探偵に注意された
「駄目じゃないか。勝手に入っちゃ」
至極真っ当な窘めに、俺たち五人は揃って項垂れ、「すみません」と謝った。
黒い革張りの大きなソファーに五人がそれぞれ座り、目の前には湯気を立てる来客用であろう白と金の意匠を施された高そうなコーヒーカップが五つ並べられ、テーブルの真ん中には市販のお菓子が積まれたバスケットが置いてある。ついさっきは名刺まで頂いた。五人にそれぞれ五枚。
『稲達探偵事務所
代表 稲達孤道』
名刺にはそう、書かれていた。
「ハッハッハ、そんなに深刻な顔をせずともいい。まあまずは遠慮せずに食べなさい。貰い物のお菓子だが、私が食べるよりも君たちのような若い子が食べた方が報われるというものだろうから」
そんな稲達さんの言葉に、まず陽香とレモンが「いただきまーすっ」と喜んでお菓子を口にした。この二人は真っ先に毒殺されるタイプだなぁ、とそんなことを思った。それに倣い、警戒を崩さずも俺はお菓子の包装を破り、中身を口にする。サクッという触感に、甘みが広がった。夕陽と近泉も遅れて、礼儀だから仕方ないと彼女たちもまた菓子を食した。
現状、侵入者であるのに俺たちはもてなされてしまっている。
「最初は私も驚きはしたが、なんてことはない、好奇心故の行動だろう。大人として注意はするが、君たちに悪意や盗人の意思などないと分かっているのだからね、必要以上に咎めたりなんかはしないさ」
愉快そうに一つ笑うと、稲達さんはニコリと俺たちに笑いかけた。含みも何もない、心からの笑顔に見える。本当に何一つとしてこの人は気にしていないのだ、とまで思ってしまう。
「ちょうど私も一つの用事が終わったところでね、暇するところだったんだ。私を訪ねてきたということは、なにか聞きたい事があるのだろう? それとも、仕事の依頼かな?」
後半の問いは冗談めいていた。
「聞きたいことは、ひとつ、あるんですが……」
──あなたが昨夜に会った、死ぬ前の椎尾真理と、いったい何をしていたんですか。
その問いを口にしようとしたが、いざ聞こうとすると言い淀んでしまった。聞けば、シロかクロかが判明する、かもしれない。では、もしクロだったならば?
『彼女はね、私が殺したんだよ』
そんな言葉が、何気なしに、それこそ世間話でもするような調子で返されたならば。俺たちはどう反応し、どのような行動をすればいいのか。
「探偵さんは、探偵なんですか?」
言葉に迷っていると、近泉がそんな質問をした。
「うむ。そうなるね。稲達孤道は探偵をしている。正しい事実だ」
妙な言い回しだ、と思った。まるで他人事みたいに、自分のことを述べている。ちら、と横を向く。陽香とレモンは満足そうにお菓子を食べ、コーヒーを飲んでいる。満喫してる。夕陽と視線が合った。不安そうにこちらを見ている。
「じゃ、じゃあ、ここ数日の、園田桜子と、尾瀬静香と──椎尾真理の殺人についての調査もしてたりとか、するんですかっ」
絞り出すように近泉が云う。
「ふむ──残念だが、私は探偵ではあるが、そのような血生臭い事件に携わらない探偵なのでね。きみの望むような答えは返せそうにない」
その答えを受けて、近泉は視線を伏せた。本当に聞きたい事は、俺たちの誰もが分かっている。二人ほどは満喫してしまっているが、少なくとも残りの三人は承知しているのだ。
だから、
「椎尾真理とあなたが、昨日、朝陽ヶ丘商店街の入り口で会話しているところを見ました」
一息に、俺はそう言った。
聞かなければ事態は進まない。
「ふむ……」
稲達さんは顎に手を当て、しばし俺を直視する。
鋭く、理知に塗れた視線だ。俺の発言の意図を正確に推察し、咀嚼し、返事を行おうとしている。やがて、二呼吸ほども経たず、おもむろに彼は口を開いた。俺を直視し、まったくの無表情で、
「その言葉は事実だな。私は確かに昨夜、殺された椎尾真理さんと会話している」
殺された。殺されたと、云ったのか、今。
そしてわざわざそのような言葉を選んだということは……
「まずはこう、釈明しておこう。私は椎尾真理さんを殺していない」
稲達さんは、自らが俺たちにどう思われているのかを理解している。
椎尾真理を殺した人間の可能性を疑われていると、知っている。
だからそう言ったのだ。殺していない、と俺たちに言って聞かせた。
言葉を継げずにいる俺たちへ、稲達さんはやはり無表情で、真剣極まりないという言葉の方が相応しいかもしれない表情で、続ける。
「ひとつ嘘を吐いたことを謝罪しよう。そういう血生臭い事件に携わらない、と云ったが、あれは嘘でね。本当は私は、椎尾さんの事件について粗方の事情を知っている」
知っている。
それは、どのような立場で。
捜査する側か、それとも犯行する側でか。
「そう警戒しないでくれたまえ。私の嘘は、今言ったこと一つだけ。それ以外の言葉は全て真実だよ。事実を述べよう、余すところなく」
大らかに笑う稲達さんへ、俺もまた笑みを返す。きちんと笑えていただろうか。分からない。
口が乾いた為、コーヒーを口元まで運び、一口含む。苦い。
「椎尾真理は殺された──四丁目公園の花篠元と、朝陽ヶ丘高校の園田桜子と、西霊園の尾瀬静香と同様にね」
目の前の探偵は、起こった事実を再確認するかの如く、そう並べ立てた。