メメント森手前広場
森の奥へと分け入っていく小路。
太陽の光が枝葉に遮られ、分散した木漏れ日となっている。昼だというのに小路の奥は薄暗かった。歩いている人の姿も見られない。
「この先の、森の中の廃墟で、私の高校の同級生が刺されていた……」
稲達のすぐ隣に立つ芙月が言う。
そのニュースならば、稲達も見た。夕陽ヶ丘新聞という地方紙で見、テレビで流れているのも見た。同様にして、水代永命なる作家の突然死についても確認を行った。
「凶器はナイフのようだね。心臓に突き立てられ、引き抜かれて、そのまま誰も訪れずに失血死。惨いものだ」
「し、失血死って、とてつもなく苦しいって聞きます……やです、そんな死に方……」
「痛みによるショックで失神できたのかもしれないが、そこを考えるのは……まあ、止めた方が良いだろう。共感性の強い人間ならば、幻の痛みが自らの心臓にもやってくるかもしれない」
「うう……」
つらそうな表情で、芙月は自身の心臓の箇所を抑えていた。
「考えすぎるのも良くないな。理くん、人に共感することは確かに美徳だよ。だが、他人と自分をある程度切り離すことも、時には必要となる。自分が苦しんでしまわない為にも」
「分かってますよぅ……」
不貞腐れたような言葉を吐き、芙月は稲達を睨みつけた。現在の不満により、共感の痛みは消えたようだった。
「殺される痛みって、どれほどのものなのでしょうか。想像したくもありませんが……」
「殺された人間にしか分からないだろうね」
ハハハッ、と稲達は笑う。哄笑だ。芙月は一人笑う稲達を呆れたように一瞥し、
「それじゃあ真実は永遠に聞けない、ということですね。生きてる限りは。殺された人間しか分からない痛みを、生きている私たちが聞けるはずもありませんし」
「そうだな。常識で考えればそうなってしまう」
「……なんだか含みがあります。そうじゃないこともあるみたいな言い方です」
「気のせいだろう」
「むぅ……」
芙月は納得いかない様子だったが、稲達はもう何も言おうとはしなかった。無言で、目の前の森の中を見つめていた。果てには廃墟を見ていたのだろう。
「……入れますかね?」
芙月がそんなことを訊ねる。
「無理だな。警察の方々がいたら要らぬ疑いをかけられる」
「そ、そこは所長のお友達の警部補さんのお力添えでなんとか……」
「悪いが、彼に迷惑はかけられない。そうする必要があるならまだしも、今の私たちでは完全な野次馬だ。邪魔になるだけだよ。餅は餅屋。殺人事件は警察に任せるべきだ」
「所長の常識人……」
「非常識が何たるかを知っていれば、常識の輪郭というものもより明確に分かってくる」
「何言ってるのか全然分かりませんっ」
ぷんぷん、と芙月は可愛らしく怒っている。
稲達は微笑ましくその姿を一瞥し、「……おや」とその向こうに誰かを見つけた。
その坊主頭の者は一人、草臥れたベージュのトレンチコートを羽織り、こちらへと歩いて来ていた。稲達は片手を挙げる。その者もまた、片手を挙げた。それが彼らの挨拶だった。
「三択警部補じゃないか」
「よお、探偵さん。こんなところで何をしてるんだ? 捜査の協力をしてくれるのか?」
三択警部補と呼ばれた坊主頭の警察は、にやりと笑みを浮かべて稲達へと言う。
「まさか。私に解決できるようなことじゃない」
「謙遜しちゃってまあ……。っとぉ?」
三択の目が、芙月の姿を捉えた。芙月は人見知りを発揮しつつ、無言で会釈をした。
「ああ、芙月ちゃんか。こんにちは」
にこりと笑い、三択が頭を下げる。「こ、こんにちは」と芙月は返した。
「ハハハ、やっぱり良い子だな。お前も姪御さんといっしょに散歩するような歳になったか。老けたもんなあ、俺ら」
「いつまでも若くはいられない。かと言って若さにしがみ付くのもどうかとなる。何処かで意識して能動的に歳を取らないといけないものなんだよ」
「その通りだわ。まったく」
三択は嘆息するように肩を落とす。おどけた動作だった。
「廃墟の方へ行くのか」
「ああ。現場検証再び、ってところだよ。もう何人か先に行ってる」
「そうか……犯人の目途は」
稲達が問うと、三択はハハと笑い、「そりゃ部外者には言えねえな」ともっともな言葉を言い、「まあ、予想はついていることだろうし、お前が黙っててくれりゃあいいんだがよ」とゆっくりと首を横に振り、稲達を見た。
「何にも、だよ。誰が殺したのかさっぱり分からん。凶器には当然指紋がついておらず、現場には犯人の落とした都合の良い証拠は全く見つからなかった。血眼になって虱潰しに探してもな」
「衝動的な殺人じゃなかったってことか」
「ああ。犯行そのものは計画性を伴っている、と俺は見てるね。殺した奴は、殺された高校生男子を殺すつもりであの廃墟へ連れて行き、そして殺したんだ。反吐が出る……ま、解決できそうなら歓迎するぜ、探偵さんよ。これを聞いちまった時点で、お前はもう部外者じゃあない。捜査にご協力頂けるのならば、いつでも是非とも、連絡を」
「ハハハッ、私の気が向くまでに解決してしまうんじゃないのか」
「そうあってほしいものだね」
そして三択は歩き出し、「あんまり待たせられないんだよ。じゃあな。芙月ちゃんもさよなら」と振り返って微かに疲れたような笑みを浮かべると、森の中へ入って行った。
「なんだか、疲れてるようでしたね……」
三択の背を見送る芙月のそんな言葉に、
「犯人の証拠が皆無……無理もないだろう」
と稲達は眉を顰めた。