表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
103/265

スポーツ少女がいた

「じめってる。世界がじめってるわ……」


 家を出て数分、雨が降ったあとの世の中のじめり具合に陽香が早速嘆いていた。彼女を象徴するサイドテールもまた、宿主の気持ちを表すかのようにしんなりと萎れている。

 

「雨が降ったのだから当然でしょ」


 冷ややかに夕陽が言う。

 

「はー……ま、自然の現象を嘆いていても意味なんてないか。歩いてりゃそのうち慣れるでしょーしぃ……」

「ええ……それで、ひとつ疑問があるのだけど」


 俺と陽香の前に夕陽が歩み出て、くるりと半端なピルエットをするかのように上機嫌に回る。上機嫌。上機嫌か。今の夕陽、なんだか機嫌が良さそうだ。

 そんな彼女が、問いかける。


「私たちはいったいどこへ向かっているの?」

「明日よ」

「観念的な答えは求めていないわ。抽象ではなく具象が欲しいの」

「めんどくさー……いいでしょ、私たちがどこへ向かおうと。テキトーに歩きゃいいのよ。テキトーに歩けば。私たちの今の目的は辿り着くことではなく歩くことなんだから」

「……そうね。私、目的を履き違えていた。珍しく、あなたの意見に賛同できたわ」

「珍しくは余計なんだけど」


 薄闇は次第に濃ゆく、濃ゆくなる。

 左右の住宅には明かりが点き、道端の電灯が心もとないスポットライトとなりゆく。こんなに暗い街の中、人殺しが潜むかもしれない路上を歩む恐れを知らない少年少女を、憐れむように照らしゆく。死へと続くかもしれない道を微かに照らし、知れず終着点へ向かう俺たちの一助となっている。……考えすぎか。考えすぎだ。思考が明らかに死に傾いてしまっている。

 俺たちは三人……今、三人いる。


 三人……三人だったら、どうなったか。

 あの紙は、俺の机の抽斗の中に入っている。帰ってもう一度見てみるとするか。


「商店街には、さすがに人がいるみたいね──あ。見覚えのある背中」


 陽香が立ち止まり、指を指す。

 住宅街の出口、店が立ち並ぶ商店街──『ようこそ朝陽ヶ丘商店街』と描かれたアーチの門がかかっている──の境目に当たる場所で、スーツ姿の偉丈夫の背中を見つけた。

 稲達孤道──おそらく探偵であろう男だ。


「探偵も商店街に寄ったりするのね」

「探偵と言えど人間だからな。日用品を補充する必要もでてくるだろ」


 俺と陽香がそのまま進もうとすると、


「でも、待って」


 そう、夕陽が俺たちを手で制した。


「なに?」

「稲達さん、と言ったわね。あの人、誰かと一緒にいるわ。会話してるみたい。それにあの制服……朝陽ヶ丘高校のものじゃないの?」


 夕陽の言葉に、俺たちは目を凝らす。

 彼女の言葉通り、稲達の背中は立ち止まり、傍らの制服姿の人間──肩ほどまで伸ばした茶髪の女子生徒らしき──と会話していた。会話する二人の姿が、店からの明かりと電灯の照明で照らし出されている。


「ほんとだ。誰かしら。後ろ姿じゃ分かんないわ……んー? でもあの人、どこかで見たような気もしないでもないかも……」

「近寄って、見てみるか」


 俺と陽香が近寄ろうとすると、夕陽に「待って」と制された。


「止まって。桜利くん、未知戸さんも。今は止めておきましょう。無理にあの人たちと話す必要はないと思うの」

「けどユーヒ、気にならないの? あのヒゲ探偵と女子高生の組み合わせよ。いかがわしい香りがするわ。ゴシップ的な香りがぷんぷんする」

「今の私たちの目的は歩くこと、でしょう? 私には、あれは厄介ごとの匂いにしか思えないのよ。だから行きましょ。早く、ほら、早く」

「お、おい……」


 ぐいぐいと夕陽に背中を押され、俺は方向転換を余儀なくされた。


「何で俺をそんな、陽香はっ……」

「桜利くんを先に連れて行けば、必ず未知戸さんもついてくるだろうし」


 夕陽の言葉は正しく、すぐに陽香も「ちょっと置いてかないでよ」と小走りで追いついてきた。

 

