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彼女は宣言した

 日中に雨が降ったからか、夜風は冷たく肌にしみる。風の勢いも強い。

 景色は暗い。どっぷりと夜に浸かっている。周囲の家々の明かりはまだ点いており、人の気配を感じさせる。文字通り、壁を隔てた向こうで、だが。

 門を抜け、道路まで出る。右も左も、ずっと暗い。途中途中の電灯が心もとない明かりを落としている。人の姿はない。


「……?」


 ガチャン、と背後でドアが閉まる音が聞こえた。振り返ると、


「うわー、つめた、さむっ。湯冷めしそー……」


 薄桃色のパジャマ姿の陽香だった。

 いつものサイドテールは解き、胸元までの長さの茶髪が風に吹かれて踊っている。


「風邪ひくぞ」

「そのときはかんびょーしてね、この前みたいに」


 この前。陽香が熱を出した日。

 ……公園で探し物をしていた男の死体が見つかった日。


「ねー、オーリ?」

「うん……」


 陽香は俺のすぐ傍まで駆けてくると、首を傾げて見上げるように俺の目を覗き込んだ。


「なに、かんがえてるの?」

「なにも。寒いなって」

「あははっ。確かに寒いよねー」

「陽香は?」


 問い返す。


「私? 私はねー」


 ふふふ、と陽香は笑う。幸せそう、という言葉がふさわしいように思える笑みでもって、


「いつも、あなたのことを考えてる」


 ……。

 彼女は、どうしてこうも、俺のことを好いてくれるのだろう。


 ときどき疑問に思うことはあった。幼馴染だからか。ずっと一緒だったからか。いつの間にか慣れてしまっているが、陽香のような少女に好かれるということに舞い上がり、自惚れた時期だってあったはずだ。人に好かれるということは、相手が自分へ想いを向けるだけの価値を見出してくれているということに違いないだろうから。

 対して俺はどうだろう。

 陽香から向けられる好意に、応えられているか? ……いいや。


「……わるい」


 口を吐いたのは謝罪だった。

 陽香から好かれるのは当然嬉しい。ただ……ただ、何といえば良いのか自分でも分からない。分からないが、何かが俺を抑えているような気が……いや、それともこれは、彼女の好意に応える自信と意志のない俺の、無意識の責任転嫁か。俺を抑え込んでいる何かを頭の中で創り出して、それが悪いのだと罪悪感を擦り付けているだけ……そんな気もしてくる。

 彼女の目を見れずに視線を逸らすと、とん、と陽香がステップして逸らした俺の視線に追いついてきた。驚き、少し後ずさると、陽香は俺が後ずさった分だけ距離を詰めてくる。


「ど、どうしたんだ……?」


 戸惑いの言葉に、陽香はむ、と微かに眉を顰め、怒ったような表情で言う。


「オーリ、謝るのはダメ」

「ダメって……」

「謝られたら、私はこう言うわよ? 『謝るぐらい申し訳なく思うなら私を好きになってよ』って。そんなずるいことを口に出してしまう。オーリは私をそんなずるい女にしたいの? それともそーいうずるくて女狐みたいな女の子の方が好み? 承知したわ。努力する。私今日から女狐になる」

「い、いや、しなくていい。努力しなくていいっ……」


 よしきた、とばかりに気合を入れている陽香を宥める。陽香は「違うの?」と言う。「違うよ」と答えた。「ふーん」と鼻を鳴らすと、陽香は俺から一、二歩下がり、暗闇を背景に、腰の後ろで手を組んで、少し首を傾げ、柔らかく、それでいてどこか愁いを帯びる笑顔を浮かべ、口を開いた。


「まーねー……でもね、オーリ。私は……別に、いいの。オーリが別の女の子を……例えばお胸が小さくてアポロチョコみたいな色合いのパンツを穿くことがある黒髪でキレーな美人の女の子を好きになって、その子と結ばれることになっても、それはオーリの選択だもの。そりゃあとても悲しいけど、それを否定するのは……よくないのよ」

「陽香……」

「だからもしそうなったら、私は素直に祝福するわ。惹かれ合った二人の前途が祝福に満ちていますようにって──」


 語る陽香は、寂しそうに笑う。

 なぜだか陽香の輪郭はおぼろげで、そのまま背景の暗闇に、夜の中に音もなく溶け込んでいきそうに見えた。今、手を伸ばさなければ、陽香はそのまま、暗闇に消えていきそうな予感を……


「あなた達の頭に私由来の血の雨を降らせる」


 うん……?

