84話「頂点を目指す選手の気持ち」
「いかがでしたか?」
聖寿寺の問いかけにカンバラは真剣な顔で答える。
「私が言えることは伝えさせてもらった。あとは彼しだいかな」
「彼はまだ十六歳の若者にすぎん。何も焦らずともいい気はするが」
とつぶやいたのはモーガンであり、姪のアンバーが意外そうな視線を送った。
「あら、おじさま、意外とトオルのことを評価していたのね。弱い奴はもっと努力しろ、知恵を絞れ、とにかくあがけっていう考えなのに」
「十代前半でタイトル戦に飛び込んだ奴はザラにはいない。私が十六歳、マテウスはたしか十五歳だったはずだ」
モーガンは兄の娘に言ってから、カンバラを見る。
「ミスターカンバラ、あなたもたしか初挑戦は十七でしたね」
「ああ。そうだよ」
タイトル戦初挑戦でいきなり優勝したこともカンバラ伝説のひとつであった。
「言われてみればたしかにモンスターね」
アンバーが言ったのはミノダトオルの戦績である。
「壁にぶつかるのはプロの宿命みたいなものだしな。……自分で気づき、自分以外に助力を求めた点は評価してもいいが」
モーガンはそう評価した。
薫は少し離れたところで彼らの会話を黙って聞いている。
(陸斗君、自分では気づいていないだけで、かなり評価されているのね。機会があれば言ってみようかしら)
何となくではあるが、今言っても効果はないだろうと彼女は思う。
富田陸斗という少年とはそれなりのつき合いだから、おおよその予想はできる。
「さて、彼のことはひとまず置いていくとして」
聖寿寺が強引に話を変えようと発言した。
「モーガンとアンバーもどんどんプレイしてほしい」
「ああ。ところでミスターカンバラ、私や姪と戦ってもらうことはできるのか?」
モーガンはやや挑戦的な目つきで、カンバラに話しかける。
「今日のところは勘弁してくれないか」
老人はおだやかに受け流す。
「承知した。別の機会にお願いするとしよう。来い、アンバー。鍛えてやる」
「はーい、おじさま。ミスターカンバラ、私もいつかお願いしますね」
アメリカ人たちがゲームをプレイしに行くと、彼はカンバラに話しかける。
「あなたはこれからどうなさいますか?」
「店に戻らせてもらうよ。また覗きにくるつもりでいるが」
老人の回答に聖寿寺はうなずく。
「本日はありがとうございました」
「何、久しぶりにゲームをして、現役の選手に会えて楽しかったよ。昔を思い出した」
しわが目立つ顔にはたしかな喜びがあった。
カンバラが出口に向かい、聖寿寺、薫がそれを見送りに続く。
途中で気づいた陸斗もあわてて立ち上がってあとを追う。
「今日はどうもありがとうございました」
エレベーターのところで陸斗が礼を述べると、カンバラは笑みを返す。
「いやいや。ダービーを楽しみにしているよ」
「はい、頑張ります。……ところで失礼なのは承知しておりますが、サインをいただけないでしょうか?」
陸斗がおそるおそるお願いをすれば、何とモーガンが反応する。
「できれば私もいただきたい。子どものころからのファンだったんだ。あと兄も分もよければ」
「あたしも!」
アンバーも勢いよく手を挙げた。
「おいおい。そんなことのために呼んだんじゃないよ」
聖寿寺が苦笑気味に断ろうとしたが、カンバラは彼を制止する。
「いいだろう。サインをねだられたのは久しぶりだ。あとで店まで取りに来てくれるなら、用意しておこう」
「やった!」
大いに喜ぶ者たちを微笑ましそうを見てから、カンバラは聖寿寺と一緒にエレベーターに乗り込む。
「……何というか、すごい人だったわね。威張っているわけじゃない。むしろおだやかで控えめなのに、目が離せなくなるオーラがあるというか」
「そうだね」
薫のカンバラの印象に陸斗は同意する。
「何か得るものはあった?」
彼女は彼の目をのぞきこむようにして問いかけてきた。
「うん。何と言うか、いろいろ考えすぎていた感じ? 肩の荷が下りたというか、そういう気分だよ。自分でも不思議だけどね」
