81話「公認欠席の申請」
聖寿寺からの返事は昼休み中に届いた。
「ひとり心当たりがある。今イギリスに滞在しているはずだからちょうどいい。日程を調整する必要はあるから、詳細を詰めよう」
陸斗はとても頼もしく思う。
(でもイギリス……?)
と同時に首をかしげる。
イギリスに滞在しているならばちょうどいいのはたしかだが、有名なコーチでそのような人物がいただろうか。
もちろん、聖寿寺のことだから、陸斗が知らない情報を持っている可能性は高いのだが。
(まずは礼を言っておこう。日程はどうするか)
ダービーに出るために学校を休んでいいとは言われているものの、最大何日まで認められるのかはたしかめておく必要がある。
休み時間、陸斗は職員室まで足を運んで担任教師に相談した。
「ダービーの前にも休みたいだって?」
目をみはった担任に、彼は事情を説明する。
「ええ。今よりも上を目指したくて、そのためには短期間でも専門コーチの指導を受けてみた方がいいんじゃないかと思いまして」
「そういうことなら、校長の許可は出ると思うぞ! 日本代表の強化指定合宿みたいなもんだろうし」
担任は笑顔でそう言い、自分の胸を叩く。
「ちょっと違う気もしますが……あれって国の支援でやっているはずですから」
陸斗の場合はあくまでも個人レベルの話である。
同じにするのはどうだろうかと思ったのだが、担任は大笑いした。
「いいんだよ、細かいことは。似たような例があるんだから、大丈夫だと思っておけ」
「ありがとうございます」
彼が礼を言うと担任は笑顔を引っ込める。
「ただ、お前の口から直接説明を聞きたいとおっしゃる可能性は高い。面倒でも覚悟していろよ」
「はい、それは」
仕方ないことだと陸斗は思っていた。
職員室を出た時、自然と息を吐き出している。
(あそこの空間、何か独特なんだよなあ)
単純に大人だらけの空間というのは、プロゲーマーとしても経験していた。
それでも職員室というのは何か違うという感覚がある。
そっと教室に戻っても、誰も彼のことを気にとめなかった。
昼は小林たちと食べ、放課後になって担任にそっと呼び止められる。
「すまんが、やっぱりお前自身でということだった」
「分かりました」
薫には手短に事情を記し少し遅れるとメッセージを送ってから、担任に連れられて校長室へ向かった。
実のところ校長と陸斗は何度も面識がある。
そもそも校長の許可がなければ、特別待遇での入学などできるはずがないのだから、当然だろう。
「やあ、富田君、待っていたよ」
校長の鷹嶋は身長が百八十ある初老の痩せた男性である。
頭はもうほぼ白一色であるが、量は豊かであった。
校長室はとても広々としていて上等そうなテーブル、立派なソファーがある。
棚には難しそうな本が並び、外国語のものも混ざっていた。
「手数をかけてすまないが、やはり申請者本人の説明を聞くのが慣例みたいなものだからね」
その部屋の主である鷹嶋はとても物腰が柔らかく、申し訳なさそうな顔で話を切り出す。
「承知しています」
自分の親よりも年上の相手に恐縮され、陸斗の方こそ恐縮してしまう。
「ダービーのための合宿だったね。イギリスでやるのかい?」
「はい。今年のダービーはロンドンで開かれますから。時差ぼけのことを考慮して、十日前くらいには入っておきたいのですが」
彼の言葉に鷹嶋はうんうんとうなずく。
「それじゃあ仕方ないね。許可を出そう。ダービー、頑張ってくれ」
大変物分かりがいい反応だった。
(でも、この人の場合はこれが平常運転だもんな)
意地の悪い人でなくて助かったと、陸斗は心の底から感謝する。
「で、どうだい? 勝算はありそうかい? あ、すまない。今の自分に限界を感じていると言った子に、聞いてはいけないな」
