85話「ひと皮むけた」
数日後、再びカンバラは陸斗たちのところへ姿を見せる。
「どうだね? 彼は?」
「はあ、それが……」
伝説の選手に話しかけられた薫は、緊張しながら答えた。
「どうも空回りをしてしまっているようでして。がむしゃらに頑張ってはいるのですが。ご覧になりますか?」
陸斗のプレイは大画面で見ることができるし、録画もできる。
自分のプレイを見直すのもいいし、他のプレイヤーのプレイを見て勉強するのもいいという配慮だ。
「よければ見せてもらおうか」
カンバラは薫に案内されて陸斗がプレイしている部屋に入り、モニターをじっと見る。
「あまりよくないな……遮二無二やっているのは伝わってくるが、無駄に力が入りすぎている」
彼が言うことは薫にもよく分かった。
「トオル君に自覚はあるようなのですけど、どうすればいいのか分からないようなのです」
「必死な気持ちとどうつき合っていくのか、まだ手探り状態ということかな」
カンバラには陸斗が直面している状況が理解できているらしい。
「ある程度やり続けていれば、感覚的に分かるようになってくるものだが」
彼が途中で言葉を止めたのはある理由があるからで、薫にも察しがつく。
「ダービーはもうすぐですから……」
このままではダービーを勝ち抜くのはとうてい無理ではないか、と彼女も思うのだ。
「助言をしたのは私だからな。一度話をしただけで後は放置するのは、無責任というものだ」
「い、いえ! 助言を活かせるかどうかは彼次第だと思います!」
助言を活かすも殺すも陸斗次第であり、上手くいかなかったのは助言者のせいというのは暴論だろう。
薫はそう主張したのだが、カンバラは納得しなかった。
「さすがにそれで終わらせるわけにもいかんよ」
彼はそう言うと、休憩のために出てきた陸斗に歩み寄る。
「あいさつは後だ。少しいいかな?」
「あ、はい」
カンバラの急な出現に目を丸くした陸斗だったが、覇気なくうなずく。
用事について予想は簡単にできたせいだ。
「ガムシャラに頑張るのはかまわない。だが、それは心だけだよ。頭は冷静に、手足の力は抜いてだ」
カンバラが言うと彼は目を丸くする。
「……心はガムシャラに、頭は冷静に、手足の力は抜く、ですか?」
そして一字一句咀嚼するように、ゆっくりと反芻する。
「分かりにくかったかい?」
カンバラの問いに陸斗は首を横に振った。
「いえ、おっしゃる意味は分かりました。実際にできるかどうか、自信はありませんが」
彼は力なく言うが、老人は当たり前だという顔をする。
「それは仕方ない。少しずつやっていくといい。だが、無理だと思ったら引き返すのもひとつの選択だぞ。まずは従来のやり方でダービーに挑み、ダービーが終わってから再度挑戦するという道を忘れてはいけない」
「あ、そうですね……」
陸斗は軽く目を開く。
言われて初めて気づいたのだ。
すっかり視野狭窄におちいっていたらしい。
「失念していました。何とか自分の殻を破りたくて、焦っていたみたいです」
陸斗の表情から無駄な力がぬけ落ちる。
「どうもありがとうございます。今の状態でもう一度やってみますね」
彼は礼を述べると、もう一度筐体の中に入った。
カンバラと薫が見守る中、ファイブをプレイする。
一回めはどことなくぎこちなさが残っていたが、次のプレイで百三万というスコアを出す。
「百三万……すごい、最高記録更新」
陸斗の最高記録を当然のごとく把握していた薫は、感激のあまり目をうるませた。
叫びたい衝動をこらえようとしてか、右手で自分の口を抑える。
「どうやらひと皮むけたか」
カンバラの声は優しく、どことなく安心するかのようでもあった。
彼らのところにアンバーとモーガンのふたりがやってくる。
「あら?」
「ほう」
アンバーは楽しそうな、モーガンは警戒するような声を漏らす。
「何だかよくなったみたい?」
「対人戦をやってみないと、本当に変わったのかどうか分からないがな」
アメリカ人の姪と叔父は言い合う。
「じゃああたし、やってみようかな」
アンバーは両手を胸の前で重ねて、ワクワクした表情でつぶやく。
モーガンはカンバラの方を見て言う。
「あなたはいったい彼に何と言ったのですか?」
「何、私の経験にもとづいた話を少ししただけだよ」
モーガンは老人の謙遜だと解釈する。
「彼が抱えていた問題、言葉をかけただけで解決できるようには見えなかったが……」
そして納得しがたいという顔つき首をひねった。
「別にいいんじゃない? ここ数日の彼は正直痛々しかったし、闇から抜けられたなら喜ぶべきだわ」
アンバーは自分のことのように陸斗の復調を喜び、好ましげな目でモニターをながめる。
(いい子なのね)
と薫は彼女のことを少し見直す。
陸斗が復調すれば彼女にとっては厄介な敵になるはずだが、そのような考えはないらしい。
「意外かね」
