五人目が死んだ
最初に死体を見たのはいつだったか。
……ああ、思い出した。小さなころの、病院からの帰り道だ。廃墟でドジを踏んで病院に運ばれて、その退院の日だった。俺の両親と一緒に陽香が迎えにやってきて、退院となった。
そして父さんの運転する車で帰る途中、十字路で轢き潰された人間の姿を見た。赤い液溜まりの中にうつ伏せで沈んでいて、見るからにおかしいのに、一つのオブジェクトみたいに日常の中に溶け込んでいた。死んでいるのだと言われて素直に納得できるぐらいには形が崩れていて、慌ててハンドルを切っていた父さんの姿が記憶に残っている。俺と陽香に見せないようにしたのだ。俺は見たが、陽香は見ていない。見なくてもいいのだ。ニュースで映されることはなく、新聞に載ったりもしない。死んだ人間の姿は、日常が勝手に隠してくれる。
「け、警察、呼ばなきゃ……」
うわ言のような言葉に、意識が過去の十字路から戻ってきた。
過去の死体から、現在の死体へと。
先ほどよりかは冷静に見ていられる。それでも、見たくはない。特に、顔は……それがついさっきまで生きていた友人だと否が応でも分からせられる。
「オーリ、警察……」
口元を手で押さえ、乞うように陽香が言う。常の太陽のような彼女の笑みは沈んでしまっている。夕陽は腰を抜かしたのかぺたんと芝の上に尻もちをつき、顔を逸らしていた。
「分かってる」
陽香に答え、視線は近泉の死体よりも少し上に注がれている。
なにかが幹の部分に張り付いていたからだ。
遠目にそれは、赤かった。赤く、人間の肌のような色をしていた。
樹の幹にびっしりと張り付いているそれらは不釣り合いな大きさのアルファベットを成し、赤く肌色をしている文字達は──Memento Moriと、そう描かれていた。不思議な飾りつけ。どうやって、と注視すると、丸いものが四隅にある。画鋲、だろうか。文字の基となっている肌色の切れ端に関しては、思考を働かせなかった。分かってはいる。それがなんであるのか分かってはいるのだ。けど、分かりたくなかった。分からない振りをしていた。
視線は、その下へと。
幹に背を預ける少女は、だらりと舌を出している顔があり、胴体があり、右腕がついていた。しかしまともな箇所はそこだけだった。服を着ていないその裸体。制服は、よくよく見れば近くにすべて投げ捨てられている。左腕が肩口から無くなっており、左脚もない。周囲にも見当たらない。ただ赤い断面が見え、白い骨が覗いている。マネキンとは違う。中身がある。右脚の付け根、大腿部と胴体の間には鋸がくっついていた。歯は見えない。肉のなかに入ってしまっている。
「う……!」
再び、こみ上げる。
まともな箇所と言ったが、まともな箇所などないと思い直した。
胴体には点々と、内側が見えている箇所がある。皮膚を剥がれている。胴体で足りなければ腕から、首から、頬から、皮膚が剥がされている。剥がされた皮膚は何処へ……答えは既に知っている。説明がつく……あの、樹の幹に貼り付けられているあれら、あの文字達を成しているそれは、目の前のどう見ても殺されている近泉咲の肌の切れ端なんだ。
Memento Mori.
メメント・モリ。
なんて意味だったろうか。
死を忘れるな。
死を忘るるなかれ。
いつか死ぬことを憶えておけ。
お前自身の死から顔を決して背けるな──「オーリっ……」不安げな声に呼びかけられ、俺は陽香の方を向く。彼女は泣き出しそうな表情で俺を見ていた。
「ひとまずここを離れよう」
「う、うん……」
何も言葉を発せずに座り込んでいる夕陽に「立てそうか」と問うと、彼女は無言で頷き、ふらふらと立ち上がった。心もとない足取りの彼女に少し膝を曲げて肩を貸し、「行こう」と陽香に手を差し出す。「え、ええ……」と陽香が俺の手を握り、俺たち三人は、ゆっくりとその場を離れ、入り口から出た。公衆電話は周囲になかった為、そのまま遅い足取りでだが着実に家への道を辿った。近くの家で電話を借りようとは、誰も口に出さなかった。早く、とにかく一刻も早くその場を去りたかったのだ。俺も、陽香も、夕陽も、三人ともが。
近泉の死体から離れるにつれ、徐々に夕陽も陽香も元気を取り戻してきた──ように見えた。足取りが段々としっかりしてきているという、そんな少なくとも表面上の動作では、だが。
帰る途中、誰も、何も、言わなかった。
三人で身を寄せ合い、暗い夜道、誰と会うこともなく、少しずつ歩調を早め。
やがて家に着いた。
鍵は閉まっていて、陽香が鍵を取り出し、解錠する。しっかりと鍵は開いてくれた。そして扉を開け、俺は真っ先に電話のもとへ行き、
「あの、朝陽ヶ丘市の、あの森のところの広場で、人が、死んでて──」
しどろもどろになりながらも、警察へ伝えた。
連続殺人事件の、……五人目が死んでいる、という事実を。
警察はすぐにやってきてくれる、とのこと。我が家の住所も伝えたため、この家にも来ることだろう。渡すはずだった死体の写真はなくなってしまったが。
「警察、すぐに来るってさ」
ソファーに座って放心している陽香と夕陽。
そして不安そうにそわそわしている舞へ、そう伝える。
彼女らは一様に頷いたのみだった。
「……何か、飲み物淹れるよ」
そう言い、キッチンの方へ行った。
「わ、私も手伝う……」
舞が後からついてきて、そんな有難い申し出をしてくれる。
「ありがとな」
「う、うん……」
……どんな飲み物が良いのだろうか。
陽香がいつか注いでくれたように、ココアにしようか。
そう考え、俺は戸棚の中のインスタントココアの袋へ手を伸ばした。