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見えない手  作者: 山和平
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~闇に溶け込むもの~

1 見えない手


 ……一体、私が見ているのは現実なのだろうか?

 目の前で空中に吊り上げられた老人の首が徐々に、しかし有り得ない角度にねじ曲がっていく。

 宙に浮く老人の体を支える物は何も無い。少なくとも私の眼には何も無いように見える。

 ただ薄闇の中、老人だった亡骸は首を吊ったかのようにぶら下がっている。

 ……けれど違うのだ。

 老人の首には、まるで手で握り潰したかのような太い指の跡がくっきりと出て、だんだんと首の肉を切り裂いている。

 ついに骨が折れ、そのまま首が肉も骨も纏めて引き千切られた。

 どさりと老人の亡骸がコンクリートの床に落ちる。

 ……そして、見た。

 吹き上がった血で一瞬だけ染まった、目に見えぬその姿を。

 うずくまり殺したばかりの獲物の肉と体液を貪る悍ましい存在。

 それは獣と言うには余りにも奇妙に歪んでいる。

 私にできる事は、ただ悲鳴を上げて這うようにそこから逃げ出す事だけだった。

 あまりにも遠い出口、その先の障害。

 絶望が津波のように心を破壊する。

 それでも三番目の犠牲者が自分にならないように祈りながら。


 ……なぜこんな事になったのか。

 それは数日前に再会した忌々しい男の話をしなくてはならない。


2 悪友


 Sは高校時代の級友だった。

 ……もっとも、この男に友という字を使う事には酷く抵抗がある。

 まず体格が優れていた。身長180センチで、プロレスラーのような肉体。

 スポーツの世界で精進すれば結果を残せていたと思えるほど運動もよくできた。

 だが、その性格は獣と言うしかなかった。

 彼は粗暴という言葉を通り越した暴君であり、地元に居た頃でも警察の世話になったのは片手で数えられないほどだ。

 私も暴力を振るわれた事は一度や二度ではないし、多くの女子は近づく事もなかった。

 ……ここだけの話、Sに暴行された女子が学校外にも何人かいたらしい。

 周囲では喧嘩の話も数えきれない狂犬のような男だった。

「あいつはヤバイ」「いつか絶対に捕まる」

 そんな陰口を何度繰り返したかわからないが、その時はかなり早く訪れた。

 何度目かの停学中にノックアウト強盗をしでかしたSは本当に馬鹿みたいにあっさりと捕まり、複数の余罪も明るみに出て実刑が下った。

 その後、少年院から刑務所に移動。

 何度か問題行動を起こして刑期が伸び、何とか刑期満了後も結局地元に戻る事はなかった。

 もう十年も前の話である。

 聞いていた噂では、出所後に暴力団の世話になったとか、あるいはもっとヤバイ犯罪集団の末端になったとか。確認した者はおらず、まあ「あいつならそれくらいありそう」程度の話だった。


 記憶の奥底に沈めて、きっと一生思い返す事も無いと思っていた。

 ……ところが。

 そいつが、数日前に突然私の前に現れた。

「景気悪いみたいだな」

 趣味の悪い服装のチンピラに声をかけられた時は酷く驚いた。

 だが、Sが名乗ると今度は背中に冷や汗が滲んだ。

「たかるつもりはないんだ。ちょっともうけ話があるんだよ。分け前を出すから乗らないか?」

 詐欺か、とも思ったがどうにも様子がおかしい。

 ……人気の無い場所でSは自分の状況を話した。

 勤め先(噂通りの危ない場所らしい)で大きな穴を空けたSは、近く纏まった金を用意しなければならないらしい。できなければ、……まあ命が無いか、あってもロクな事にはならないのは確かだ。

 Sの必要とする金額は、ギャンブルでも元金の必要な競馬やパチンコ程度では絶対に無理な額だった。

 宝くじでもスクラッチで一等を出すくらいでは間に合わない。

 一体そんな金をどこから用意するのか?

