四人目が死んでいた
二人だって?
どういう……どういうことだ。
「一年の尾瀬静香と、二年の椎尾真理」
その二人だ、と霜月先生。
尾瀬は……知っている。しかし、二年生のシイオマリとは、誰だ。
ガタン。
重い雰囲気の教室内、椅子の足が木床を滑る音。
音のする方を見ると、席を立っている者がいた。
「ま、真理先輩がですか……!?」
驚きに目を見開く彼女は──近泉咲だ。つい昨日の夜、朝陽ヶ丘の森手前広場であったばかりの。
「ああ、そうだ。驚く気持ちも分かるが、近泉、まずは座りなさい」
厳しい表情の霜月先生の注意に、「は、はい。すみません」と素直に謝りつつ近泉は椅子をもとの位置に戻し、座った。
「尾瀬静香については、昨日の朝からのニュースを見て知っている者も多いだろう」
そのときちらりと、霜月先生の視線が俺の方を向き、すぐに外された。恐らく先生は、ことの経緯を聞いているのだろう。誰が、直前に、尾瀬といっしょにいたのか。その両方ともに当てはまるのが俺だ。もちろん、俺は俺ではないことを知っている。この言葉に嘘はなく、この記憶に偽りはない。俺は殺していない。誰も殺していない。
「椎尾真理に関しては……恐らくは、今ぐらいにニュースで流れている。僕も、ついさっき聞いたばかりなんだ」
そこまでを言うと、先生は両手を教壇の上につき、力なく項垂れた。俺たち生徒に対して取り繕う余裕もなくなったその様は、絶望、と評するのが一番正しいように思う。自らが受け持つクラスの生徒が二人、そして一学年上の生徒が一人。短期間で三人……いや、公園のあのスーツの人を含めると四人死んでいる。
「……悪いね。君たちを不安にさせてしまって。僕たち教員も尽力はしている……しているが、いったいそれが功を奏しているのだろうかな。ははは……」
言葉は重く、力無い。病む一歩手前のように見える。
俺たち生徒は当然ショックを受けている。だがそれは先生である霜月先生たちもそうに違いないんだ。同じ人間で、共通する一つの倫理観──人を殺してはいけない、という常識──を持っている人間だ。ショックを受けないはずがない。
「……なんて、不条理だ」
小さく零した霜月先生の言葉は、しかし場を覆う静寂の為にはっきりと俺の耳にまで届いた。
その後は最後の力を振り絞るかのように毅然となった霜月先生により、いつも通りを装ったホームルームが行われた。いつも通りのようで、もうそうではない。園田の死を経て軸のずれたクラスの"通常"は、更にまた一段と、ズレていった。やはりそれは非可逆なのだろう。戻ることはない。もはやない。死人が生き返れば、欠落の主体が戻ってくれば……すべては元通りになるのだろうか。考え、心の中で吐き捨てる。
──なんとまあ、不毛な思考なのだろうな。
と、そう。生者は死者になれるが、死者は生者にはなれない。常識だ。
「悪いが、一限目は自習だ。これから職員会議がある。いつ終わるかは、すまないが僕にも分からない。自習プリントが終わり次第、各自教科書内の問題を解き、期末テストに備えて勉強をしておいてほしい。範囲は、この通りだ」
白のチョークを手に取り、黒板の上を走らせる。『P.44~P.74』と書かれていた。テストの範囲だった。
「全てが終わったとしても、クラス内で待機しておくこと。分かったな?」
先生の言葉に、疎らに「はい」という返事が聞こえ、プリントがそれぞれの列の先頭の人間に渡される。渡し終えると、先生はいつもよりよれている白衣をなびかせ、ふらふらとした足取りで教室を出て行った。
先生が出て行って数秒、数十秒、数分、十数分と経つ……誰も、口を開こうとはしない。一問、二問、三問と解いてゆくも、誰の声も聞こえない。プリントに文字が書かれゆくカリカリという硬質な音のみが単純極まりなく響く。普段ならば、自習となれば誰かが必ず喋るものなのに……なら今は、普段ではないということか。そういうことか。そうだものな。人が死んでいる。死人の出ている現状を、普段と表すには無理がある。
「へっべし!」
沈黙の教室内に、くしゃみの音が響いた。
左隣の席からだった。つまりはモヒカンであり、レモンだ。
「風邪でもひいたか?」
訊ねる。
小声で言ったのに、やけに声が通っているように思えた。
「だがよお、オーちゃん。バカは風邪引かねえって言うぜ?」
にか、と笑ってレモンはそう言う。そんな自信満々に自分を卑下されても困る。
「なら、バカじゃないんだろ」
「ハハッ。ホメ言葉と受け取っておくぜ──ところでオーちゃん、分かんないところがあるんだけどよ」
「どこだ?」
ここぜ、とレモンは自分の自習プリントを俺の方へ向けて、ペンで左上を指した。『問Ⅰ』と書かれていた。
「最初からなのか」
「最初からなのよな。問題は読めるんだけどよ、答えが出てこねえんだわ。不思議だよな。点Pがどれぐらいの速度で何処に向かってどのルートを辿ろうと俺たちには関係なくね? なんで問われないといけねえんだってんだ。点Pなんざ何処へでも行きゃいいのよ。俺は引き留めねえ。点Pには自由に生きてほしい。きっと本人もイヤなはずだぜ? 毎回毎回、自分の行動を計算されて、特定される。常に監視されて、テストの配点の糧にされるんだ……イヤに決まってるぜ」
「……点Pの気持ちを求めよとか問われたら良い点叩き出しそうだな」
「人の気持ちは大切にしろって、父ちゃん母ちゃんに言われ続けたからな。そのヘーガイとやらよ、今の俺は」
そう言うと、「俺、もうちっと頑張ってみるよ。点Pも頑張ってるしな」とレモンは自習プリントとにらみ合い始めた。根本的には、レモンは努力家だ。
点Pは人ではないだろ、という言葉は呑み込んだ。人でなければその気持ちに配慮せずとも良いというわけじゃないんだ……いや、なんか俺までレモンの影響を受けているかもしれない。そもそも点Pという例が悪い。もっと他に……他の、人に分類されないものの方が……他の、
「桜利くん」
夕陽の切れ長の目が目の前にあった。彼女は前の席から肩越しに振り返っている。
「なに?」
す、と夕陽が視線を廊下の方へ向ける。それにつられて俺も視線をやると、廊下のところに茶色のサイドテールがいた。ちょいちょいと、こちらに手招きしている。
「桜利くんを呼んでるみたい」
「……陽香が」
クラスメイトのひそひそとした話し声が耳に入った。俺とレモンが会話したからなのか、はたまた自習のプリントが終わったからなのか、ちらほらと私語が飛び交い始めていた。
「レモン、悪いが、俺少し出てくる。分からない問題は後で聞く」
「構わねえぜ。オーちゃんと陽香のオウセを邪魔するわけにはいかねえからな」
「逢瀬って……」
レモンの言葉に苦笑し、俺は静かにそっと、席を立った。自習プリントは終わらせているから、まあ大丈夫だろう。
幾人かのクラスメイトの視線を感じたが、そのまま廊下へと出て、陽香のところへ。
「なんでユーヒまでついて来たのよ?」
嫌そうに眉をひそめる陽香の目の先、俺のちょうど背後に、夕陽がいた。
「つい。ついて来ちゃった」
そう言うと、夕陽はくすりと、無邪気に笑った。