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『モルスの初恋』

     22


 どうして俺はこんなところにいる?

 意識の戻った桜花は、まずそんなことを考えた。だが、答えはすぐに出てこない。

 ここはどこだ、と上半身だけを起こし、辺りを見回す。

 白い部屋だった。

 ふかふかのベッドと、ひなたの香り漂うシーツ。遠い、遠い記憶が呼び起こされる。ずっと前にもこんなことがあった、ような。いいや、あった。幼き日、あの廃墟の中で怪我をして、気を失って、目覚めた日も、ここにいた。

 開け放された窓から吹き込む風が、卵色のカーテンを膨らませる。

 穏やかな昼の暖気が、この部屋の中に満ちている。

 

 そして。

 スツールに腰かけ、傍らの机に突っ伏して眠っている少女。


「穂乃果……」

 彼女の名を、呼びかける。 

「ん……ぅ?」

 軽く身を捩じらせ、穂乃果は目を開けた。視線が桜花と重なり、彼女は事態を理解したようだった。その証拠に、

「あ……起きた、んだ……」

 目覚めた桜花の顔を見、その目に見る間見る間に涙が溜まり始めたのだから。

「な、なに、どうした」

 いきなり泣き始めた穂乃果に、桜花は当然、困惑する。

「どうしたじゃない。どうしたじゃないの……!」

 泣きじゃくりながら、穂乃果は首を振る。

 なんで泣き始めたのか桜花はすぐには分からなかった。だが、桜花と云う少年はその理由をずっと分からないでいるほど愚鈍でもなかった。穂乃果の泣く理由をすぐに見当づけた。

 今自分がこの──恐らくは病室にいて、しかもベッドの上に眠っている。

 倒れたかどうか、したのだ。それで心配をかけてしまった。また、かけてしまった。

「……ごめんな」

 だからそう、桜花は謝った。

 それに対して何かを言うでもなく、穂乃果はただ、凝っていた想いを口にする。

「倒れたって聞いた。昨日、オーちゃん、倒れたって。オーちゃんちのおばさんとおじさんから。未明ヶ丘の西霊園で、静葉がっ、殺されて……! そしてオーちゃんが警察の人と話している途中で……倒れたんだって! それで何時間も寝て、起きなくて今日の昼になった!」

「……ああ」

 桜花は全てを了承した。

 今に至るまでの流れを、はっきりと思い出した。

 あのときあのあと、倒れたのだ。重川さんと佐藤さんと話しているとき、遠くでぽつんと、こちらを見る影があって、首と胸を得たグロテスクなあの影が見ていて、そこからぷつんと全てが途切れた。

「心配かけた」

「まったくだよっ」

 口で怒り、目で怒り、ポロポロと彼女の涙は止まらない。

 せめて、と桜花はポケットを探るものの、ハンカチは入っていなかった。入っていたと思っていただけだ。おそらく最初から持っていなかったのだろう。

 小瀬が、殺された。誰にかは、分かっている。あの影だ。あの影が、小瀬を殺した。そして恐らくは……園田咲良も、同様に殺した。

「でも、良かった……生きてて、よかった……」

「……」

 俺は生きている。

 だが、小瀬は死んでしまった。

 素直に喜んでいいのか、これを……桜花は複雑な思いで、しばらく泣き続ける穂乃果を慰め続けた。暫しの後、彼女は泣き止むと、「人、呼んでくる。寝ぼすけが起きましたって言ってくる」と赤く腫らした目で、部屋を出て行った。

 桜花は一人、ぽつんと白い部屋に取り残された。

 病的なまでに清潔な真白の室内は相変わらず暖色の日向に包まれている。眠気を誘う。あんな目に遭って、気絶して病院に運ばれたにも関わらず暢気なものだ、と一人苦笑した。

「昨日、か……」

 小瀬が殺され、気絶したのは昨日の出来事。

 気絶したにしては長い眠りだ。失神と共に、精神的な疲労と知らずに蓄積していた肉体的な疲労の相乗効果でぐっすり眠ってしまっていたのだろうか。

「それか連れ去られかけていた、とか」

 そんな独り言が漏れ出る。

「……」

 連れ去られかけていた。

 彼女と彼女を殺した黒い影。

 園田咲良と小瀬静葉を殺した犯人は──あの影だ。

 桜花の思考は影を映し、次いで小瀬静葉の死体の傍に佇んでいた影を、園田咲良の死体の傍で踊っていた影を映し出す。

 連続して人を殺している。

 四丁目公園の花篠了、未明ヶ丘高校一年C組教室内の園田咲良、未明ヶ丘西霊園の小瀬静葉。合計で三人殺している。


 犯人は黒い影。

 殺人犯はあの半端な人間らしさをくっつけた化け物。


 そんな正しい──殊更にこれ以上ない程この物語の正鵠を射ているのだと確信でき且つそれは疑いようのない──真実を、桜花は改めて確信した。

 部屋の中をぐるりと見まわす。

 あの時とは違い、視界の中に影はいなかった。

 いたところで、捕まえようのない相手ではあるが。

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