 この町でそんなもうけ話なんてあるはずがない。そう思っていた私の予想を裏切ることをSは話し始めた。

「……覚えてるか? 町の郊外にあるでかい屋敷に住んでいる爺の事を」

 無論知っている。私たちが子供の頃から偏屈で有名な資産家の老人だ。今はもう八十を越えている筈。

 こっちで働いている私は時々耳にしていたが、人付き合いどころか家族らしい存在も無く、そのくせ買い物では大金を持っているという人物だった。

「あの爺は銀行も保険も信用していなくて、たんまりとタンス貯金があるって話だ。少なくとも軽く四、五千万はあるらしい」

 それを頂く、とSは続けた。

 ……そんな馬鹿な事ができるか、と答えたが、Sは私を笑った。

「おまえ、随分まずいって聞いたぜ?」

 ……Sはどうも私の噂も聞いていたらしい。

 私もSを笑えない状況だった。すぐに生き死にという事にはならないにしても、纏まった資金が必要な事は間違いなかった。そして、私にはその当ても全く無い事を。

 だからSは私を強盗の共犯者にしようと考えたのだろう。

「……こういう業界の噂は簡単に拡散するんだぜ? 個人情報漏洩なんて、昔からどこでもやってる。もちろん今もな。止めるなんて考えもしない。卒業アルバムだって売っちまうご時世だ。金になるなら売っちまうのさ」 

 覚悟を決めるしかなかった。

 少なくともその時はそう思えた。


 後から思い知る事になる。

 この老人は有名人だ。少なくともこの町の中では。

 ……当然、この老人が大金を家に隠している事も、知られている。

 では?

 Sと同じ事を考えた事がある人間が、本当にいなかったのだろうか?

 その答えはその身で思い知る事になった。


3 老人の家


 殺しまではしない、とSは言った。

 この計画には老人の身柄を取り押さえる事が絶対条件だ。

 時間は夜を選ぶが、それでも老人が起きる事を想定しないわけにはいかない。だから押さえなければならないのだ。

 しかし、殺したら当たり前だが殺人になる。殺人は警察が問答無用で動く。

 金を盗めば強盗じゃないのか、と尋ねるとSは「まっとうな金なら強盗になる。まっとうな金じゃなければどれだけ盗まれても文句は言えない。脱税なりなんなりで自分が捕まっちまうからな」と笑った。

 そこまで単純な事ではないだろうと言いたかったが、手を汚すと決めた以上そこは触れない。

 大事な事は、Sが私を裏切らないかどうかだ。もっとも、私が捕まれば当然Sも手配が回る。だから私が注意深くならなければならないのは、殺されるのが老人ではなく私だった場合だ。

 もっとも、それはまず物を手に入れてからだろう。

 私たちは夜十時を回る頃、離れた場所に車を停めて金を入れるための空鞄を持ち老人の家の敷地に足を踏み入れた。

「……昼間も酷いと思ったが、夜はたまらないな」

 Sがぼやくのも無理はない。

 広い敷地のほとんどが手が行き届いておらず、植物が支配する領域になってしまっている。

 明かりは何も無い。

 何とか日常的に人が通っていると思われる道でも、ところどころ背の高い草を掻き分けなければ進めない。

「……こりゃミントだ。くそ、匂いが付いちまう」

 Sのいうとおり、草の汁は独特の匂いを放っていた。

 ガーデニングで失敗して放置していたのだろうか?

 ミントは恐ろしく強い草だ。一度根付いたら庭を殺すつもりで除草剤を撒かないと根絶できない。僅かな根っこ、地下茎からでも再生するという。ハーブ初心者がやる致命的な大失敗の代表である。

 ……しかし、少し気になる。

 ミントはミントなんだろうが、普段嗅ぐようなものとは少し違う気がする。そこまで詳しくないのでどう違うのか説明しにくいのだが、匂いが強い気がする。

 やがて、一切明かりも灯らない大きな黒い影、老人の家が見えた。

 Sは上着を脱いで入り口の床に無造作に置く。よっぽどミントに匂いが鼻についたらしい。

「……打ち合わせ通り、おまえは爺さんの寝室を見てくれ。俺は地下の方を調べる」

 爺さんが貯めこんでいる現金は、ある事は確かだが、どこに置いてあるかは不明だ。

 おまけにこの家は大きく広い。Sが調べた限りでは表向き普通の平家だが、倉庫代わりのかなり広い半地下まであるという。

 Sと別行動をするのは色々不安だが、ここは時間をかけたくない。

 私は打ち合わせの通り老人の寝室で所在を確認する事にした。

 できるだけ物音を立てないように、進む。


 ……だが、ああ、なんと言う事だろう!


 予想に反して寝室に老人の姿は無かったのだ。

 サイドテーブルの上に白い装飾を施された洋書のような本が置かれているだけで、ベッドには寝た形跡が無い。まだ老人は寝ていない。この家のどこかに居るのだ!

 ……だが、外から見た際、家には明かりが点いていなかった。

 では、どこに居る? まさか今日はどこかに外泊している? そんな筈はない!