鷹嶋は問いを発したあと、あわててそれを引っ込めた。
「いえ、大丈夫です」
陸斗は笑顔で応じる。
「慣れている」と言えばきっと人の好い校長は、気にしてしまうだろう。
余計なことは言わない方が無難だと判断する。
「すまないな。つい、期待してしまってな。君にしてみればいい迷惑だろう」
肩を落として反省している鷹嶋を、陸斗がなぐさめた。
「期待されるのは正直うれしいですよ。声援がないのはやっぱりさびしいですから」
「そ、そうか。……何と言うか、君は大人だな。高校生はまだまだ子どもだと思っていたが、偏見だったと思い知らされるよ」
「ありがとうございます」
返答に困る内容だったが、褒められたのはたしかだから礼を述べる。
「校長、あんまり引き留めるのも……富田はこれから練習あるでしょうし」
担任が遠慮がちに言うと、鷹嶋はハッとなった。
「そうだな。では申請書を渡しておくから、書いて担任まで出してくれ」
「分かりました」
茶色い封筒に公認欠席の申請書が入っていることを確認して、陸斗は立ち上がる。
二人に会釈をして校長室を出た。
(校長室の方が緊張しないっていうのも、不思議なものだな)
陸斗は自分で自分が面白く、くすりと笑う。
そして我に返って周囲を確認する。
校長室の近くだからか、周囲に生徒らしき人影はなかった。
ほっとして誰かが来ないうちにそそくさと帰路につく。
自宅ではなくトレーニングルームに向かうと、薫がいつものように出迎えてくれた。
「申請書はもらったの?」
彼女の問いに陸斗はうなずき、かばんから書類を取り出して見せる。
「うん、この通り。今日書いて明日提出するよ」
「ええ。先生がたには何と言ったの?」
細かく彼が忘れている点がないか確認するのも薫の役目だった。
「十日くらい前には現地入りしたいって。それで許可をもらったよ。だから聖寿寺さんやアンバーにも連絡しなきゃ」
「それでいいわ。聖寿寺さんから返事がくれば、チケットとホテルの手配をするわね」
より正確に言うと、薫はWeSAに連絡するのである。
そうすると協会が飛行機とホテルの手配をしてくれ、チケットを送ってくれるのだ。
「うん、それでお願い」
陸斗は彼女の言葉にうなずいて、さっそく携帯端末を取り出す。
「金曜日にこっちを出発して……と」
当然だが、すぐに返事は来ない。
聖寿寺もまた忙しい立場の人物だ。
返事を待つ間、陸斗はトレーニングをおこなう。
ダービーは言うまでもなく強豪ぞろいだし、三ジャンルを戦う大会だから、すべて鍛えなければならない。
(普通ならひとつを鍛えて……なんて考えるけど、タイトル戦じゃ通用しないんだよなあ)
一流のプレイヤーたちはみな、当たり前のように三ジャンルとも強いのだ。
個人によって得手不得手はもちろんあるが、その基準が非常に高い。
生半可な気持ちで臨めば、ベストエイトに残れないだろう。
(去年はギリギリ八位だったけど、今年はアンバーがいるからな)
彼が危機感を抱く理由のひとつが、急激に台頭してきたアンバーの存在だった。
世界の上位は元から混沌とした激戦ではあったものの、彼女が出てきたおかげでより一層激しくなったと言ってもよい。
そのアンバーに三ジャンル全てで完全な負け越しだったのは、かなり厳しい状況だ。
(アンバーが何位に入るかまでは分からないけど、今のままじゃ……)
焦ってはいけないと陸斗は自分に言い聞かせる。
焦るといつも通りのパフォーマンスができなくなってしまうし、焦りながらトレーニングしても身にはならないだろう。
こういう時落ちついて、普段通りにふるまうのが大切なのだ。
……聖寿寺から連絡があったのは深夜で、それでコーチの了承をとったとある。
コーチの名前は何故か書いてなかった。




