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休校だった

 朝方、休校の電話連絡が回ってきた。


「それじゃあ、そういうことで……はい。また」


 連絡網の次の人間へ電話して本日が休校である旨を伝えると、俺はそのまま顔を洗いに洗面所へ行った。今は朝の六時、外は晴れ……ではない、曇りだ。精彩を欠いた灰色の空が、この街にどんよりとした影を落としている。


「おはよ」


 パジャマ姿の陽香が二階から降りてきて、ふああ、と欠伸をした。寝相のせいか、裾が捲れ上がってへそが出ている。いつものサイドテールは解かれていた。そのまま彼女は洗面所へ行くと蛇口から水が出る音と口をゆすぐ音が聞こえて、また出てきた。


「今日は休みだってさ」

「ん。まあ、そうよね……」


 浮かない顔だ。俺も、同じような表情を浮かべていることだろう。


「舞と夕陽は?」

「まだ眠ってるわ。舞ちゃんもぐっすり。ユーヒもぐっすり。私は偶々起きちゃったから、こっそり起きてきたのよ」

「そうか……まあ、気持ちよく眠ってくれているのなら、邪魔することもない」

「ね」


 短い返答をし、陽香はすたすたと窓に近づいた。気が滅入るような空色を見、俺の方へと視線を送る。微笑んでいるような、悲しんでいるような、境目の曖昧な表情を彼女は浮かべていた。


「そういえば……夢を見ていたの」

「……どんな?」

「街から、私以外がいなくなる夢よ。私一人だけが置いて行かれて、もぬけの殻の街だけが残っている。朝、私の目が覚めて、いっしょの布団にはいるはずの舞ちゃんがいなくて、もう片方のベッドにいるはずのユーヒがいない。オーリの部屋を訪ねても、オーリはいない。街中を探し回ったわ。大声だって上げた。でも、誰も、誰一人、私の前には現れなかった」


 空っぽの街。いるのはただ、自分一人だけ。

 ぽつねんと佇む俺の目の前には、いつも通りの建物ただそれだけがある。未明、朝、昼、夕方、夜と軌道を描く太陽と月のもと、向きと濃さと大きさを変える影を足元に引き連れるなか、精巧なジオラマに配置された一つきりの人形のように、自分以外に誰もいない街。


「……きつい夢だ」

「ほーんと。最後なんて私泣きじゃくってたもの……夢でよかったわ。夢から覚めたときは、舞ちゃんもいたし、ユーヒもいた。そして階段を降りているときに、オーリの話し声が聞こえてきた。受話器を片手に一人で頷いてるオーリがいたのを実際発見した時なんか、踊りかかろうとすらしたわ。踏みとどまったけど」

「えらいな」

「えらいでしょー」


 ふふん、と自慢げに陽香は胸を張る。笑みが零れた。


「ずっと一人でいないといけなくなってしまったら、人間ってのは頭が壊れてしまうのよ。きっとそうだわ」

「一人を好むタイプの人間にとっては天国じゃないか」

「それはそうだけど……一人を好まないタイプの人間にとっては地獄ってことでしょ。私はイヤ。あーあ、イヤだイヤだ。もしそんな状況になろうものなら、神様を呪って悪魔に祈るわ」


 陽香は両の手を組み、芝居じみた動作で目を瞑る。


「──どうかお願いします。どんな代償でも引き受けます。だからオーリを此処へ連れてきてください」

「アハハッ。俺を巻き込むわけか」

「うん。巻き込む。だってさびしいもん。まともな私ならそんなひどいことはしないでしょうけど、孤独の中で、ほら、私気が狂ってしまってるしぃ? 仕方ないっていうか、致し方なし? だからずっといっしょにいましょうね、オーリ」

「それは、永遠にか」

「永遠によ。延々と二人っきりの舞台。観客なんて必要ないわ。二人だけで良い。ずっといっしょ」

「いずれ飽きるぞ。俺と言う人間は、永遠に楽しめるほど上等な出来じゃない」

「二人して気が狂えば良いのよ。まともだからこそ退屈を感じるのでしょ? 正常だからこそ倦怠に苦しむのでしょ? ならまともじゃなくなればいいの。異常に浸り切ればいいの。二人で狂気の国を築き上げるのよ。きっと楽しいわ……」


