80話「紙一重の差」
「今日は何をプレイする? あたしとしてはファイブやベルーアブックをやりたいのだけど?」
「俺もやりたい。対戦プレイをするか、それともスコアを競い合うかだな」
陸斗が迷いを口にするとアンバーは言う。
「タイトル戦でパズルゲームだと、スコア勝負になるのでしょう? スコア勝負でいいんじゃない?」
「そうだな。ファイブだとバトルモードになるな」
ファイブにおいて妨害なしのスコア勝負は「バトルモード」となる。
「ええ。あたしの最高スコアは百二万なんだけど、トオルはいくつなの?」
「……九十九万八千」
アンバーはパズルも強いのかと陸斗は思う。
「三万程度じゃ誤差ね」
彼女は好ましそうに笑った。
(たしかに上級ファイバー同士なら、二、三万は誤差の範疇だな)
実際に対戦してみると、持ちスコア通りの勝敗にならないケースが増える範囲である。
「ちなみにモーガンはいくらなんだ?」
「たしか百三十万じゃなかったかしら」
好奇心で聞いてみた結果、陸斗はモーガンの強さを知って少しだけ後悔した。
タイトル戦で優勝したいならば、倒さなければいけない相手に違いないのだが。
「まあおじさまは相手が強いほど強い人だから、持ちスコアはあんまりアテにならないけどね」
アンバーの声に陸斗は去年を振り返る。
「……マテウスとの決戦は本当にすごかった」
だが、いつまでもそうしてはいられない。
「じゃあファイブからやろうよ」
「ええ。負けないわよ」
アンバーが笑みを含んだ声で宣言すると、陸斗も言い返す。
「俺だって」
なごやかなやりとりの中にわずかな負けず嫌いな部分を含ませた若者たちの、練習試合という名目のプレイがはじまる。
ファイブをやった結果、アンバーが勝利した。
「勝った……でも、八百程度の差じゃ紙一重ね。勝てた気がしないわ」
「負けは負けだよ」
陸斗はわずかに悔しさをにじませながら発言する。
ギリギリのところで負けるというのは、不思議なくらいに悔しい。
「次はデーモンアーツギアか?」
「ええ、やりましょう」
二人は対戦したものの、アンバーの七勝二敗に終わる。
「ふう。またしても紙一重だったわよね……トオルって本当に強いわね」
聞こえようによっては嫌味に聞こえたかもしれないが、彼女の声にはまぎれもない称賛が満ちていると陸斗には分かった。
それだけに彼女には腹が立たない。
「……けど、結果は二勝七敗だ。何でなんだろう?」
ただ、自分のふがいなさが恨めしかった。
「あたしは何も言わないわよ。あたしが正しいことを言えるとは思えないし。何ならおじさまに聞いてみようか?」
アンバーは彼を叱咤することもなく、慰めることもない。
ただ冷静な言葉を投げかけてくる。
そのおかげで陸斗は冷静さを取り戻すことができた。
「聞いても教えてもらえるのかな……」
彼は首をひねる。
彼がイメージするモーガンは「敵に塩を送る」タイプの人物ではなかった。
「あなたには言わないでしょうけど、あたしの疑問には答えてくれると思うわよ」
「いや、そこまでしてもらうわけには」
アンバーに対して陸斗はためらう。
「どうして?」
VR機は少女の怪訝そうな声を伝えてくる。
「どうしてって……やっぱりライバルだし、そこまでしてもらう理由がないっていうか」
彼にしてみれば彼女が疑問を抱く理由こそ謎だったのだが、すぐに分かった。
「日本人はハングリー精神が足りないっていう話、よく聞くけど本当なのね。あたしなら少しでも強くなれる手がかり、ほしくて仕方ないと思うのだけど、トオルはそうじゃないのね」
アンバーの言葉は鋭いナイフとなって、陸斗の心に深々と突き刺さる。
「そういうものなのか……たしかにそうか」
彼はうめいたものの、二秒でたちなおった。
「分かった、聞いてみて教えてもらえるかい?」
「ええ、いいわよ」
アンバーは明るい声で快諾してくれる。
「何かお礼をしないと……」
「そうね。貸しひとつにしておくわ。いつか返してね」
「あ、ああ」
アメリカ人少女の笑い声は天使のようなものだったのに、何故か陸斗にとっては虎のメスの笑い声に聞こえた。