 なら、外に電気の明かりが漏れない場所だ。

 つまり、老人は地下に居るのだ。

 Sなら老人を捕らえてしまうだろう。それに、何かを隠すなら地下というのはうってつけにも思える。

 私は予定を変更し、Sが向かった地下の入り口に向かった。

 

4 闇に溶け込んだ異形


 ……すぐに気が付いた。

 酷い異臭に鼻がねじ曲がりそうだ。

 肉を腐らせた時の汚汁おじゅうを何倍もきつくしたような臭いがコンクリートの部屋を満たしている。

 かなり広い。少なくとも電車一両分くらいは奥行きがある。

 おそらくはもともと倉庫として使われていた場所なのだろう。通路を区切る棚は空だが、壁に据え付けられた木製の棚にはその頃の名残と思われる物が僅かに残されている。

 今はもうそんな空間ではない。

 入ってすぐの床に、Sが倒れていた。

 思わず駆け寄って体をゆすってみたが、それが無意味な行為であると理解する。

 なぜなら、


 Sの顔面には、まるでくり貫いたかのような直径三センチ程度の穴が五つ空いていた。


「ひっ、ひいいいっ! 来るな! 来るなあああああああっ! あああああああっ!」

 倉庫の奥から声が響く。   

 Sがここに居るのなら、この声は老人の物だろう。

 ……Sをこのようにしたのは老人なのか? まさか猟銃のようなものでSは撃たれたのだろうか?

 顔面の穴は弾痕には見えない。……いや、おかしい。頭に穴が開けば、血なり脳漿なりが出る。

 しかしSの顔は穴が開いているという異常性はともかく、血で濡れたようには見えなかった。

 私はゆっくりと奥に向かう。……だが、悲鳴の続きは聞こえてこなかった。

 ……老人はもう悲鳴を上げる事もできなかったのだから。


 見えない何かに宙吊りにされた老人は、首を引き千切られて死んだ。

 血が噴き出した瞬間、鮮血はその姿を染め上げた。

 一瞬だけだったが、私は老人を吊るし、殺し、肉を貪る存在の形を目撃したのだ。

 大きさは熊。ひぐまが直立した程度。

 だが、問題なのはその姿。地球上のいかなる陸上動物にも類似するものが無い、悪夢じみた異形だった。

 ……あれは、なんだ?

 ある種の海棲生物、例えばイソギンチャクにも似た上半身。腕は無く、顔も無い。

 口らしき部分も目鼻耳も無い。突き出した先端が五本のパイプ状触手になっている。

 老人の首をもぎ取った、指の跡と思った物はこれだ。おそらくSの顔面に穴を空けたのもこの触手ではないだろうか。

 寸胴鍋のような胴体に、兎と蜥蜴を混ぜ合わせたような脚は異様な発達をしていて、歩くことは当然、飛び跳ねる事も何かを掴む事も可能のようだ。

 どうやって獲物を探すのかはわからない。

 しかし、そいつは確実に次の獲物を私に決めたようだ。

 体をこちらに向け、首と呼んでいいかどうかわからない部分を蛇の鎌首のように私に向け、伸びたパイプ触手は蠢いてこちらに向かっている。血で染まった筈のその姿がまた闇に溶け込んだ時、私の意識は恐怖に奪われた。

 私は言葉にならない悲鳴を叫びながら、這うように地下室を駆け上った。

 見えないが気配がある。

 それ、は巨体に似合わぬ動きで私を追って外に出たのだ。

 私は体当たりでドアを開け、地面に転がるように飛び出した。

 這う事すらできず、転がるように家から離れる。


 そうして私は気を失った。


5 炎の浄化


 その後、何が起きたのか、定かではない。

 翌日に私は警察に保護され、数日後に病院で意識を取り戻した。

 警察は私が老人の家に入り込んだという事は確認できていないようだった。

 ……と言うのも、老人の家は私たちが忍び込んだ夜、不審火で出火してしまったのだと言う。

 近辺で保護された私の様子が余りにもおかしかった為、一応容疑はかかったのだが証拠不十分に終わったようだ。

 保護された時の私は聞き取れないような言葉を叫び錯乱していたらしい。


 家の焼け跡からは二つの死体が発見された。

 もっとも、酷く焼けてしまって司法解剖も難航中だそうだ。

 片方が老人で、比較的若いもう一体の死体がSではないか、という疑いは出ているようだ。

 最近の技術なら確定する可能性は高い。


 結局リハビリも込みで何日か病院で過ごし、安定した事を確認されて退院となった。

 ……だが、記憶を取り戻すに従い、私の中に恐怖がぶり返してきた。

 姿を闇に溶け込ませた異形の怪物。

 誰かが老人の家に放った火。

 あの怪物は焼け死んだのだろうか?

 ……それとも。


 この町の夜に溶け込んでいるのだろうか?

   


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