79話「彼なりの宣戦布告」
「あ、でも、陸斗って試合があるんだよね? 大丈夫なの?」
天塩が思い出したように質問をしてきたため、陸斗はスケジュールの一部を打ち明ける。
「七月の一週めにイギリスでダービー、八月の第三週にドイツでミュンヘンカップがある。両方に出るけど、それ以外は平気だよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ七月の下旬くらいならいい……?」
おそるおそる確認してくる天塩に、彼はうなずいてみせた。
「ああ。それくらいがちょうどいいかもな。二人の都合さえ良ければ」
「私は大丈夫だと思うわ」
「ボクも」
二人からいい返事が来たため、そのつもりでいようと彼は記憶に刻む。
「じゃあ、ダービーが終わってから改めて日程の話をしようか。そうしてもらえるとありがたいよ」
彼の言葉に少女たちは同意する。
「そうね。富田君が急がないなら……大会の方が大事でしょうし」
「陸斗次第だし、ボクらもプロ試験が終わってからの方がいいよね」
陸斗も天塩の意見はもっとだと思う。
「たしかにね。試験がいつになるのか、俺にも予想できないからなあ」
同時にテスト日程については何も言えないことが残念だった。
「気にしないで。あんまり教えてもらうと、何だかズルしているみたいだから」
栃尾はおどけるようにして言う。
「誤解されるかもしれないけど、事前対策が不正だってみなすような考えはないよ」
陸斗は若干ためらいながら話すと、天塩が意外そうな声を出す。
「えっ? そうなの?」
「そりゃ本来プロになる実力がないのにプロになったとしても、勝てるわけがないからね。申請が通る実力があっても、プロで未勝利の人はかなり多いし……結局、自分の実力を磨くのが一番の対策なんだよ」
彼の言葉は少女たちにとって、非常に分かりやすい正論に聞こえる。
「不正して勝つのって、不可能じゃないかもしれないけど、まだ聞いたことはないなあ」
と陸斗は言う。
コンピューター技術が進歩した結果、各種の不正行為が大いに発覚しやすくなったという理由があるのかもしれない。
「ただ、それくらいとびぬけた技術、まっとうに使った方が絶対大金を稼げるからね」
世界の大企業はその手の技術者を、高給でかき集めているのだ。
「それでも悪いことを考える人っていそうだけど……」
「まあそうかもしれないけど、考えてもキリがなければ意味もなさそうだから」
栃尾が遠慮がちに言ったことを、陸斗は笑って受け流す。
「そっか。そうよね」
彼女は納得したかはともかく、引き下がってくれた。
「とりあえず、全ジャンルをひと通り練習しておけばいいんだよね」
天塩が空気や話の流れを変えようとして発言する。
「ああ。一応、俺より強いツアープロって、国内じゃ岩井さんくらいしかいないわけで、俺に負けたことは引きずるなよ」
自慢や嫌みに聞こえることを覚悟して、陸斗は二人に注意した。
「陸斗よりも強い人が国内にいるって言うのは、びっくりだよねえ」
天塩は素朴な声を漏らす。
「岩井選手もベストエイトの常連だものね。本人はトップフォーに入れないことを気にしているってうわさがあるけど、富田君はこれについて何か知っているの?」
栃尾の問いに陸斗は神妙に答える。
「それは実話だから、あんまり言わないであげてくれ。俺もトップフォーに入っていきたいとは思っているし」
「実話なんだ。分かった、誰にも言わないわ」
「ボクも! 秘密は守るよー!」
天塩は元気よく言って二人の笑いを誘う。
「じゃあ、ここらでいったん話は切り上げようか」
笑いを引っ込めた陸斗の言葉に彼女たちは同意する。
「そうだね。実力審査がんばろっと。またね」
「私も練習しておくわ。またね、富田君」
天塩は明るく前向きで元気に、栃尾は落ち着いた様子で通話を終了させた。
二人がプロテストに向けて頑張るように、自分もまたダービーに向けて頑張ろう。
陸斗はそう意気込む。
通話を終了させた後、彼はメッセージの通知をオンに切り替える。
通話する時だけオフにしておくのは、彼の習慣のようなものだった。
(新着の通知は一件、アンバーからか)
彼が確認してみると、時間次第では練習相手をしてもよいという返事以外に、ダービーについての質問だった。
「何日に現地入りする予定なの? よかったら少し早めに合流して、現地で一緒にプレイしない?」
これは思いがけない申し出である。
(アンバーも案外、年齢と実力があまり離れていない練習パートナーが欲しかったのかな?)
