探偵の下から去った
朝陽ヶ丘の森手前広場の、四阿。
それも昨夜。椎尾真理はそこで殺された。
待て。待ってくれ。それじゃあ……
「……私たち、そこに行ったわよね? 昨日の夜」
夕陽が言う。
「行ったわ。確かにね」
陽香が答える。
「四阿も……覗くだけだったが、見たな」
俺たちは昨夜朝陽ヶ丘の森手前広場に行き、敷地内をぐるりと歩いたのだ。そこで四阿の中も覗き込んだ。誰もいなかった。そのときは、誰もおらず、何もなかった。椎尾真理の死体はなく、殺人犯の姿もなかった。
「私が帰った後、陽香たちもすぐに帰ったんだよな?」
近泉が言う。声が少し、震えている。
「もちろんだよ」
答える。あの後俺たちは帰宅し、侵入者騒ぎがあり……写真が、なくなっていた。
「君たちは手前広場の中にいたのかい?」
稲達さんが目を丸くしている。驚いている者の表情だ。
「え、ええ。いました。そのときには、まだ、なにも……ありませんでした。だから、たぶんその後、なんだと思います」
夕陽が訥々と答える。彼女は真実を述べている。
「そうかい。それは……危険、だったね。君たちはニアミスしたわけだ──殺人犯と」
稲達さんが言う。その言葉は真実のように思える。俺たちはすれ違った、のかもしれない。殺人犯の姿と、椎尾真理に──ん? なら、その時にはもう、俺の家は侵入され、写真を盗まれていたのか……いや、盗まれた、じゃないのだろうな。回収されたんだ。元々の写真の持ち主に。
「危ないところだったわね」
陽香が言い、サクリとお菓子を口にした。出された菓子の大部分を、彼女とレモンが食べてしまっていた。
「本当にね……」
夕陽が同調する。表情に元気がない。無理もない。犯人は……きっと、恐らく、椎尾先輩を暴行した。暴行し、殺した。聞いて気分の良い話では決してない。
「真理先輩は……強姦って、ことですか……」
近泉が、わなわなと身体を震わせ言う。その単語を口に出す。
「──いいや、警察の見解はどうも違うようだ」
「へ……?」
見解が違う?
「椎尾さんの爪に、他の人物の肉片などは挟まっていなかった。暴れた形跡もなかった……恐らくは合意の上での行為だ、という方向で進んでいる」
合意の上での。
合意した上で行為に及ぶような間柄であった。即ち、恋人だ。恋愛関係にある者同士の可能性が大きい。
「けど何でそんな場所で……」
夕陽はそう言うと、理解できないと云う風に額に手を当てた。
「外だとより一層興奮する性質だったのかもしれないわね。シーオ先輩と、その恋人とやらは」
真剣な表情でそんなことを言う陽香を、夕陽が睨みつけ、はあと力なく息を吐いた。言ってることは言ってることなのだが、それも間違いだと言い切れないのだ。外で行為に及ぶ理由など、当人たちにしか分かりっこない。
「行為が終わり、その後に殺された」
稲達さんがそう締めくくり、事務所内に沈黙が満ちた。
流れだけを聞くと、単に恋愛沙汰が殺傷にまで至ったようにも見える。きっとそうではないのだろうが、そう思えてしまう。それ以前に人が死んでいなければ、俺はただの痴話喧嘩の末の悲劇だとオチをつけてしまったかもしれない。けど、事態はそうでない。そうではないのだ。現実に、その前に殺人が連鎖しているのだから。この殺人もその延長線上にある可能性は十分すぎるほどに大きい。
「私が聞いたのは、それだけだ」
稲達さんがぽつりと言うと、自分の分のコーヒーに口をつけた。
椎尾真理の殺人事件についての話は、これにてお仕舞とばかりに。
「……帰ろう」
沈黙の場でそう言ったのは近泉だった。意気消沈と、肩を落としている。
「そうだな。すみません、稲達さん。ご迷惑をかけた上に、お菓子までご馳走になってしまって」
俺たち五人は、目の前の探偵に向けて、謝罪と、礼を言う。
「ハハハッ。構わないさ。いつだって来てくれたまえ。けど今度はきちんとドアをノックして、私がいない場合は待ってくれないといけないよ」
稲達さんは朗らかに笑い、そんな風に冗談めかした。
俺たちは今一度頭を下げ、探偵事務所を辞去した。
◇
外は暗かった。
事務所の階段を下り、通りへ出る。人の往来は少ない、というより全くない。街路樹は電灯の明かりに光り、店々の明かりが外に漏れ出ている。
「あー……なんか疲れた。途中からなんつーか、話の流れについてくのが精いっぱいだったぜ。頭から煙でそう」
レモンが伸びをし、そんなことを言った。確かにレモンは後半、ずっと黙り込んでいた。
「まあ、おかげで分かったことはたくさんあるわ」
歩きつつ、陽香が言う。
「シーオ先輩に恋人がいて、それで浮気されてるかもで、あの探偵に浮気調査を依頼しようとしていて、アオカン趣味があって、森のところの公園の四阿の中でお盛んになって、その後殺されちゃったってこと──てことは、犯人はその恋人ってことでしょ?」
「そういうことになる」
アオカンってなにぜ? とレモンにそっと尋ねられた。聞こえていたのか、夕陽も俺を見つめている。返答に一瞬窮し、「青空の下で楽しむことだよ」とだけ答えた。間違っちゃいない。「おおう、そんな言葉あんのな……」とレモンは口をつぐんだ。理解してくれたようだ。
「なら、この一連の殺人事件も、その恋人さんが犯人じゃないの? 人を殺し、殺して……それで」
その先を言おうとし、さすがの陽香も黙り込んだ。
恋人が犯人ならば。その者を好きだろう椎尾先輩は、果たしてどのような行動に出るのか? 知らなかったならそれでいい。けれど、もし知っていたならば?
恋人の殺人を……どう、受け止めるのか。ともすれば……
「真理先輩が、殺人に協力してたかもしれないってことだろ……」
近泉が言う。陽香が言うのを止め、俺が今考えていた可能性について口に出した。
「それで、四阿の中で口論か何かになって、殺されたんだ」
つまりはそう、そういうことなのである。
それが事実である可能性もまた、存在する。