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『モルスの初恋』

     34


「廃墟の方、行ってみないか」

 早紀のそんな提案に、桜花は怪訝な表情を浮かべ「そっちになにか心当たりでもあるのか」と問う。早紀は「好奇心だよ」と答えただけだった。一人ならば恐ろしくて踵を返しただろうけど、今は二人だ。そんな考えが、早紀の行動を後押しさせた。

「分かったよ。けど暗いから、本当に気を付けていくぞ」

「りょーかい。ほんとに付き合い良いねえ、オウカくんはさ」

 からかいが多分に含まれる調子で、早紀は笑った。

 そうして二人は、未明ヶ丘の森の奥へ続く小路の中へ入って行った。

 遠い山々の稜線に夕陽は沈み、電灯が点き始めた。


     35


 舗装された暗い路、明滅する心細い電灯。

 左右は木々が満ちている。鬱蒼と陰って、奥の方は真っ暗闇。

「さすがに暗いなぁ……」

「だな」

 左見右見しながら、早紀は心なしかゆっくりとした足取りで歩んでいる。その歩調に合わせるように桜花はいっしょに歩いていた。目の前の道はゆるやかにジグザグになっていて、先の方まで電灯のポツポツとした明かりが続いていた。森の切れ目は未だに見えない。

「そういえば条理ってさ、この森の中の廃墟に行ったことあるんだろ?」

「だいぶ前にな。穂乃果から聞いたのか?」

「うん。確か……穂乃果と、条理と、三宅、  のヨ人だったって聞いた。そのときの探検隊のメンバーは」

 過去を思い出し、桜花は自らの行いに苦笑した。

「その探検の結末は、独断行動を取っていた俺が床を踏み抜いて落っこちて後頭部を強打したっていうものだよ」 

 笑いながら桜花が言う。

 廃墟探検の途中、穂乃果と衛門を置いて桜花はのんびりと廃墟の二階を歩き回っていた。すると脆くなっていた足場をうっかり踏み抜き、そのまま一階に落下、後頭部を強打してしまった、という結果に終わった。天井がそう高くなかったのが幸いした、と後日桜花は聞いた。

「我ながらなんて間抜けさだ」

 ドジの痕跡が古傷となり、今も桜花の後頭部に残っている。

「聞いた聞いた。死にかけたんだってな」

 早紀が笑う。桜花も笑った。

 死にかけた、という重大な事ではあるが、もう過ぎたことだ。笑って話せるぐらいには過去となっていた。

「いろんな人に迷惑をかけてしまったよ」

 幼い頃の出来事だったが、桜花は昨日のことのように思い出せる。涙ぐむ両親に叱られ、幼馴染たちは泣いていた。病院の先生や看護師さん達からは軽く窘められて、生きていて良かったと微笑まれた。後頭部には消えない傷が残り、そして病室では……あの、黒い影。

 そこで初めて影を……いいや、もう少し前だったか。頭を打った瞬間の記憶が曖昧でぼやけているが……俺はあの廃墟の中で、影を見たような……

「条理。もうすぐだ。ここを左に曲がれば着くんだろ」

 早紀に言われ、桜花の意識は現在に戻る。

 彼らの目の前には曲道があった。

 まっすぐ進む小さな道と、左に曲がって木々の中に入っていく更に小さな道。後者に至ってはもはや舗装すらされておらず、砂利道だ。かろうじて電灯だけが生きている。

 『パトリア』という文字が書かれたピンクの看板が、曲がり角の端っこに黒く泥土に汚れた状態で、木々に呑み込まれてひっそりとあった。パトリア。故郷パトリア。死の故郷、である。

「行くか」

「ああ。良い肝試しだよ、まったく」

 桜花達は曲がり角を左に曲がり、砂利道を進む。

 すぐに、それは見えてきた。


     36


 森の中、ひっそりと佇む──ホテルのような外観の廃墟。

 交わることを目的とした者達の為に用意された場所。見た目はホテルと変わらない。

「ら、ラブホテ、ル……なんだよな」

 如何に桜花と云えども、早紀にとっては異性である。そんな異性の前でその単語を口にするには少々気恥ずかしさがあったのだろう。……いいや、桜花()()()、か。

「だな。パトリアって名前の」

「ぼっろぼろだ……」

「ああ。ボロボロだ」 

 入り口、エントランスへ続くその扉は、ガラス製の自動ドアだった。ただ、もうガラスは割れていて、グシャグシャだった。

「お化け屋敷みたい……」

 目の前にぽっかりと口を開けて聳えるその廃墟は、現在の暗闇も相まって不気味さをこれでもかと醸し出す。

 実際、早紀の言葉通りお化け屋敷に相違ない。中には今、化け物が潜んでいるのだから。

 桜花に見つからぬよう楠の影から飛び出し、走って走ってこの廃墟の中にまで逃げてきた死が、息を殺して潜んでいるのである。


「なあ、中に入ってみないか?」


 にぃ、と目を細め、早紀が桜花を誘う。電灯の明かりで朧げに照らし出され、彼女の表情が不気味に浮かび上がっていた。不安に思いながらも期待する者の表情だった。

「化け物がいるかもしれない」

「あー……そりゃ、イヤだな。そっか、身をひそめるには最適だものな、こういうところ。盲点だった。ま、いいや。入ろうぜ?」

「まいいやって」

「いないさ。きっといない。私にはそんな気がするんだ」

 早紀は、言葉とは真逆のことを考えている。

「それにほら、私こんなこともあろうかと、持ってきてたんだ、ちょっと小さいけど」

 と早紀は制服のポケットの中から、手の平で収まるほど小さなライトを取り出し、光を点けた。心もとない。

 そんな入る気満々の様子の彼女に

「あんまり深くまでは入らないぞ。足を滑らせて後頭部を打つかもしれない。今度こそ死んでしまうからな、俺」

 と桜花は自嘲的な笑みを見せた。

「そんときゃ私が走って助けを呼んできてあげるからさ」

 早紀は笑い、「ほら」と桜花を手招いた。

「……」 

 なんとなく、桜花は振り返った。

 ついてくる者は、誰もいない。そりゃいない。影はついてきておらず、むしろ桜花達が追いかけてきたのだから。背後にはおらず、前方に潜む。

「あ、やべ」

 何かに思い至ったのか、早紀がしまったという表情を浮かべた。

「どうした?」

「私たち鞄を忘れてきてない?」

「あ……」

 桜花もすっかり忘れていた。

 自分達の鞄、楠の根元に置いたままだった。

「ま、いいか。帰りにとりゃさ」

「そうだな。帰りは忘れないようにしないと」

 そして、二人はぽっかりと口を開けた廃墟の中へと踏み込んだ。

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