モーガンが小声で薫に話しかけてきて、彼女はドキリとする。
「姪には敵の失敗を願うようなことは教えてこなかった。敵をリスペクトせよ、優れた敵に会える幸運に感謝せよとは言ってきたがね」
「それがモーガン流の指導法なのですか?」
興味を持って彼女が問いかけると、モーガンはあっさりと肯定した。
「ああ。私が知っているかぎり、ライバルの失敗を喜ぶような奴に世界のトップは獲れん。獲れたとしてもすぐに王座から転げ落ちるさ。トップに君臨し続けることができるのは、ライバルへのリスペクトと感謝を忘れない者だ」
アメリカ人はそこで言葉を区切り、優しい目で美しい姪に目をやる。
「ひいき目が入っているかもしれんが、あの子はいずれ世界のトップに立てる器だ。だからそういう指導をしてきた」
モーガンのアンバーに対する態度は厳格な父親のようであったが、その実態はわが子の幸せを願う愛情にあふれたものなのだ。
そのおかげでアンバーは強く、まっすぐに成長してきたのだろう。
薫はそう確信したし、だからこそこの叔父と姪が陸斗にとって強敵だと感じる。
陸斗が先ほどまでとうってかわって明るい顔で出てくると、アンバーが笑顔で声をかけた。
「はーい、どうやらトンネルを抜けたみたいね。おめでとう」
「あ、ありがとう?」
彼は反射的に礼を言ったものの、状況が今ひとつ飲み込めていない顔である。
「ねえねえ、よかったらあたしと対戦してみない?」
「え、アンバーと?」
アンバーの提案に陸斗はきょとんとしたが、すぐにうなずいた。
「いいよ。アンバー相手にどこまでやれるか、たしかめておきたいし」
「オッケー、どうする? ベルーアブックで競争? それともファイブかしら?」
ブロンドの美少女はニコニコしてタイトルを挙げていく。
「デーモンアーツギガにしよう。一番実感しやすそうだから」
陸斗は迷うことなくひとつのタイトルを選ぶ。
彼らはモーガンやカンバラが見守る中、再び対戦する。
陸斗が選んだのはやはりフドウ、アンバーが選んだのはリネットという女性キャラクターだ。
「最終的にアンバーがトオルの動きを読んで押し切るというのが、これまでのパターンだが……」
とモーガンが小声で言う。
さて今回も同じ結果になるのか、それとも異なる展開が待っているのか。
複数の目が見守る中、ふたりの戦いは闘技場ではじまった。
先にしかけたのはフドウであり、これまでにない直線的で強引に攻め込む。
これにリネットは虚を突かれたのか、一瞬だけ反応が遅れてしまう。
いつもの彼女であれば一時的に後手に回っても、効果的なカウンターで相手の勢いを断つことができる。
「アンバーめ、完全にとまどっているな」
ところが今回はモーガンが言ったように、フドウのらしくない強引な攻撃の連続に対応しきれず、完全に劣勢になっていた。
ようやく立ち直ったのか、背負い投げを出そうとしたら、何とフドウが裏投げで逆に彼女を投げ飛ばす。
それによって審判はフドウの勝利を宣言する。
「勝っちゃった……あれだけ負け続けだったアンバーに」
薫でさえ、喜びよりも驚きの方が上回っていた。
「ここまで違うとは、カンバラマジックと言うしかないな」
モーガンは陸斗を称えながらも、それ以上にカンバラの手腕を評価する。
若者たちは一戦を終えて筐体の外に出てきたが、表情はどちらも驚き半分、困惑半分だった。
「まさかこんなにあっさりアンバーに勝てるなんて……」
陸斗がとまどいを浮かべつつ言うと、アンバーはあきれた顔をする。
「別人みたいに戦い方を変えておいて、何を言っているの。さっぱり動きが読めなかったわ。完敗よ」
さばさばと負けを認める彼女に対して、叔父のモーガンが声をかけた。
「これまでのトオルは積極的なようでいて、どこか慎重だった。だからこそつけ込む隙もあったし、動くを読むのは難しくなかった。ところが、今のトオルは無謀に近い攻めをしながら、冷静に相手の動きを観察し、次の手を予測するという高度な戦い方をしていた」
彼は姪をさとすように言う。
「アンバー、今の戦いでお前が負けたのは必然だ」
「え、はい」
彼女は一瞬目を丸くしたものの、すぐに神妙な顔で返事をする。
そこでモーガンは視線を陸斗に移す。
「とは言っても、姪もかなり強くなっていたはずだ。それを一蹴するとは大したものだ」
「ありがとうございます。では俺と戦ってもらえますか?」
モーガンの賛辞を照れくさそうに受け取ってから、陸斗は挑戦的な目をしながら質問する。
「やめておこう。君との勝負はダービーまで楽しみにとっておかせてもらうよ」
彼のやる気持ちは上手く受け流されてしまう。
だが、彼が落胆しなかったのはモーガンに「ダービーでの楽しみ」と言われたからだ。
世界二強の一角にそう言われてうれしくないほど、陸斗はまだ老成していないのである。
「私も次のダービーは楽しみにさせてもらおう」
カンバラがしめくくるように言った。




