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廃墟へ向かった

 なんてことはないような訊ね方で、ゆるやかに、近泉の瞳が真正面から俺を見る。少しキツめの彼女の視線にじぃっと見据えられ、答えられずに二呼吸程の間が空いた。


「……悪いが、はっきりと答えられない。殺されたことがない俺は、想像で答えるしかない」


 殺される感触は、殺された者にしか分からない。

 殺された者は、生きている者と会話できない。

 生きている者は、殺された者ではない。

 生きている者では、殺される感触は理解できない。


「なんだ。久之木ならあるかと思ってたよ」

「あるわけないだろ」

「いやさ、久之木ってさ、お前……なんというかな、冷静すぎやしないかって思うときがあるんだ。淡々としていてむかんどーで……そう、無感動だ。無感動な男なんだよ、お前」


 無感動。心が動かないということ。


「アハハ……ひどいことを言う」

「あ、ああ、わるい。今の言葉はひどすぎたって私自身も今思った。バクゼンとした印象だよ、いつもそうだというわけじゃない。時々な、ときどき、ふと、お前を見てたらそう思ってしまうんだ。静かで冷え切っていて、まるで──いや、またひどい言葉が出てきそうになった」


 気まずそうに頬をかき、近泉は斜めに視線を伏せた。


「言ってくれ。途中で言い淀むなんてお前らしくない」

「はははっ、私って久之木から見たらそんなさっぱりさばさばしてんの?」

「うん」

「言い切ってくれるね。……ま、いいや。久之木が望むんなら言うよ。聞いたあとで怒んないでよ」

「約束する」

「はあ。それなら、言うさ──死人みたいだ、って思うときがあるんだ。死人みたいにだんまりだからって意味じゃなくてさ、死ぬことを経験して……タッカン? って言うのかな、そんな風になっちまってるようなカンジ」


 たっかん。達観。物事に動じない。


「近泉、それは違う。俺は物事に動じまくる男だ。達観しているように見えるソレはハリボテだろうよ」

「あははっ、堂々と情けないことを言うなよ」

「事実なんだから仕方ないさ。そもそも俺死んでないし」

「分かってるよ私だってそれくらい。印象の話だって言ったろ。久之木、お前はきちんと生きてるよ」


 近泉が笑う。つられて俺も笑みが浮かんだ。

 全ては印象の話である。死人のように見えたとしても、そう見えただけだ。見えただけなのだ。事実としては生きている。動き、喋り、思考する俺が生きていないのなら、他の誰も生きていない。だから、俺は生きていヂな、ぁ 

                           い  だ


「ぉ。あ……!」

「お、おい久之木? どうした!? 久之木!」


 ノイズ音。突如生じた胸部の激痛。痛みのあまりに膝をつき、痛みの箇所である左胸を抑える。突起の感触。視線をやればナイフが 生えていヂヂ る。いない。


「胸が痛いのか? い、今、救急車を呼んで……」


 走り出そうとする近泉の腕を掴み引き留め、不安そうに瞳を揺らしつつ俺を見る彼女へ「なんでもない」と首を横に振った。実際、今はなんともない。痛みもなければ、ナイフが生えているわけでもない。すべては幻。幻覚だ。


「けどさ、お前痛がり方が尋常じゃなかったぞ」

「……お前の驚き方もすごかった。珍しいな、良いもの見せてもらった」


 笑う。できるだけからかいの調子が含まれるような笑い方で。


「は……ま、まさか演技なのか? こんなときなのに」

「良い騙されっぷりだった」

「おま……!? ったく、心配して損した!」


 もう、とばかりに両腕をぴんと伸ばし、近泉は俺を睨みつける。それも束の間、やがて笑みが零れだし、「まあ、なんともないなら良かったよ」と後ろを向いた。


「……ああ。悪かった」


 近泉の背中に、そう謝った。彼女からの返答は何もなく、数拍ほどの間を置いて、おもむろに肩越しに振り返り、言う。


「なあ、もう少し時間、大丈夫?」


 夕日はさきほどよりもずっと落ちている。


「大丈夫だ」

「そうか。なら、この先に行ってみないか?」


 と、近泉は視線を、森の中へ入っていく小路へと向けた。朝陽ヶ丘の森の中にのびている、散歩道としてしか機能していない小さな道だ。


「あの廃墟に、私、行ってみたいんだよ」


 そう口にする近泉の横顔は、薄い笑みが貼りついていた。

 薄闇が景色に混じり始めている。広場の敷地内の電灯がちかちかと、明滅し始めていた。


「そうだな。断る気はない」

「さんきゅ。久之木、お前のそう言う人の良さ、好きだよ」


 さらっとそんなことを言い、近泉は微笑む。柔らかく、控えめな笑顔。どちらかといえば男らしさを常々感じる近泉にしては珍しい表情だな、とそんなことを思った。

 

「じゃ、行こうか」


 鞄を持ち上げて近泉は歩き出し、すぐに止まって俺を見た。俺が彼女の傍に並ぶと、何も言わず、また歩み始めた。並び、俺たちは朝陽ヶ丘の森の中に入る小路へと入った。


 向かう先は廃墟。朝陽ヶ丘の森の中にひっそりと佇む、もはや死んでしまった建物。

 

 かつて俺が死にかけた場所。

 死にかけはしたが、結局は死ななかった処。

 久之木桜利という生者が、死に損ねた一連が映された場面。

 

 俺を迎えに現われた死の──おそらくは、故郷とも云える。

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