侵入者があった
何事もなく、家にたどり着けた。
外から見る我が家は、電気が点いていた。それでいい。点けっぱなしの方が、人の存在を外部に示せるために良いだろうから。たとえそこに誰もいなかったとしても、だ。
ポケットから鍵を取り出し、玄関の鍵を解錠しようとする。
「あれ……?」
解錠の方向に、鍵が回らない。
「どうしたの?」
「いや、鍵が……」
鍵が回らないということは。
「っ……!」
急いで鍵を抜き、玄関扉に手をかける。
あっさりと扉は開いた。鍵を開けていないにも関わらず。
「え、そんな……」
「鍵が開いてる」
家に飛び込み、土足のまま、家に入る。
家の中の明かりは点いており、「舞!」叫ぶ。廊下とリビングの境目の扉を開け、中を見ると、ソファーの上に舞が横たわっていた。
「舞っ……」
近寄り、身をかがめる。
見たところ外傷はない。微かに胸も上下している。呼吸している。手首に指を当てる。どくんどくんと、脈打つ感触。「ん……」おもむろに舞が目を覚ました。
「な、なに……? どーしたの、おにーちゃん……」
困惑している様子の妹に、
「誰か入ってきたのか」
「え、誰かって……わ、私ここで……あれ、今何時……?」
「二時間も経っていない。俺たちは今帰ってきたばかりだ」
「あ、なら私……きっと、いつの間にか寝ちゃってて……ああっ!? ご飯! ご飯の準備してないー!」
ばっと跳ね起きる妹の姿は、怪我を思わせる所作はなかった。この子は怪我をしていない。誰かが入りはしたが、この子に手を出していない。良かったと、心底感じる。
「ごめんなさいー」
「いや、いい。そんなことはどうでもいい……良かった、お前に怪我がなくて」
「ケガ? どーして私がケガするのー? 家にいるだけなのに……って、あぁ!? おにーちゃんどーして靴履いちゃったまま家上がっちゃってるの!? はんこーき!? アメリカかぶれのはんこーき!? 俺土足で家上がっちゃうぜみたいなやつなの!?」
「ああこれは……ごめん。それどころじゃなかった。後でしっかり自分で拭いておく」
フローリングと絨毯にすっかり泥土の足跡がついてしまっていた。片道分。俺だけの。
「舞ちゃんは、無事ね」
「けど油断ならないわ。まだ家の中に潜んでいるかも」
「……ああ。隅々まで見て回らなきゃな」
話し合う俺たちを、舞はきょとんと見つめる。まだ事態を呑み込めていない様子。説明の必要がある、のか。あるのだろうな。
「なんか、真剣な表情だね。おにーちゃんも、おねーちゃんずも」
「この家の鍵を、俺以外の人間が開けていた」
「この家の鍵をー? …………ん? それって……えぇ!? 誰かが入ったってこと!?」
「その通りだ。一応聞くが、鍵を開けたのはお前じゃないよな?」
「う、うん……開けた憶えはない。おにーちゃんたちを見送った後、ソファーでちょっと横になってたら、そのままぐっすり夢の中へ、だったから……」
「そうか……とりあえず俺は家の中を一部屋残らず見てみる。お前はここで、陽香や夕陽といっしょにいろ。分かったな?」
「うん……でもその前に、靴は脱いでね? そんな場合じゃないかもだけど、スリッパもあるし、お掃除きっと大変そうだし……」
「……確かにな。そうしよう」
どうやらこの子は居眠りをしていただけ。
その間に誰かが侵入した。いつなのかは分からない。俺たちが出て行ったすぐ後なのか、それともつい今さっきなのか……まだ、この家の中にいるかもしれない。気は抜けない。
靴を脱ぎに玄関へ戻り、スリッパに履き替える。
「ほら、オーリ」
陽香がいた。その背後に夕陽もいる。
目の前に差し出される、フライパン。
「なにか持ってた方がいいわ。もしもの為に」
「あ……わるい」
そう言う陽香は、出刃包丁を持っている。その後ろの夕陽は中華包丁だ。二人そろって殺意が強いものをお持ちのよう。
「安心して。止むを得なくなった時にしか、これは使わない。ユーヒも、そうだから」
「ええ。人なんて刺したくないものね」
そうであってほしい。知人が人を殺す姿なんて想像もしたくない、夕陽も……陽香も。
フライパンを握りしめ、彼女らに言う。
「俺が、まず先に見るからな」
「お任せするわ。安心して、後ろから刺したりとかそんな卑怯な真似はしないから。私は刺すときは真正面から正々堂々と刺す女よ」
「アハハ、潔いな」
「でしょー」
その後、俺たちは三人、恐る恐る家の中を隅々まで見て回った。
一階のリビング、キッチン、トイレ、洗面所、浴室、和室、階段下、物置。二階の俺の部屋、両親の部屋兼、今の舞の部屋。父親の書斎、屋根裏、トイレ……すべて見た。クローゼットの中も棚の中も全て……そして、誰もいなかった。痕跡すらない。足跡もない。なにも不自然なものは落ちておらず、通帳、印鑑、カード……そういう貴重品はなにも盗られていなかった。
「……誰もいなかったな」
自分でつけた足跡を雑巾で拭きつつ、俺は言う。
「何のために入ったのかしらね」
「そもそも入ってないんじゃない?」
陽香の言葉に、夕陽は「ここまで何もないと、そう思えてしまうわ」と納得のいかない様子で賛同する。ならばなぜ鍵を開けたのか、という疑問が残っているのだろう。通りすがりの家の鍵をちゃちゃっと開けていく趣味でもない限り、他人の家の玄関扉の鍵を開けるそれだけをするというのは理解に苦しむ。いや、そういう趣味でも理解には十分苦しめるが。
「よし……と」
フローリングも絨毯も綺麗に拭き上げ、
「俺、少し部屋にいる。たぶんすぐに戻ってくる」
「じゃ、その間に私たちご飯作ってましょーか」
「そうね」
「ご、ごめんなさいー。私が居眠りしちゃってたから」
「あら、謝らなくていいのよマイちゃん。私、料理作るの好きなんだもの」
「そうね。それに私たち泊まらせてもらう身なのだから、料理だけでも手伝わせてほしいの。もちろん、それ以外も手伝うけどね」
舞と彼女たちの微笑ましいやりとりを背後に、階段をのぼり、部屋へと戻る。
「……」
もし、の話だ。
これは、ふと思ったことだ。
机の抽斗を、鍵のかかっている抽斗を見つつ、俺は考える。
……もし、この中に写真が無かったら。
上着のポケットを探る、鍵はなかった。
なぜ……ああいや、当然か。夕陽のアパートに彼女の着替えを取りに行く前に、上着のポケットに入れたのだ。そしてそれは、びしょ濡れになったために洗濯した。だから今着ているのは別の服……。
「……」
抽斗を手で握り、引く。開いた。鍵を閉めていたはずの抽斗が、だ。
そして。
そこに入っているはずの二枚の写真は、
「……ははは」
なくなっていた。