学校があった
「やだ……ユーヒといっしょに登校だなんて、誰かに噂されちゃうわ。見た目だけは美人の私たちだし、百合の花が咲いちゃう……」
「馬鹿言ってないで早く行きましょうよ」
「えー……?」
わざとらしく玄関で渋る陽香に、夕陽は「ならあなたは置いて行く。桜利くん、行きましょう──二人きりで」と背を向ける。言葉の最後がいやに強調されている。
「未知戸さんは今日はお家で一人でお留守番したいみたいだから。それとも舞ちゃんのところでいっしょに待ってる?」
舞の通う小学校は今日、休校となった。直近の殺人事件を受けて、とのことである。
対して、朝陽ヶ丘高校はいつも通りの通常授業。日中俺たちがおらず、親戚も近くにいないため、舞一人の留守番になることから不安だったが、舞は「それならお友達の家にいるね」とのことだった。小学校の友達らしい。朝の早い時間に俺からその友達の家に電話をかけ、親御さんに妹を頼む旨を平身低頭して伝えると、有難いことに快諾が返ってきたため舞をその友達の家に送り届けてきてからの今である。舞の友達の家は、我が家から百メートルも離れておらず、近かった。出迎えた親御さんは優しそうな人で、いっしょに出てきた舞と同年代と見える少女もまた、優しげな子だった。安心して任せられる。
「ほら、桜利くん」
夕陽に腕を掴まれ、ぐい、というほどでもなく軽い力で腕を引っ張られ、俺たちは歩き出した。まあ、陽香のことだからついてくるだろう。
「まてまてぇい!」
予想通り。
すぐに陽香は走ってついてきた。
「ほんとに置いてこうとするなんてひどいじゃない!」
「残ろうとしたのはあなたよ」
「そこはっ。もう、しょうがないなーってオーリが私を連れ出しにくるとこでしょーが」
「悪いな。そこまで気が回らなかった」
「もー。私を置いてったりなんかしたら、地の底だろうと宇宙だろうとどこまでもいつまでも追いかけてやるんだからねー」
「ふふ。それなら逃げ切って見せるわ」
「ん、ユーヒ。別にあなたのことは追いかけない。何処へだろうとお行きなさい。私が追いかけるのはオーリだけだから」
「私と桜利くんがいっしょに逃げるとしたら?」
「はー? 追いかけるに決まってるでしょ。地獄の底だろうとあの世だろうと追いかけて捕まえて引き剥がしてオーリだけ連れて行ってやるわ」
何処までも、陽香は追いかけてくる。
昨夜の彼女の宣言が浮かび上がってくる。
「お手柔らかにな」
「連れ去られるなんて。桜利くん、お姫様みたいね。未知戸さんが敵の魔王」
「マオーってなによ。失礼だわ。こんなにも麗しい見た目なのに」
陽香が口を尖らせる。
「ユーヒこそマオー……って風でもないから、なにかしら……真っ黒の長髪に、冷ややかな目つき、美人じゃあるけど全体的に影っぽい……鎌とか似合いそうだし、死神?」
「死神……」
夕陽が眉を顰める。「私、死神なんかじゃないわ」きっぱりと否定ヂた。
「ううん。嘘。私、死神なの。桜利くんは、信じてくれるでしょ?」
平面の影の言葉は、俺の方へと飛んでくる。
見た目は、確かに死神──死、だ。だが、
「やなこった」
そう言うと、ヂヂ というノイズと共に夕陽は人の姿へ戻った。きっとそう表すのが相応しいのだろう。しかし俺も、もう慣れたものだ。ノイズの変貌。人間は慣れていく生き物だと痛感する。
「オーリ?」
「桜利くん?」
見ると、陽香と夕陽が俺を見ている。影との対面中の俺は、いったいどういうことになっているのやら。
「え、ああごめん。どうした?」
「オーリ、またボーっとしてたのね。ぼんやりとユーヒを見つめちゃって。ありえないだろーけど、見惚れでもしていたのかと思ったわ」
「桜利くん……」
やれやれと言う様子の陽香に、不安そうな表情の夕陽。
「なんでもないよ」
彼女たちにそう言うと、俺たちは並んで登校を再開した。
何も起こることはなく、無事に学校が見えてきた。
◇
クラスの空気は重い。
外は皮肉なほどに青空が広がっていて、冬のからりとした空気が澄んでいるというのに。クラスメイトはひそひそと小声で話し、戻り始めていたはずの教室内を覆う明るさが、再び何処かへ去って行っていた。
理由は明らかだ。
みんなニュースを見て、みんな知っている。
誰が休みなのか、少なくともある特定の一人が確実に休みであろうことを知っている。そしてそれが休みではなくこれからずっと欠けるということを知っている。なぜ欠けることになったのかを知っている。……つい最近会った事態の、これではまるで焼き直しじゃないか。
「なあ、オーちゃん」
左隣のモヒカンが、浮かない顔で呼びかける。
「知ってるよ」
「あー知ってたのな。まあ、ニュースであんなに言ってたものな。俺、校門のところでテレビカメラ見たし」
「うん。俺も見た」
さっき、朝陽ヶ丘高校の校門のところに人だかりができていたのを見た。神妙な表情で大仰なテレビカメラの機材を前にして話し続ける彼らは、俺たちよりも何故だかずっと必死で、何でかずっと余裕がなかった。精一杯、事態の重さと緊迫感を広く広く拡散させようとしているかのようだった。実際、そうなのだろうが。
「……こええな」
独り言かと思うほど小さいレモンの言葉に、俺は「怖いな」と返すしかなかった。
やがて始業のチャイムが鳴り、
「おはよう」
重い表情の霜月先生が入ってきて、挨拶を行う。
「……まあ、知っているとは思う」
皆が心に思いつつ、口には出さないその話題。出さずにいても、誰かが出してくれることを望んでいるだろうニュース。
ひどく憔悴している様子の霜月先生が、重々しく一つ息を吐く。言いたくないことを、どうにかこうにか気力を振り絞って言おうとしている者の所作だ。
一拍、二拍。
そのぐらいの間を置いて、先生は口を開いた。
「ここ朝陽ヶ丘高校の生徒が、二人、亡くなった」
……二人?