88話「ダービー決勝の朝」
決勝の朝、陸斗は七時台に起き、薫が用意してくれた朝食を食べる。
「リラックスしているわね」
彼の表情を観察していた彼女が、安心したように言う。
「生意気かもしれないけど、タイトル戦の決勝は初めてじゃないからね」
彼は落ち着いている理由を口にする。
タイトル戦の決勝で活躍したことは残念ながら一度もないが。
「それに今回の決勝の規定は、去年と同じらしいしね。初めてのやり方をするよりは気楽だよ」
「去年と同じなの……変則的なやり方だったと思うけど、ウケがよかったのかしら?」
薫は不思議そうに首をひねったが、実のところ陸斗も同感である。
「ファイブは全員妨害ありの特殊仕様、ゴリアテは同じステージで妨害ありのタイムアタック、ベルーアは前ふたつの競技の成績でトーナメント作っての直接対戦だもんな」
順位によって与えられるポイントは一度リセットされ、決勝での成績で再び与えられるのだ。
そしてお約束的に第三競技でのポイントが一番高く、第二競技までで優勝者が決まりにくい仕組みになっている。
「どうせなら全部トーナメントにすればいいのにね」
と陸斗は思う。
「それだと第三競技までに優勝が決まってしまうからじゃない?」
薫は予想を告げてから、彼に直接問いかける。
「選手って実際どうなの? 最後までプレーを見てもらえないのはいやなんじゃないの?」
「それはたしかに……試合の途中でほかの番組に変えられると想像するだけで悔しいかな。そういう意味ではありなんだよね」
陸斗はほろ苦い表情で本音を素直に吐露した。
「そういう制度に頼らなくても、視聴者の関心をくぎ付けにし続けるプレーをしなければいけないってことなんだろうね。今はまだできていないのかもしれないけど、いつかはできるようになれたら」
彼の気持ちは最後まで言葉にならない。
あまりにも大それた望みではないかと、ちゅうちょしてしまったのだ。
たとえ今彼の言葉を聞いているのが、優しい顔をした彼のマネージャーだけだとしても。
「カンバラ選手が現役のときは、視聴率90パーセントいったりしていたそうよ?」
「きゅ、90?」
薫が笑いながら教えてくれた情報に陸斗は目をむく。
「レジェンド同士の頂上決戦って煽りがすごかったみたい」
「なるほど……何か納得しちゃったよ。あの人、まだ俺より強かったもんなあ」
おそらく生で目撃した人間以外は急には信じられないだろう。
陸斗はしみじみとつぶやく。
そこに悔しさはなく、純粋な敬意だけがある。
「カンバラ選手、決勝は観にいらっしゃるそうよ。聖寿寺さんが招待したみたい」
「そうなんだ……時間を割いた価値はあったと思っていただけるように頑張るよ。サインももらえたしね」
カンバラのサイン入り色紙は郵送せず大切に持ってあった。
彼にとって最高の宝物である。
「まさかアンバーもほしがるだなんてね」
「俺もそれはちょっと思った」
二人は何となく笑いあい、時間を確認して部屋を出た。
決勝のステージはグループステージと変わらない。
ただ参加できる人数が違う。
「やあトオル」
薫と別れて試合ルームに入った陸斗に笑顔で話しかけてきたのは、ヴィーゴだった。
「君のプレイ、見せてもらったよ。何か心境の変化でもあったのかい? 別人のような荒々しさだったじゃないか」
さすがによく見ていると彼は感じる。
おそらく決勝ステージに残ったメンツ全員に気づかれているのだろう。
「ああちょっとね」
陸斗は肯定しつつ詳細は話さなかったが、ヴィーゴの方も聞けると思っていなかったようでニコリとした。
「決勝は楽しみだ。もっとも、君とのプレイにだけ集中するわけにはいかないけどね」
イタリア人の瞳はそこでマテウスへと移る。
タイトル奪回を狙っている世界ランキング一位の強豪選手は、彼らの視線に気づくと寄ってきた。
「トオルミノダのプレイスタイルは変わったな。慎重なだけでは勝てないと気づき、リスクを取るようになったようだ」
「あ、やっぱりあなたもそう思う? 僕もそう考えていたんだよ」
ヴィーゴは顔を輝かせて、マテウスに馴れ馴れしく話しかける。
分かってしまうのかと陸斗は彼らの会話に冷や汗をかく。
「いいゲームをしよう」
マテウスはにこりともせず、そう言い残して去っていった。
「驚いたな。まさかマテウスから話しかけられるなんて」
陸斗がぽつりと言うと、ヴィーゴではなく近くまで来ていたモーガンが言う。
「あいつもお前を意識するようになったということだろう。負けるとは思わないが、警戒しておく必要があるというところか?」
「あの人、いつも機械みたいよね。おじさまに負かされても悔し泣きとかしてないみたいだし」
彼の背後にいたアンバーが、顔をしかめながらマテウスを評価する。
「感情のコントロールがそれだけ上手いのだ。少なくともゲームのプレイ中には有利に働く。好き嫌いが分かりやすいのは人として美点かもしれないが、思いがけないところで不利になるのだぞ」
アメリカ人は陽気で喜怒哀楽がはっきりしているし、そのような態度を好むと陸斗は思っていた。
だからマテウスや自分のようなタイプはあまり好きではないだろうと勝手に考えていたのだが、モーガンは冷静に人の長所を見ているらしい。
「はーい、おじさま」
モーガンに注意されたアンバーは素直に受け止める。
「何と言うか、モーガンは相手の強さの理由を探すのが上手い印象ですね」
陸斗が反射的に思ったことを言えば、アンバーがにこりと応じた。
「トオルも要注意だとおじさまは言っていたのよ。本当だったわね」
「えっ?」
彼がまじまじとモーガンの方を見つめると、本人はふんと鼻を鳴らす。
「余計なことを言うな。そしてそろそろ準備に行くぞ」
「はーい。じゃあまたね」
アンバーは陸斗にだけ小さく手を振り、ヴィーゴが陸斗に話しかける。
「ねえ、トオル? 何か僕に隠していないかい? どうしてあの子、君にだけ手を振ったのかな?」
陽気なお調子者のくせに鋭いイタリア人の問いに、彼はまともに答えようとは思わなかった。
「さあ? お前が馴れ馴れしくナンパしすぎて嫌われたんじゃないの?」
カンバラと一緒に練習したと言えるはずがなく、言ったところで信じてもらえないと判断したのである。
「……何か言えない理由があるのだね」
ヴィーゴはと言うと、さぐるような目つきでぽつりと言う。
(何でこいつ、こういところは鋭いんだろう?)
陸斗はギクリとしたものの、表情には出さなかった。
「まあいい。ここは引き下がろう。話せるようになったら話してくれ」
ヴィーゴはあっさりと引き下がる。
(ここで食い下がってこないから、ヴィーゴの奴は憎めないんだよな)
と彼は思う。
試合開始の五分前となり、彼はあてがわれたVR機の黒い筐体の中に入る。
いつも通りの感触、空気で神経が研ぎ澄まされていく。
これは彼が特別なのではなく、一流プロゲーマーならば誰でもできるであろう意識の切り替えの早さだ。
全員がログインしたとき、アナウンスがゲームの内外に響く。
『それではダービー決勝ステージ、第一競技を開始いたします』




