93話「追いかけられる立場、タイトル優勝者の義務」
『ダービー決勝、第三競技最終ゲームです』
泣いても笑っても最後のひと勝負に陸斗とマテウスの集中力は最高潮になる。
両者はすぐには動かず、にらみ合う形になった。
一分、二分と時間が経過し、ようやくマテウスが動く。
彼が狙ったのは陸斗の右膝で、横から薙ぎ払う。
陸斗が後ろに避けると、すぐさま反転する。
読んでいた彼が跳躍したのだが、マテウスは追撃せずさっと距離をとった。
(飛んだところを狙って来たら、棒をまたつかんでやろうと思ったのに……)
どうやら陸斗の意図は読まれたらしく、彼は舌打ちする。
一度棒をつかんでみせたことで、マテウスはかなり警戒を強めたと考えるべきだ。
そうしないと第二ゲームで勝てなかったし、そもそも半分くらいはまぐれだったのだが、対戦相手にしてみれば楽観はできないのだろう。
見方を変えれば棒をつかまれないかぎり、自分が優位だとマテウスは思っていることになる。
(その通りだけどな。マテウスの攻撃をかいくぐって接近戦に持ち込むような実力、俺にはないし……)
だから陸斗は何とかしてマテウスの攻撃を誘うしかない。
そしてマテウスも自分の攻撃で生まれた隙こそが彼の勝機だと気づいているのだろう。
隙ができそうな攻撃はしてくれず、すぐに距離をとったり防御したりできる小手先の技だけが来る。
それくらいでダメージを受けるほど陸斗の技量は低くないため、観戦者がうんざりするような長期戦と突入してしまった。
(きついけど仕方ない。一瞬でも隙を見せたらやられる……)
マテウスはただ安全な橋を渡っているだけで、陸斗の方がうっかり隙を作れば一瞬で勝負を決めてしまうだろう。
長期戦に持ち込んだからと実力が対等になったと浮かれてはいけない。
ドイツ人は彼を休ませるつもりはみじんもなく、じわじわと集中力を削ごうと小刻みな攻撃を続ける。
(改めてすっごい人だよな。これだけ攻撃を続けているのに、反撃するチャンスが全くない……)
永遠に隙を見せずに戦い続けるというのは人間業ではないし、攻め疲れというのもあるはずだ。
陸斗はそれを信じて粘っている。
(ただ、実力差がある場合は別なのかも)
投げ捨てたはずの弱気が再び復活するほど、マテウスのパフォーマンスは素晴らしい。
時おり彼の方が攻撃を食らうが、マテウスは無傷のままである。
十年以上に渡って世界のトップに君臨し続けているのは当たり前だと素直に思う。
(でも勝ちたい。こんな素晴らしい人だからこそ、勝ちたい。少なくともそう簡単に負けたくはない)
相手の攻め疲れを待つしかない自分が情けないという気持ちもあるが、現在の自分が勝てる確率が最も高い手段を選んだという自負がある。
無限に続くような戦いの末、マテウスがようやくひと息をついて、攻撃の手をゆるめた。
勝機と陸斗は反射的に思ったが、頭はまだ冷静さを残している。
(いや、罠かもしれない)
という可能性が浮かび、右手の剣で攻撃をするそぶりをしてみた。
するとすかさずカウンター狙いの棒が飛んでくる。
(やっぱり!)
マテウスがそう簡単に攻め疲れて隙を見せてくれるわけがない、というある種の信頼が正しかった。
陸斗は棒をかいくぐって一気に距離を詰める。
マテウスは目を見開いたが、すぐに棒を高速で移動させてきた。
陸斗がそれを右の剣で食い止めると、間髪入れずにマテウスは右の下段蹴りを放って彼の突進を止めにくる。
彼はそれを左足でガードし、左の剣をマテウスの左膝を狙って投げつけた。
さすがのマテウスも右足が地面についていない状態では、とっさに飛んで避けるしかない。
しかし、その彼も飛んだ瞬間しまったという表情になる。
(よしっ!)
