「やっと」俺は生きている。「やっとだわ……!」俺は生生て生る……は? 

 今の、愉しそうな、嬉しそうな声、誰?


「やった……! やったやったやった……! ひ、きゃひひひ♥」


 ヂヂヒノ香(────────)が嬉しそうな表情で俺を見下ろして──「オーリ、大丈夫!?」表情は一瞬で切り替わり、今にも泣きそうに歪められた陽香の顔があった。痛みは、綺麗さっぱり消え失せた。


「……なにが。今のは」

「大丈夫? 大丈夫なの、オーリ。なんともないの?」

「ああ。けど、今のは、いったい……」

「それはこっちのセリフだわ……! いきなり胸を抑えて苦しそうにしたものだから本当に心配したんだからっ、シンキンコーソクやら心臓マヒやら、そんなのになったのかなって私、思ったんだから……!」


 陽香は涙を流し、目を潤ませ怨むように俺を睨んでいる。

 その表情は、真に俺を心配する者の瞳──のように、見えた。


「もーばかー、ばかぁぁぁ……!」


 感情のタガが外れたように涙する陽香を落ち着かせるのに、しばらくの時間を要することになった。夕陽や舞も、陽香のあまりの泣きっぷりに驚き、自らの動揺を忘れてしまったようだった。

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