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稲達ヒューマンリサーチ(株)

「こんにちはー!」


 快活一声、事務所内に響き渡る。

 猫を象った可愛らしいトートバッグを片手に、磨りガラスの扉を開け、金髪の少女──諏訪玲那が立っていた。満開に咲き誇る、幸せ溢れる華の乙女の笑みのよう。真実、少女は幸福だった。ただここに来るというだけで、少女は幸せになれるのである。その為にはどんな用事だろうと彼女は作ってみせるだろう。

 そんな幸せな少女は、ぐるりと事務所内を見渡しながら言う。


「作りました、お菓子! 持ってきましたよー!」


 そして、気付く。


「……ってあれ?」


 今現在、お客様がご来店していることに。

 稲達は苦渋溢れる灰色の笑みを浮かべ、稲達と向かい合わせの来客用の黒い革張りのソファーに座るご婦人は「まあ、可愛らしい子」と柔和な微笑みを浮かべる。事務所の片隅に置いてある椅子にちょこんと座っている芙月が両手の平を向け、「すとっぷ」という旨のジェスチャーをしていた。空気よめ、ということだ。


「あ、あはは……ごめんなさい。ちょっとタイミングが悪かったみたいで……」


 玲那はまず謝った。マジ謝りだった。


「いいのよ。可愛らしいお嬢さん。稲達さんと芙月ちゃんにご用事なのでしょう?」


 老婦人がのんびりとした口調でそう言った。


「は、はい……」

「ご一緒いたしませんこと?」


 そんな老婦人の有難い申し出に、玲那は「はい!」と即答した。その逡巡のない即断っぷりに芙月が目を見開いた。こいつまじか、という表情を浮かべた。


「すみません……椎尾しいおさん」


 稲達の謝罪に、椎尾と呼ばれたその老婦人は「あら、どうして謝る必要があるの? こんなに可愛らしい子とお茶ができるのに」と柔らかな調子で問い返す。「ははは……」稲達はまたもや苦笑を浮かべた。真面目な会話は、どうやらこれにて打ち切りであるらしいという観念の苦笑だった。

 

「椎尾春美と申します。よろしくね、お嬢さん」

「諏訪玲那ですっ。よろしくお願いします!」


 お互いに自己紹介をすると、玲那はトートバッグの中から真っ白な布で包まれたものを取り出した。甘い匂いが、稲達の鼻腔をついた。いつの間にか芙月も近寄ってきている。


「探偵さん。こちらが例のブツです」


 わざとらしく真剣な表情を浮かべ、玲那はそっと包みを置き、ゆっくりと解いた。


「ほう……」


 それらのブツは、半分はこんがりふっくらとキツネ色に焼きあがり、残りの半分はチョコ色の生地にアーモンドスライスが散りばめられ、いずれも黄色を基調としたカップの上に膨らみ、甘く食欲を誘う香りを発していた。


「これは……」

「マクガフィンですか」

「ちがーう。マフィンだよー。芙月ちゃんその解答は女子力なさすぎー」

「そんなっ……」


 自らの女子力を否定され、芙月はショックを受けた。だが、首をぶるぶると振ってすぐに立ち直り、


「こ、コーヒー淹れてきますっ」


 となにかに対抗するようにポットのところへ向かっていった。


「ずいぶんと美味しそうなブツだ」

「そうねえ。玲那ちゃんはお菓子作りが上手なのね」

「えへへ、生地混ぜ合わせてオーブンで焼くだけなんですけどねー。でもでも実際美味しいんですよ、先に頂いたので味は保証できます!」


「どうぞどうぞ」と玲那が言う。四人分のコーヒーが入ったカップを乗せた盆を持った芙月が、テーブルの上に並べ始めた。

 そうして皆、黒檀のテーブルの上のマフィンに手を伸ばし、口にする。和やかなおやつの時間と相成った。

 玲那の作ってきたお菓子たちに、「まあ、美味しい。こんなに美味しかったら、お店を開けるんじゃないの」だの「おいしい。玲那ちゃんすごい……ほんとおいしい。くやしい……でも食べちゃう……」だの各々で舌鼓を打っている。「でしょー」と玲那は自慢げに胸を張っていた。

 稲達もまた、一口かじった。甘みが口内に広がる。

 その様子を、玲那はじっと、何かを期待するように見つめる。


「ど、どうですか?」


 そして訊ねる。


「確かに、うまいな」


 実際、それは美味だった。


「……!」


 またもや、少女の顔に満開の華が咲く。微かに紅潮した頬が、喜びに緩む。聞きたい答えを聞けた、とばかりに。

 椎尾老婦人は微笑みながらその姿を見つめ、芙月の方はというと、


「諏訪さん、まさか……い、いやいや、思い違いです。私の思い違い……相手はあのヒゲですし、年の差だってありますし……」


 小さく、誰にも聞こえないような声でそう零した。危機感増し増しだった。

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