陸斗は力が抜けた顔で言う。
「頑張っていればそれだけで母さんは安心する、なんて考えたことなかったなぁ……そっかぁ。ただ精いっぱいやるだけなんて、思いもしなかったよ」
これは独り言だと分かったため、薫は何も言わずに黙って聞いている。
(陸斗君くらいの年だと考えなしの子が多いんだけど、この子は考えすぎてしまうものね)
それでいてWeSA協会の日本支部から呼ばれた一件のように、抜けているところもあった。
薫の陸斗に対する認識は、手はかからないもののまだ安心はできない弟といったところであろうか。
「このあとはどうするの? アンバーたちに混ざってみる?」
「いや、少し一人でやってみたいな。これまでがむしゃらに戦ったことなんてほとんどなかったから、いきなり対人戦は怖いよ」
陸斗の返事を聞いた薫はなるほどとうなずき、彼を見送る。
「何をしようかな……」
アンバーたちとは別の部屋に入り、VR機のマットレスに頭をあずけながら悩む。
しばらく経ってからファイブをやってみることにした。
がむしゃらにやってみた結果、過去最低のスコアになってしまう。
(いきなりできるはずもないか)
そんな簡単に切り替えができるならば、誰だって苦労はしない。
何度も何度も挑戦してみるが、上手くいかなかった。
(いったん、休憩しよう)
と思って陸斗が外に出てみると、いつの間にか来ていたアンバーが心配そうな顔をしている。
「トオル、どうかしたの? 何かもがいているような戦い方だけど」
「いや、新しいことに挑戦しているだけで、別にヤケクソにはなっていないよ」
彼は笑って否定した。
薫から水が入った紙コップを受け取り、飲みほすと再びゲームに戻っていく。
アンバーの背後に無言で立っていたモーガンが、彼女の肩をぽんと叩いた。
「ミノダは戦い方を変えようとしているんじゃない。選手としての根本を変えようとしているんだ。簡単にできることじゃない」
モーガンは陸斗のプレイの変化を見て、すぐに狙いに気づいたらしい。
さすがだと薫は舌を巻きながらも、不安を口にする。
「でももうすぐダービーなんですよ。何も今から変えなくても……」
「ああ、あなたはそう思っちゃうのね」
アンバーがどこか冷めたような反応をすると、モーガンが姪をたしなめた。
「言うな、アンバー。彼女はマネージャーであって選手じゃない。選手の気持ち、それも頂点を本気で目指す奴の気持ちなんて理解できなくても、それは責められることじゃない」
「いえ、私は理解したいです」
薫はきっぱりと言って、アンバーに目をやる。
「教えてもらえないかしら。私は彼のマネージャーとして、頂点を狙う選手の気持ちを知っておくべきだと思う」
「ふうん、まあいいわ」
アンバーはじろじろと彼女を見ていたが、その気持ちが本気だと感じると教えてくれた。
「カンバラに何を言われたのか推測しかできないけど、たぶんトップになるために足りないものを指摘されたんじゃない? じゃあそれを克服しようとするのは当然じゃない?」
「当然?」
薫は一瞬理解しきれず、聞き返す。
アンバーは真顔でうなずく。
「ええ、トップに立つために足りないもの、必要なものが分かればすぐに行動をはじめるのは当然だわ」
「今努力をはじめられない者が、どうして明日になって努力できるのか? という話なのだよ」
モーガンが姪から引き継ぎ、薫に話した。
「それは……たしかにそうかもしれません」
彼女が認めると、アンバーが言う。
「トオルはそれを分かってるということでしょ。頭で理解しているのか、本能的に気づいているのかまでは知らないけど」
「今はまだ選手としての歯車がかみ合っていないようだが、もしもかみ合いはじめたら要注意だぞ、アンバー」
モーガンはモニターに映るミノダトオルのプレイを見つつ、姪に警告を発する。
「え、はい」
アンバーは目を丸くしたものの、素直に返事をした。




