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彼女に触れなかった

 遠い夏の日。

 騒がしく蝉が鳴く。


「死んだかと思った。死んだかと思ったんだよ!」


 坊主頭の少年が、べそをかきながら叫んでいる。となれば、叫ばれているのは俺なのか。


「 モン。 モンったら! オーちゃんは目が覚めたばっかりなんだよ! そんなバカみたいな大声出したらオーちゃんが苦 死んじゃうから!」


 切れ長の瞳の少女が、坊主頭の少年を嗜めている。

 窓から吹き込む風は、こんな夏の日にしては珍しく涼しげだ。白い、白い清潔な部屋。ああ、ここは病室か。そしてベッドの上にいるのは、やはり俺なのか。


「お前だって声大きいんだわ ノ香!」

「 モンの方が声大きいし!」


 二人ともうるさい。


「いつつ……」


 ずきりと、後頭部が痛む。痛んだんだ。

 後頭部を抑える手に、毛髪と布のような感触。ぐるりと巻かれたらしきそれは、包帯。


「あっ、ご、ごめんオーちゃん」

「わりい……」


 幼馴染二人は、申し訳なさそうに黙り込んだ。

 この痛みは、決して二人のせいじゃないのに。


「心配かけてばかりだ。ごめん、二人とも……」


 心優しい二人の泣きそうな顔なんて、見たくもない。両親にしたってそうだ。


「おうそうだよかけてばかりだよオーちゃんこのやろシニゾコナイ」


 べそかき坊主が、微笑ましい悪態を吐く。


「オーちゃんが死ぬぐらいなら、私が死ぬから!」


 切れ長い瞳の少女が、そんなとんでもないことを言う。


「俺が嫌だよ、そんなの」

「お、俺だって嫌だわ! ノ香が死ぬくらいなら俺がっ……や、やっぱこええわ、無理かもだわ……」

「弱虫の モンには無理だし。私ならオーちゃんを守れるもん」

「死んでまで守られたくないよ」


 死んでまで守られたくない。

 彼女を死なせてまで俺は生きたくない。

 彼女が死ぬなんてそんなの、ゼッタイにごめんだ。そう思っている俺を、俺は自覚する。


「でもっ……私、オーちゃんが死ぬのはイヤだ……ゼッタイにイヤだから……それなら代わりに私が、私がぁ……」


 切れ長の瞳の少女の眼に、見る間見る間に涙がたまる。また、だ。また泣かせた。


「 ノ香……」


 俺の死を心から拒絶し忌避する少女に何も言葉が思い浮かばず、気まずさに視線を逸らす。


「……ぁ」


 すると、見つけた。

 白い病室。なにもかもが真っ白な病室。

 その片隅に、異質があった。

 黒い楕円がひっそりと、俺を見つめて立っていた。


 ────。


「駄目じゃないか。死人は死んでなきゃ」


 ────。


「……ちゃん、……ーちゃん?」


 耳元で声がする。甲高い、キンキンする声。 


「うん……?」


 まんまるの目が、俺を見つめていた。

 ぽんぽんと、俺の頬を優しく叩いてすらいた。


「おにーちゃん。おにーちゃーん? 起きてるー?」

「ま、い……?」

「そー。私。舞だよー」


 にこ、と笑うと、舞はさっさと自分のソファーへと戻ってしまった。


「桜利くん、微睡んでいたのよ、うとうとと船をこぎながらね。ふふ、テレビが退屈になったのかしら」


 そう、夕陽が微笑む。

 テレビを見ているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。


「寝るならお風呂入ってから寝なきゃだよ」


 舞が言う。


「お前は眠くならないのか」

「んーん、ぜーんぜん、これっぽっちも眠くない。今日はテツ夜できる」


 ぶんぶんと首を振り、我が妹はなんとも元気そうである。本当にちっとも眠くないようだ。頭が覚めてくるにつれて、現状についても思い出してきた。

 今は陽香がお風呂に入っており、リビングには今、俺と夕陽と舞の三人。陽香が上がったら、次は俺か。


 舞がきゃははと笑い、夕陽がそれに合わせて微笑み、賑やかにテレビを見ている。

 画面の向こうの人々は見ている舞たちに負けず劣らず楽しげに、幸せに、笑っている。彼らの創り出す皮相の楽園を、俺たちは楽しく眺めている。

 ちらと夕陽に視線をやると、彼女はやはり微笑んでいた。人形のように精巧な顔は笑顔に模られ、柔和な目つきでテレビを見ていた。


「夕陽」

「なぁに?」


 肩越しに振り返った夕陽と視線が合う。


「ひとつ……」


 そこまでを言いかけ、思い直した。

 今、この場には舞もいる。もし聞くならば、二人きりになったとき……だ、ろう。


「どうしたの?」


 呼びかけておいて黙り込んだ俺を、夕陽は不思議そうに見つめた。切れ長でありつつもぱちりとしている彼女の瞳が、きょとんと丸くなっている。


「いや、なんでもない」


 とにかく、今はやめておこう。


「ふうん。へんな桜利くん」ヂ。


 ノイズ音。

 黒い影が、俺を見ている。


「私は人間じゃないよ」


 そう、言ってくる。俺のしようとした質問を先読みしたかの如くのその言葉に、


「いいや。お前は人間だ」


 と、小さな声で返した。ヂヂ。


 その後は、俺たちは三人、特に何をするでもなく、テレビを見ていた。

 ブオオオオ、と、遠くの方で聞こえるドライヤーの音が止み、数秒過ぎて、


「おっさきしましたー! オーリ! お望みどーりのバスタオル姿で私がやってきたわ!」


 バスタオル一枚姿の陽香がそんな叫び声をあげながらリビングに入ってきた。いつものサイドテールは解かれており、茶髪の髪がさらさらと踊っている。風呂上りの為か紅潮した顔は、煌びやかに俺を見ていた。なにかコメントを期待している表情だ。


「……ああ。分かった」


 なにが『分かった』なのかは自分でも分かっていない。「スタイルいーなー」と舞が零すのが聞こえた。俺もそう思う。


「未知戸さん、はしたないわ。服を着てよ」


 冷たい表情でくすりともせず、夕陽が言う。


「やだっ」

「着なさい」

「オーリもヤダって言ってる!」

「桜利くん?」

「言ってない。服着ないと風邪ひくぞ」

「ほら」

「やだー、服なんて着ないー」

「つべこべ言わない」


 と、夕陽は露出狂めいた駄々をこねる陽香の腕を掴んで脱衣所へと引っ張って行った。

 苦笑で彼女たちを見送ると、俺は何もなかったかのようにテレビの画面を見始める。楽しそうな画面の向こうの人々を、他人事として見つめていた。

 

 夕陽と陽香が洗面所に行き。

 今は、俺と舞の二人きり。


「……」


 ……。

 

「おにーちゃん? どしたの?」

「どうしたって……どうもしてないぞ」

「んー? でも今おにーちゃん、なんだかけわしい顔してたよー?」

「そうかな。気のせいじゃないか」

「そーかなー……」


 どっと、またもや画面の向こうの人々が一斉に笑った。彼らはやはり喜劇を観ているのだ。それを見て、俺はいっしょに笑う気にはなれなかった。


「ユーヒに無理やり服着せられたわ……汚された」

「馬鹿言わないで。むしろ清めたのよ」

 

 陽香と夕陽が連れ立ってリビングに入って来る。 

 

「……風呂入る前に、少し、外の風に当たってくる」


 陽香と、夕陽と、舞。

 彼女たち三人へそう言うと、返事を待たずに俺は玄関へと行き、靴を履いて外へ出た。

 

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