空中にいるマテウス相手であれば、陸斗は組技を仕かけて寝技勝負に持ち込むことが可能だ。
戦いは地上から宙へ、そしてまたしても地面での寝技勝負へと移行する。
三十秒ほどの攻防の末にマウントをとったのは陸斗であった。
二ゲームめよりも時間がかかっていない。
(さすがのマテウスも疲れていたんだな)
とは思ってもまだ激しく抵抗されるため、まったく油断はできなかった。
陸斗にとって人生で最も長い十秒が経過し、アナウンスが勝者の名前を宣言する。
「勝者! トオル・ミノダ!」
喜びの感情が爆発しそうになるのを、彼は懸命にせき止めた。
少なくともログアウトするまでは我慢しろというのが、タイトル戦の暗黙の了解のひとつなのである。
現実世界へ帰還し、筐体の外に出て空気に触れると、喜びの電流が改めてかけめぐった。
同時に、足元がふらつき、マテウスに抱き留められる。
「あ、ありがとう」
「汗でぐっしょりだな……おまけにフラフラになっているとは」
マテウスは陸斗を気遣いながらも、観察するような視線を見せていた。
「休まないと自力で歩くのもつらいかもです」
隠しごとをできそうにもないと判断した彼は、正直に打ち明ける。
「分かった。私を打ち負かした偉大な選手を助けるという、名誉の仕事をやらせてもらおう」
マテウスは嫌味ではなく本心で思っているらしく、珍しい笑顔を見せた。
「いいのかな、俺が優勝者で」
それに対して陸斗はつい卑屈な一言を漏らしてしまう。
マテウスが何かを感じて口を開いたが、声を発するよりも先にマイクを持った報道陣に囲まれてしまう。
ミノダトオルはプレイヤーネーム制度を使っているため、写真を撮ることは許されないがインタビューはできる。
様々な思惑を宿した表情で、彼らはダービー覇者となった陸斗を見つめていた。
「さあ、トオル。インタビューに答えるんだ。それが優勝者の義務だよ」
マテウスは彼をソファに座らせ、スポーツドリンクを手渡しながら声をかける。
「は、はい」
「今の気持ちは?」
「うれしすぎて、言葉が見つかりません」
最初は初老の日本人記者だった。
「この喜びは誰に伝えたいですか?」
「まずは親に。次にスポンサーの皆様に感謝の気持ちを」
次に白人の女性記者である。
矢継ぎ早に来る質問に目を白黒しながら、陸斗は何とか答えていく。
「最後に一言どうぞ」
やがて最後のコメントに、彼は少し迷ってから言う。
「今回の戦いがまぐれだったと言われないように、次も頑張ります」
やっと解放されたと彼はホッとしていると、記者たちはマテウスを取り囲む。
「トオル・ミノダはいかがでしたか?」
「彼は勇敢な行動をとれる上に、とてもしぶとく粘り強く、集中力を最後まで切らさなかった。負けるべくして負けたと思うよ」
マテウスが素直に自分の敗北を認め、陸斗を称える。
これに褒められた本人は驚いたが、記者たちはうんうんとうなずく。
マテウスは負けた時、いつも相手を褒めるということは彼らにとって有名だからだ。
「しかし、ミノダはフラフラだが、あなたはまだ余裕がある。差はわずかなものなのでは?」
フランス人男性記者からやや意地の悪い質問が飛ぶが、マテウスは苦笑気味に応じる。
「勝負というものはだいたいわずかな差に左右されるものだ。そしてミノダはそのわずかを得る資格と実力を証明したということだ」
「つまり彼のパフォーマンスは実力だと?」
誰かが食い下がるような質問を投げてきた。
十代の少年が実力だけで勝てたとは認めたくないということだろうか。
「実力以外の要因が大きいと思っているようでは、二度と彼に勝てないかもしれない。それくらい彼は強かったよ」
それでもマテウスのコメントのおかげで陸斗のモヤッとした気分は晴れるし、他の記者たちも思うところがあったらしく言葉をかぶせる。
「トオル・ミノダにかける言葉があればどうぞ」
「優勝おめでとう。君は世界中から追いかけられる立場になった。厳しいが貴重な経験ができるぞ、という点がひとつ」
待ってましたとばかりにマテウスは彼に言う。
「それから優勝者の義務はふたつある。インタビューにきちんと答えること、もうひとつは敗者にとって誇れる勝者であれ、だ」
「敗者にとって誇れる勝者、ですか」
陸斗はじっくりと贈られた言葉をかみしめる。
「十代の若者にかける言葉ではないような気が……」
「それだけ大きな期待を持てると感じたんじゃないか」
記者たちが顔を合わせてヒソヒソと話し合う。
「トオル・ミノダ」はそれだけのインパクトを、マテウスに植えつけたのだろうという予想をする。
彼らが見守る中、ダービー主催者を代表した老年のスーツ姿の男性が、陸斗に賞状を手渡す。
続いて赤いドレスを着た白人美女が金色のカップをした優勝トロフィーを彼に渡した。