口にすればデリカシーがないと怒られそうなため、何も言わずにおく。
「じゃあ次はゴリアテだね」
「ええ、次もあたしが勝つわよ」
アンバーの挑発に陸斗はあえて乗る。
「そうはいくか。俺だっていつまでもやられっぱなしじゃないぞ」
威勢のいい言葉は、軽やかな笑い声で受けとめられた。
結果は陸斗の二勝九敗である。
声を失ってしまった彼に対して、さすがのアンバーもかける言葉をすぐに見つけられなかった。
「どうやら一度、自分を見つめなおした方がよさそうだな」
やっと声を出した陸斗にアンバーはあえて明るく強めの言葉をかける。
「まだまだへこたれていないようで安心したわ」
「上位陣にさんざん負かされてきたのは、今さらだからね。挫折というほどじゃない」
と言い返したのは強がりではない。
ただ、このままではダメだという焦る気持ちが強くなって来ていることは否定できなかった。
「弱気になっているわけでもなさそうね」
アンバーはいい感じで合いの手を入れてくれる。
打てば響くと言えば多少大げさかもしれないが、今はありがたいのもたしかだった。
「もちろんだ。ちょっと勝てないくらいで泣くなんてプロ失格じゃないか。それくらいの覚悟はあるよ」
「ならいいわ。ライバルの奮起が楽しみよ」
陸斗に対してアンバーがこういう言い回ししたのは、彼が強くなることを信じて期待しているという態度の表明だろう。
「じゃあまたね」
アンバーとそう言い合って陸斗は一度ログアウトする。
薫に送ってもらい家に戻って寝床に入ったが、眠れない。
普段の彼は寝つきは悪くないのに、今日は特別だった。
(理由は考えなくてもはっきりしている)
アンバーと練習ですべて負け越したのが原因だろう。
プロゲーマーとは負けることに慣れなければいけない職業ではあるが、あれだけ負け続けたのはやはりショックである。
しかも相手はマテウス・モーガンの二強ではなく、年齢がひとつしか違わないのだ。
「悔しいな。……やっぱり悔しいよ」
悔し泣きするほどではないが、目が完全にさえてしまっている。
(いったい、アンバーと俺は何が違うんだろう? 日本人は貪欲さが足りないと言われたけど、それがいろんな部分に影響しているのか?)
陸斗はこんこんと考え続けて、朝を迎えてしまった。
(結局一睡もできなかったか)
こんなことはプロゲーマーになった日、初めてタイトル戦出場資格を得た日以来である。
起きてきっちんのところへ行くと、彼の表情に気づいた薫が目を見開いて心配そうに寄ってくる。
「どうしたの、陸斗君。顔色かなり悪いわよ?」
「いや、今のままじゃ永遠にダービー優勝は無理だなと、自分が情けなくなってね」
彼が吐露したのはまぎれもない本音だ。
それだけに薫は下手ななぐさめはしない。
「そうね。じゃあ聖寿寺さんにまた相談してみる? いいコーチを紹介してもらいましょう」
彼女が言ったのは現実的な提案である。
今の陸斗は一人の戦いで、これに限界を感じたのであれば経験豊富で指導能力があるコーチを連れてくる、という発想は当然だろう。
「そうだね。ただ、今じゃそんなに指導料を払えないから、あまりいいコーチは来てくれないと思うけど……」
コーチに支払う指導料は、基本的に年間獲得賞金で変動する出来高払い制が通常だ。
よって強い選手ほどいいコーチ、優れたスタッフを雇っている場合が多い。
「そうよね。若手を育てるのを生きがいにしているような人の方が、陸斗君にとってはよさそうね」
何しろミノダトオルこと富田陸斗はまだ十六歳なのに、すでにタイトル戦ベストエイトを経験している。
見る人が見ればいくらでも輝く原石であろう。
ただ、若手を育てたいタイプには一から自分の手で、というスタンスの人物もいるし、こういう人には恐らく断られるに違いない。
「ひとまず連絡だけしてみるね」
「ええ、それがいいわよ」
薫はにこりと笑い、陸斗はようやく気分が落ち着いてくる。
「ありがとう、薫さん」
「どういたしまして」
彼の礼を微笑で受け取った。