 なんだか急に物騒な単語が出てきた気がする。さっきまで儚かった空気が急に反転したかのような。


「フラワーシャワーの代わりに、ブラッドシャワーをプレゼントするわ。オーリ、オーリ? 選ばれなかった私はね、せめてあなたの心の中にだけでも残りたがるはずだから。あなたの目の前で首を掻っ切って、鮮血をあげる。それが私からのごしゅーぎになりまーすっ」


 とろんと恍惚に目を細め、陽香は歌うようにそんなことを言う。さっきの切なさ寂しさはどこかへ行ってしまった。逃げてった。戻ってきて。


「じょ、冗談だよな……?」

「この言葉が冗談か冗談じゃないかは、そのときに分かるはずよ。あぁ楽しみだわ……オーリの心の古傷になって、私はあなたの記憶の中に居続けることになるかもしれないのね……」

「は、ははは……」


 急に肌寒くなってきた。それだけ陽香の言葉は真に迫っている。


「──ま、ぜんぶじょーだんだけど」


 すると、こともなげに陽香はそう言った。


「な、なんだ、冗談か……」

「そーよ。じょーだんよ。第一、私がオーリに選ばれなかったってだけで死ぬわけないでしょ。死んだらあなたとお話しできないじゃないの。むしろ奮い立つわ。なにがなんでも寝取ってやる! それが無理そうなら二番目ぐらいにおさまってやるわ! ってね」


 ……まさかこれも冗談なのか。


「言っとくけどマジよ」

「マジかよ」

「うん。マジ。ごめんね、オーリ。今宣言しとくけど、私、一生あなたに付き纏う心づもりでいます」

「いますのですか……」

「ええ、いますのです」


 冗談めかして言うと、くす、と陽香は笑う。それが発端となり、ふふふ、あははっ、と彼女は実に楽しそうに笑い始めた。


「それは、覚悟しとかないとな」


 つられて俺も笑う。


「やっと笑った。オーリったら、さっきからずぅっと深刻そうな表情しちゃってたから。哲学にでも目覚めたのかしらって心配だったのよ。哲学者ってみんなシンコクシンケンゼツボー的な表情で、自分自身をじりじりと追い詰めていっちゃってる方々だし」


 夜であるのに、太陽のような笑みだった。

 結局のところ、陽香の言葉は俺を励まそうとしてくれたためのものだったようだ。ありがたく、申し訳ない気分になる。


「ねー、オーリ? もし、もしもの話だけど──ね。していい?」

「ああ。どんな『もしも』でも言うといい」

「もし──私、未知戸陽香とユーヒ、一乃下夕陽が同じ言葉をあなたに言ったとするわ。言葉の内容なんてなんだっていい、あなたに向けて、その言葉を言ったの。私とユーヒが、同じ言葉をあなたに聞いた──尋ねた、として、ね。オーリ、あなたはいったい、」


 一拍、間。


「──どっちの言葉を、信じる?」


 同じ言葉。同じ内容。

 陽香と夕陽から向けられた内容。

 もし訊ねられたとしたら、俺はどちらを──いったい、どっちを、信じる、べきか。


「……内容次第だな」


 この答えは逃げなのだろうか。


「内容って、例えばどんな?」

「どっちかが確実に間違っているような言葉だったら、俺は間違っていないほうを信じる」

「どっちも間違ってると思うような言葉だったら?」

「両方信じない。二人とも間違ってるぞ、と答える」

「じゃあ、──どっちも間違っていないとしか思えないような言葉だったら?」

「……どっちも間違っていないなら、両方信じるだけだ」


 双方が無謬なら、二つの真実が目の前にあることとなる。そしてそのどちらも正しく、間違いではないというだけのこと。


「答えは一つしかないのよ。けど二人の言葉は間違っていなくて、あなたは両方を信じざるを得なくなる。でもね、オーリ、答えは一つだけなの」

「答えって、なんだよ」

「やだ、教えない。教えらんないわ。だって私は──分からないから」


 しごく真面目な表情で陽香は俺を見つめる。真剣な眼差しで、吐く言葉ひとつひとつに重要な意味があるような印象を持ち合わせてそして、彼女は言う。


「なーんかふわふわしたカンジよね。雰囲気だけで会話するのって。よく分からずに思った感じでてきとーに質問してたけど、オーリも分かった風にてきとーに答えてたんでしょ?」


 そう何気なしに口にする陽香を前にし、一気に肩の力が抜けた。つまりただ今の問答は不毛だったというワケだ。いや俺も、なんかこんな感じかなって風に答えてたところもあったけど。


「二人してしたり顔で何の実りもない会話をしていたわけだ」

「実りはあったわよ。オーリと会話できたんだもの」


 彼女は本当にストレートに物を言う。嘘偽りがまるでないんだ。だから、俺がどのような質問をしたとしても、陽香から返される答えは真実に違いないのだろう。どのような質問を、したとしても。……。


「……そろそろ戻ろうか」

「ええ、そうね」


 玄関扉を開けようとする俺のすぐ後ろに、陽香はぴとっとくっついた。「どうした?」訊ねる。彼女はつつ、と俺の背中に指を走らせ、「ふふ」と笑うと、


「なにが起ころうと、この想いは変わらないわ。私はあなたのことが好き。誰よりも早く、誰よりも長く──好き、だから」


 俺が何かを言う前に、「ほーら入りましょーっと」と陽香は俺の背中をぐいぐいと押し、そのまま玄関へと押し込まれた。タイミングを逃してしまった。


 仕方なしにリビングへ戻ると、夕陽と舞が、真剣な様子でテレビを見つめていた。


『憎かった! 憎かったの……!』


 画面の向こうでは、鬼気迫る形相で女性が叫んでいる。サスペンスドラマのワンシーンだ。いつの間にやら、テレビのチャンネルを変えていたようだ。

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