『モルスの初恋』
29
「犯人探しに付き合ってくれない?」
放課後、突然の遠泉早紀からの申し出に、桜花は目を丸くした。
「犯人って」
「佐藤真理先輩の死体が未明ヶ丘の森手前の広場にある四阿で見つかったのは知ってる?」
「い、いや、知らないが……」
初耳だった。
佐藤真理が死んだこと自体は知っているが、何処で死んだのかは或鐘先生も口にしていなかったからだ。
「ニュースで言ってた。クラスでも噂になってた」
淡々と言い、「はあ」とため息を一つ吐くと、早紀はもう既に帰宅した他の男子の席にどっかりと腰を下ろした。
「知り合いなのか」
「部活の先輩」
「先輩……そうか」
「休日に遊ぶぐらいには仲良かったんだぜ? 私と真理先輩って」
おどけたように早紀は言っているのだろうが、その笑顔は引きつっていた。無理な笑顔だということは桜花にも伝わった。遠泉早紀は現在、無理をしている。負荷がかかっている。近しい者──この場合の近しいが指すのは佐藤真理のみであり、園田咲良と小瀬静葉は含まれていない──を殺されて、早紀は心の底から嘆いている。表には出さないものの、こうして条理桜花を頼ってしまうほどには、追い詰められているのである。殺人とはかくも罪深い行為なのだ。易々とピクニック感覚で行うものでは決して決してないのである。
「暇だしさ、私、今。部活はもちろん中止。学校側は早々の帰宅をゴスイショーいたします、ってところで。仲の良い子はみーんな怖がってちゃっちゃと帰っちゃった。どうしたもんかなぁ、って思ってたらさ、条理が暇そうにぼんやりしてたから、ついついひと声かけちまったんだよ」
「犯人探し、本気なのか」
「ああ。本気だよ」
桜花の脳裏に、影がちらつく。
不自然な肉体を部分的につけた化け物の姿が蘇る。
「見つけてどうする」
「警察に突き出す」
無理だ、と桜花は思った。
その警察が、あの化け物を認識できなかったのだから。
「なんで」
桜花は、根本的な問いを口にした。
──遠泉早紀は何故、犯人探しを行おうとしているのか。
という、そんな疑問を訊ねたのである。
桜花の問いを受け、早紀は不愉快そうに眉をひそめた。聞かれたくない問いだったのだろう。だが聞かれた以上は、答えるか答えないかを選ぶ必要が生じる。
「……真理先輩の仇討ちだよ」
結果、早紀は答えることを選択した。
殺された佐藤真理の仇討ち。つまり殺すということだ。これは比喩ではなく、早紀は本気でそう考えている。長く見れば恐怖と抑圧と悲愴と憤怒が入り混じった一時的な殺意なのであろうが、現在殺意があるのは確かなのである。殺したいほど憎んでいる。早紀の瞳の揺らめきに、桜花は返事を躊躇った。どのような言葉をどんなふうに返すべきなのか、悩んだ。
「……分かった。手伝う」
「さんきゅ。助かる」
桜花の言葉に、早紀はシンプルに礼を述べ、やはり引きつった笑みを浮かべ、云う。
「条理。悲しい情報だが、この街には探偵がいないんだってさ」
「ありふれた職業ってわけでもないしな」
「だったら──私たちが探偵になればいい、ってそう思わないか」
冗談めいた口調に、桜花は苦笑を浮かべ、
「そしたら、どっちがワトソンになる?」
「そんなのさ、条理、お前に決まってるじゃんか」
そうして、早紀の言葉により条理桜花はワトソン役と相成った。
「地味だな」
「地味って。ワトソンに失礼だぞ。探偵にとって必要な人間なんだからな。探偵はだいたいダメ人間だ。だからワトソンがいないといけないんだよ」
彼女なりの偏見を交えた言葉に、桜花はまたもや苦笑した。
30
「なにか目途はあるのか」
「ない」
「ないのか……」
訊ねて、きっぱりと言い切られて、桜花は頭を悩ませた。
「とりあえず現場に行ってみるっきゃねえかなって」
「森んところの広場にか」
「うん」
「警察いるだろ」
「いるかもな。でも、いないかもしれない。行ってみなきゃ分からない」
にい、と早紀は口角を上げ、
「桜花は──付き合ってくれるだろ?」
断定口調でそう言った。
「いいさ。どうせ暇だ」
「ありがと。死にたがりさん」
そんな言葉を、桜花は言われた。
口にした早紀の方は軽い口調で冗談めかし、にこりと笑って楽しげだ。
「死にたがりとはひどい言われようだな」
桜花が苦々しげに笑う。
死にたがり。死へ早く向かいたがっている人。死に急ぐ男。死にたがりと云われる筋合いはない、と桜花は思う。生きることに意欲的ではないものの、死にたいとも考えていない。
「殺人犯のうろつく街を動き回るなんざ死にたがりの所業だろ」
「確かになぁ」
果たして、死出の旅路はどちらの先に。
まあ、今云ってしまえば両者の前に続くがソレだ。条理桜花はまだ死なないというだけのこと。やがて死ぬ。いずれ死ぬ。あるいはもう──死んでいる?
31
死ぬとはつまり、死と結ばれると云うこと。
自らの死と契るということ。
ではでは、死んだ人間が蘇ると云う現象はどう捉えられよう?
一度死と結ばれた者が、再び引き離される。
死者から生者となった者がそこから更に──死、以外の──他の者と結ばれるとなるとどうなるか。死は、自らの相手を奪われたということに他ならないではないだろうか。
端的に言うならば、死は寝取られる形となるのだ。
自らの表側、魂の半分、二分された運命の片割れ、好きで好きで仕方のない好意を示すに躊躇しない大好きでたまらない相手を、奪われたのである。
死者が生者に戻るという願いが叶うと云うことは、つまりはそういう事実を示す。
だから死は、死者が蘇ることを良しとしない。
死者が蘇ることを願う者を好ましく思わない。
愛おしき者を奪いゆく不条理を願う者を厭う。
全ては仮説だ。裏付けのない戯言に過ぎない。
そもそもが、である。
死なんてものは概念であり思考する人間の一人としては存在しない。
死ぬことは非可逆であり死んだ誰かが蘇ることなど到底あり得ない。
(故に異常に延べられたる31節は不毛な文章となります。読者の皆様方には不要で理由の分からないものとなりましたことをお詫びします。お目汚しを死連れ意志ました。
しかしけれどもともすれば、この文が伝わる方もいるかもしれません。
人型の死に出会い、黄泉の国より蘇った経験をお持ちの方が、ひょっとすればこの世のどこかで今も生きて(つまりは死んでいない)死を逃れて(彼女から逃げのびて)いるのかもしれません。そのような方がいるのであればと熟慮した末、この31節をここに載せたままこの本を世に出しました。改めて死と無縁の方々にとってワケが分からず不要ではないかととれる文章となりましたことをここにお詫びいたします。引き続きこの物語をお楽しみいただければ書いた我が身として欣幸の至りであり、彼女へ対する自慢話の一つとなりましょう)