と彼は思う。
実力で言えば世界二強の一角モーガンという、最高クラスの練習パートナーがいるのだから、他の理由があると考える方が自然だろう。
「いいよ。スケジュールを調整する必要があるから、また後で連絡させてもらうよ」
という文面を返しておく。
試合に備えるため早めに現地入りするのは、普通のことだ。
世界各地を転戦する以上、気候の変化や時差ボケも大きな障害のひとつであり、これらを克服する努力をおこなうのもプロの仕事である。
アンバーからの返事はほとんど間を置かずに届く。
「オッケー。今日はどうする? そっちはこれから夜なのよね?」
アメリカは朝なのだという認識がなければ、戸惑っていたであろう文面だった。
「そうだな。アンバーはハイスクールはどうしているんだい?」
陸斗にとっては確認しておきたい点である。
あれだけ活躍しているとなると、通っていない可能性もありそうだからだ。
「通信制よ。父が高校卒業資格は早めにとっておけって。トオルは?」
アメリカは学歴にこだわりがなさそうなイメージだっただけに、陸斗には以外である。
もっとも、国家の風潮とアンバーの親の考え方が一致しているとはかぎらないわけだが……。
「普通に高校に通っているよ」
彼の返事を見たアンバーは、
「そうなの。道理であまり大会に出ていなかったわけだわ。納得した」
と返してくる。
(考えてみれば、お互いのことはあまりよく知らないんだよな)
陸斗は率直に感じた。
アンバーが出てきたのは今年のロペス記念からなのだから、無理もない話である。
ただ、彼女の付き合いやすい性格ゆえか、知り合って長い友人と交流していると錯覚しそうになるのだ。
「アンバーが学校に通わなくてもいいなら、これから一緒にプレイできるね」
「ええ。大丈夫よ」
陸斗のメッセージに即答が返ってくる。
「じゃあ続きはVR機のチャットで」
彼のこの送信には「OK」とだけ来た。
(やっぱり文字だけのやりとり、音声でのやりとりの方がいいもんなー)
声を使った方が意思疎通はスムーズにいくと彼は思う。
「おはよう。そっちだとこんばんはかしら?」
「ああ。そうなるね」
アンバーのやや低いよく通る声が、心地よく陸斗の耳朶をくすぐる。
「ダービーはどう? 自信ある?」
「ええ。何とかトップフォーに入りたいわね」
彼の問いかけにランキング急上昇中の少女は、自信ありげに答えた。
「トオルはどうなの? 去年はベストエイト敗退だったみたいだけど」
「チェックされているのか……」
さらりと言われた言葉に、陸斗は苦笑する。
「当然、ライバルの情報は全部チェックするわよ。ロックウェルが最近不調だとか、マテウスは相変わらず最強だとかね」
「モーガンの情報を教えてもらいたいところだね」
彼が冗談まじりに言うと、彼女は笑いながら教えてくれた。
「ダービーの二連覇を本気で狙っているわよ。目下のところあたしの最大のライバルね」
モーガンは去年、マテウスを倒して二連覇の阻止に成功している。
そして今年はマテウスがモーガンの二連覇を阻止するのではないか、というのが前評判であるらしい。
「俺は今年こそダービーも八位より上の順位かな」
「決勝で会えるといいわね」
アンバーはそう言ってくれるが、陸斗の考え方は違う。
「できれば同じグループになりたいな」
「あら、それはどういう意味? あたしと少しでも一緒にいたいということかしら?」
彼女の声色からして軽口だということは彼にも分かる。
音声チャットでなければこうはいかないだろう。
「いや、アンバーが一緒なら、モーガンやマテウスと同じグループにはならないだろうからね」
楽しく思いながらも、陸斗は彼なりの表現で宣戦布告をする。
「なるほど、あたしの方が勝ち上がれる可能性は高いって言いたいのね。オッケー、宣戦布告は受け取ったわ」
アンバーは笑いながら、それでもわずかに真剣味を帯びた声で返答した。