「なにも商店街を通らずとも、こっちの道を行けば朝陽ヶ丘の森方面に行けるわ。自然を楽しむのまた乙なものではないかしら」

「ごーいんだわ」

「良いでしょたまには強引でも」

 

 仕方なしに、俺たちは朝陽ヶ丘の森方面へとぶらぶら歩き始めた。


    ◇


「うえー……くっら。くっらいわ。こわい」

「夜だものなぁ」


 歩いているうちに、朝陽ヶ丘市の森手前広場である。

 何の飾り気もない名称の公園内は、やはり点々と電灯に照らし出され、真っ暗闇である。奥に広がる木々の空間に至れば、もはや闇だった。一応、森の中を続く道には電灯があるものの、心細いことこの上ない。

 俺たちは森の中に分け入っていく道の入り口で、どうしようかと突っ立っていた。公園の敷地内をなんとなくぐるりと歩き回り、楠木を見上げたり、無人の四阿の中を覗きこんだりした後、ここまで来たのである。

 前方に広がる木々の群れの隙間から何かが覗き込んでいそうだ……例えば、


「桜利くん? どうしたの?」


 夕陽がきょとんとした様子で俺を見つめ返す。


「いや、なんでも」

「気になるわ。どうして今、私をじっと見つめたの?」


 お茶を濁そうとしたら、夕陽が思いのほか食いついてきた。どうしたものか。


「なんとなくだよ。本当になんとなく」

「そうなんだ」

「夕陽の背後にきっと誰かが立ってたのよ」


 けっ、とばかりに不機嫌そうな陽香が怖いことを云った。


「そうなの? 桜利くんは、だから私を……?」

「違う違う。そうじゃない。本当に夕陽の後ろに誰かいたらもう俺はとっくに逃げてる」

「ちきんね」

「臆病者ほど長生きするんだよ。それだけ生存本能が優れているってことだろうから」

「口ではそう言ってもね、オーリ。本当にあなたは臆病者なのかしらね。危うい事態になったら真っ先に突撃しそうな感じもあるわ」

「自分じゃそう思えないな」

「私もあんまりそう思わないけどね」

「じゃあどうして言ったんだっ」

「あははっ」

 

 笑う陽香につられて笑う。

 すると、そっと服の裾を引っ張られた。夕陽だった。


「やっぱり、この道に入るのは止めましょう? ここを通っても、途中に変な廃墟があるだけだわ」

「あら、ユーヒさんは怖くなったの?」

「暗闇は好きじゃないのよ。あなたは怖くないの?」

「ふふん、怖いけど?」

「そんな自信たっぷりに言われても困るんだけど……ま、この道を通るのは止めるということで良いでしょ」

「どーかん。珍しく意見が合うわね」

「ありがたいことにね」


 意見の合っている二人をしり目に、俺は公園の入り口の方を見ていた。

 ふと見て、()()()()、視線が釘付けになってしまっていた。


 公園の入り口に、誰かが立っている。

 電灯が、スポットライトのように円錐状の光を落とし、その姿を照らし出している。

 細身の、誰かだ。顔はよく見えない。黒くてよく見えない。


「オーリ、あなた一体どこ見て……」

「桜利くん、きみはどこを見……」


 俺の視線の向かう先を、陽香と夕陽もまた見て固まる。

 ああ、彼女たちにも見えているのだな、と少し安心した。


「あ、あああれなに、なにっ? なんなのあれぇっ……」

「分からない。分からないわちっともさっぱり分かんないっ……」


 震え声で、二人は言う。


「もしかしてあれ、こっち見てる?」

「見てるわ。ぜったい見てる」

「見ちゃってるかー。はー、うわー……んー? なんだかこっちに走ってきてなーい?」

「来てるわ。走って、来てる……!」

「うわわわわわ……!」

 

 あの影は、スポットライトの下にはもういない。

 走って来ている。すごい速さで、こっちに向かって。なにかチカチカした光をこちらに向けて……チカチカ? 


「おい、おーいっ、陽香だろ。それに久之木も……あと、転入生、さん?」


 聞き覚えのある声で、懐中電灯を振る彼女は。


「ち、近泉、だったのか……」


 近泉咲だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