 そう口にする陽香の顔は緩んでいる。にへへ、となっている。彼女の幸せは確かにそこにあるのだろう。彼女は真に、俺と居られることを望み、叶えば心から喜んでくれるのだろうことは瞭然だ。彼女の言葉に嘘はなく、その感情に偽りはない。


「まあ、いずれな」


 そんな言葉が口から出た。意識よりも先に出た。


「待ってるからね」


 ふ、と口元で微かに笑みを作り、陽香は「お腹減ったわ」と言葉を継いだ。この会話は終わりだ、という合図。これ以上は引きずらず、俺も「減ったな」と返事した。

 

「朝ごはんのご用意といきますか。みんな学校休みなんだし、いつも舞ちゃんに作ってもらって悪いし」

「俺も手伝うよ」


 手伝おうとするたびにキッチンから追い出されていたんだ。せめてこんなときだけでも手伝って何も罰は当たらないだろ。


「えー? 任せていいのに」

「是が非でも手伝う」


 返答を聞く前に、キッチンへ向かう。


「もー強引なんだから」


 ぱたぱたと、陽香が後をついてきた。いつの間に結い上げたのやら、彼女の側頭部には立派な茶色の房が付いている。いつものあのサイドテールは彼女が彼女である証……は少し、大袈裟か。


「んー? なーに?」


 視線に気づいたのか、陽香が首を傾げた。


「いや……良いサイドテールだな、って」

「あははっ、どしたのいきなり褒めちゃってー。いつも見てるでしょーに」


 軽やかに嬉しそうに笑うと、陽香は「気合入ったわ」と腕をまくり、冷蔵庫の中身を覗き込んだ。

 

「腕の見せ所よ。私の腕がどれだけのものか、分からせてあげるから」


 せかせかと動き続ける陽香があっという間に朝食を作りゆく。慣れている。俺はといえば、味噌を溶いたりご飯をよそったりと地味に手伝った。


「はい、できあがり」


 テーブルの上には、ご飯、ネギ入りのみそ汁、形と色合いの良い玉子焼きに、焼き鮭、レタスとブロッコリーのサラダが並んでいる。食欲をそそる見た目と匂いと……赤色はない。肌色も。避けたのだろう、意図的か、無意識にか……いや、鮭があったか、色が少し近いな。玉子焼きの黄色だって……昨夜の、アレに……


「オーリ、ちょっとユーヒと舞ちゃんを起こしてきてくれない? あんまりぐっすりなら、後からでも構わないから」

「分かった」


 返事し、階段を上がる。

 生理的欲求は正常に機能しているらしく、食欲はあった。美味しそうな食事を前に、唾だって出てきた。ただその背後に、昨夜の色合いも同時に佇んでいた。それだけだ。食えはするだろう。食事の間だけ、目の前の食べ物と自らの食欲に注視していればいい。

 両親の寝室の扉を開ける。

 ベッドが二つ。両方に人が横たわっている。


「……いや」


 普通に了承し、普通にこうして起こしにやってきたが……。

 考えてみると、起こしに行く役目は陽香の方が適任だったのでは。異性か同性かの違いではあるけれど。舞はともかく、夕陽は……


「まあ、大丈夫だろ」


 自分に言い聞かせ、まずは妹のところへ。掛け布団をかぶり、仰向けに気持ちよさそうに眠っている。


「舞」


 呼びかける。


「ん……。ふ……つき……せーるすはおことわりっていって……」


 寝ぼけていらっしゃる。


「セールス違う。お兄ちゃんだ」

「おに……? なら、おことわらずで……ふつき……ふつき?」


 ふつき、とは誰のことだろう。学校の友達か。

 薄く、舞が目を開ける。「あ、おにーちゃんでしたか」と寝ぼけ眼で呟く。


「ああ、お兄ちゃんだ。朝食できてるぞ。眠いなら無理強いはしないけどな」

「たべう……」


 フラフラと緩慢な動作で起き上がり、舞はぐ、と伸びをした。次は夕陽だ。お行儀よく、こちらとは反対を向いて眠っている夕陽の後頭部が見える。なに、「起きろ」とひとこと言えばいい。それでいい。近づくと、顔も見えた。静かに目を瞑り、微かな寝息を立てている。……。


「……舞」

「なに?」

「夕陽、起こしてくれるか」

「ん、いーよー」


 ……これが最適な判断だ。泊っているとはいえ、朝いきなり異性に起こされたりしたら驚くだろうから。恋人という間柄でもないのなら尚更に。

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