『モルスの初恋』
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見つかってしまった。
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「あ、あぁ? 条理、お前どこを見……」
自らが恥ずかしさを必死にこらえて披露した裸体ではなく、その背後を見ていることに気付いた早紀が振り返り、同様に絶句した。
扉の隙間から、目が覗いていたからだ。
「ひ────」
そんなか細い悲鳴は。
桜花の口から出たものでなく、ましてや早紀の口から出たものでもなかった。
死の口から出たのだ。見られ、怯え、悲鳴をあげて、引き返した。
「……」
死は逃げ去り、部屋の中にはパンツ一枚だけの早紀と服を脱ぐ兆しすらない桜花だけ。先ほどのような雰囲気とはまた色が変わり、早紀自身、冷静さを取り戻しかけていた。取り戻しかけた途端、自らの行動の愚かさが具体性を持ち始めた。はっきりとした輪郭を伴って、羞恥を呼んできた。
「……条理。今のは忘れてくれ」
「……すまない」
冷静な頭となり、早紀は脱いだ下着を、服をまた、拾い上げ、
「あ、そうそう条理、一つ、許してくれるか?」
と早紀は服を片手に、つかつかと桜花へ近づく。
目のやり場に困り、桜花は視線を伏せたまま、「ああ、大丈夫だ」と内容を聞く前に頷く。
「そっか──」
桜花の返答に早紀は目を細めると、空いている方の手を振りかぶり、
「づっ……」
桜花の頬を手のひらで張った。パチンと小気味良い音が、室内に響いた。
「ケガれの無い処女の裸を見てしまった罰だと思ってくれ。見せたの私だけどな……まあ、じゃないと私もお前も、納得できないだろ。オチがつかないんだ」
「ハハハ……良いビンタだな。スナップが効いてる、さすがバレーボールやってるだけある」
桜花は視線を伏せたまま笑い、そんな彼の姿を早紀は愛おしそうに見つめ「すっげえ変態みたいな発言だぜ、それ」と屈託なく笑うと服を着始めた。その間、桜花は視線を逸らしていた。
「なあ」
「なに?」
「私の裸、実際見てどうだった? お前的には」
「……綺麗なもんだったよ」
「そっか……ねえ条理、もういっかいビンタしていい?」
「なんでだよっ」
「あはは、なんとなく」
服を着終わると、早紀は黙って室内を見渡し、ゆっくりと口を開く。
「……帰ろうか」
「ああ、帰ろう」
やがて二人は、また来た時のように、室内での出来事などなかったかのように二人並んで廃墟を出た。そんな後ろ姿を、別の部屋に逃げていた死が見つめていた。
欲しい。あの身体が欲しい。
そうすれば身体が出来上がる。完成する。
もう怖がることなく、怯えられることなく、自信をもって『私』を彼の目の前に持って行けるのだ。
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森の中、薄暗い電灯に照らされ去りゆく二人組。
その背後から死が後をつけていく。
森の中の小路を進む条理桜花と遠泉早紀の後姿を追い続ける。
ふと、桜花が背後を振り向いた。
その視線が、死を発見した。今度は死は逃げなかった。
桜花が隣の早紀に何事かを言う、早紀が振り返り、彼女もまた死を見つけた。
彼らは一斉に走り出した。
森の小路を一気に駆け抜け、広場の出入り口まで一息に走って、そのまま二人連れ立って走って行った。死はその後を追いかけることなく、広場の、四阿の付近にいた。
楠の根元には鞄が二つあった。
どうなることだろう。
そう考えつつ、死は楠の根元に佇んでいた。
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森の小路で背後に死を見つけ。
桜花は早紀と共に全速力で、口から血を吐くんじゃないかと思うほどに全力で走り、まずは早紀の家まで彼女を送り届けた。
「お前、ほんとに足……速いな……」
ばくばくと激しく脈動する心臓を抑え、桜花は路上に膝をつく。遠泉早紀の足の速さに合わせたために凄まじく疲れてしまった。喉の奥に血の感触すらした。
「鍛えてるからな。帰宅部のお前と違って。入ればいいのに、男子バレー部に。人足りてないみたいだし。ていうか入れよ。部活だって青春なんだぞ」
「ははは……まあ考えとくさ」
「へー。それとも穂乃果が入ればお前も入るのかな。穂乃果の方を勧誘してみよっと」
不貞腐れたように口を尖らせ、早紀がそう言った。
その後、心配する早紀へ「平気だ」と手を振り、息をどうにか整え終わった桜花は一人、帰路に就いた。
発汗により服が濡れ、身体に受ける風が実に冷たかった。
無事に家へ辿り着き、心配する両親へ「友達と遊んでいた」と答えて「今は殺人犯がいるんだから」とお叱りを受け、反省したまま自室へと戻った。
そしていつも鞄を置く机の脇に鞄を置こうとし、やけに両手が軽いことを思いだした。あるべきものがなかった。
「鞄忘れた……」
逃げるのに精いっぱい過ぎて、広場に鞄を置いていたことを忘れていたのである。
桜花は悄然と肩を落とす。自分が忘れたと云うことは、早紀もまた忘れている。そう思い至り、上着に入れっぱなしにしていた携帯を取り出し、登録していた遠泉早紀の番号へ電話をかけた。
どれだけコールを重ねても、早紀は電話に出なかった。
「……」
桜花は無言で、けれどもせわしない動作で脱いだ上着を再び羽織り、階段を駆け下りて、「どこ行くの?」という母親の言葉に「コンビニ」とだけ答え、母親が何かを言う前にはもう、家を飛び出していた。
まさか、と考えていた。
最悪の想像が、桜花の脳裏で渦巻いていた。
そしてその想像は──大当たり。