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76話「栃尾安芸子」

 学校で過ごしている間、陸斗は何となく栃尾のことを考えた。

 別に深い意味はなく、プロゲーマーになるか否かの一件が、どうなっているのか気になっているのである。


(俺の時も苦労したからな……)


 と彼は自分の時のことを振り返った。

 彼の場合は三時間ほどの話の末、「高校に進学する」という条件で母の由水が折れるという結果になったのである。

 わりと息子の行動に干渉しないタイプの由水ですらそうだったのだ。

 

(だいぶ厳しそうな栃尾の家だと、さらに難しいのかもしれないな)


 今夜、それとなくメッセージを送ってみようかと陸斗は思う。

 ただ、彼にはちょうどいい文面を考えるのは容易ではないから、直接的な内容になってしまう危険は高いのだが。

 放課後、一度も栃尾の姿を見かけないまま、陸斗はトレーニングルームに向かう。

 

(ゲーマーだって、同じ学校の人たちには知られたくないみたいだったからなぁ)


 ゲーム以外に彼が栃尾を探しに彼女のクラスまで行く理由はない。

 少なくとも周囲の人間はそう思うだろう。

 協会側から注意されたばかりだし、余計なことはしない方がいいと判断する。

 トレーニングルームの扉をあけると薫の姿があるのはいつも通りだが、隣に栃尾がいたのに彼は目を剥く。

 学校が終わって直行して来たのか、制服姿である。


「あれ、栃尾……? どうしたんだい?」


「ごめんね、急に来てしまって」


 彼女は真剣そのものな顔つきで、まずは突然の来訪を詫びた。


「いや、いいよ。よっぽどのことだったんだろう」


 陸斗は理解を示す。

 彼が知るグラナータこと栃尾は冷静で、一歩引いて物事を見るような人物だ。

 間違っても思いつきで行動するようなタイプではない。

 彼に会いに来るならば事前にきちんと連絡を入れるはずだ。


「ありがとう」


 栃尾が力なく微笑むと、薫が口を開く。


「ひとまず、飲み物を入れましょう。何がいい?」


「ありがとうございます。お茶をお願いします」


 かしこまった同級生の発言に陸斗は乗っかることにする。


「じゃあ俺も。麦茶をふたつで」


「ええ。少し待ってね」


 二人が選んだ場所は、先日天塩を入れた三人で遊んだエリアだ。

 

「薫さんに聞かれてもいい?」


「ええ。あの人ならば平気よ」


 と確認し、栃尾の許可を取った上での話である。

 座布団の上に腰を下ろして陸斗は単刀直入に切り出す。


「それで? いったい何があったんだ?」


「親に話したら反対されたの」


 栃尾は少し悲しそうに目を机に落とした。


「そうか」


 陸斗は何と声をかけていいのか迷う。

 それだけだったら別にメッセージで報告すればいいだけで、わざわざここまでくる必要がない。

 続きを待っていると、彼女は顔をあげて言った。


「それで富田君はどうやって親御さんを説得したのか気になって。私に話してもいい範囲だけでも、教えてもらえたらと思って」


「そっか……俺の場合は、学業をおろそかにしないって理由で何とか納得してもらえたよ。聖寿寺さんがスポンサー契約の契約書を持って、家に来てくれたのも大きかったと思う」


 スポンサー契約に手を挙げる人がいるくらい、将来が有望視されているのであれば、と由水は安心したらしい。


「そう。スポンサー契約をとれるかどうかが、ツアープロの大きな指標のひとつだものね」


 栃尾はツアープロの熱心なファンらしく、業界での見方に関する知識もある程度は持っているようだ。


「中学の時にスポンサーがつくって、改めてすごいわよねえ」


 という一言は、彼への賛辞と言うよりも、彼女の中で何かを再認識するようなニュアンスだったため、彼は沈黙を守る。


「親御さんはなんて言って反対しているんだい? よければ教えてもらえないかな」


 陸斗がそう言ったところで、薫がお茶を二人の前に並べた。

 そのあとトレーを持ったまま彼の背後に回る。


「母は心配はしても反対はしないという感じなのだけど、父がね。不安定で厳しい世界なのに、やっていけるはずがないと」


「……似たようなことは俺も言われたなあ」


 栃尾の発言を聞いて彼はほろ苦さとなつかしさがこみ上げてきた。

 

「そりゃ会社員なら安心安定と断言できるわけじゃないけど、それでもプロゲーマーよりはずっと安定しているって言われたよ」


「あ、私も言われたわ」


 陸斗の言葉に彼女が反応する。


「子を想う親の考えることは、似てくるのかしらね」


 薫が背後からぼそりと言う。

 子どもたち二人は、親たちの自分たちに対する想いを感じさせられて、声を失った。

 しばらく無言の空間が展開されていたが、やがて陸斗はある思い付きを口にする。


「そうだ、何年かダメだったらプロを引退するという条件を出すのは? 栃尾はある程度知っているだろうからはっきり言うけど、国内戦で一勝もできないと正直プロとしてつらいよ」


「……なるほど。何年かやってみて、一度も優勝できなければ引退する。そう話してみるわ」


 栃尾は光明が見えたのか、少しほっとした顔になった。

 そんな彼女に薫が声をかける。


「引退したあとどうするか、簡単でいいからビジョンを考えておいた方がより説得しやすくなると思うわ。人生設計をきちんと考えている方が、やっぱり親御さんも安心されるでしょう」

 

「……そうですね」


 栃尾は素直にうなずき、彼女をじっと見つめた。


「大変失礼ですが、選手のマネージャーのお仕事はどういう感じなのでしょう?」


「えっ」


 思わずという態で声をあげたのは、陸斗である。

 ここで栃尾がそのようなことを言い出すとは、想定外にもほどがあった。

 ただし薫の方は特に驚いてはいない。


「そうね。基本的に私に休みはほぼないわよ。ずっと陸斗君と一緒で、試合で遠征があればそれについていくし、彼に対する仕事の依頼は全部私のところに来るからね」


「……大変なのですね」


 栃尾は深刻そうな表情ではあったものの、予想通りだと書いてある。


「給料は一千万近くとけっこう高めだけど、時給換算にすれば千五百円くらいになるのかしら。はっきり言って、陸斗君をサポートすることにやりがいを感じてなければ、とうてい続けられないわね」


「ご、ごめんなさい……」


 近くで聞かされる陸斗は罪悪感が刺激されまくって、身を縮めてしまう。


「一千万近くだと、お給料は高いのですよね。時給換算で千五百円くらいって、年の拘束時間が六千くらいあるってことですか?」


 栃尾は彼の反応を後回しにして、計算をはじめる。


「そうね。でも、悪いことばかりじゃないわよ。交通費も家賃も社会保険も全部完備だし、いろんな国に行けるし、日程に余裕があれば海外の観光もできるからね。陸斗君は手がかからないから、近くで待機している時間が長いだけで、実働時間的にはそこまでじゃないし」


「……海外に行けるのはあくまでもトップ選手だったら、の話ですよね。アメリカやイギリス、フランス、ドイツでタイトル戦が開催されるので」


 栃尾の確認に薫はうなずいてから指摘した。


「そうだけど、トップ選手じゃないとそもそもマネージャーに給料を払えなかったりするのよ?」


「あ、そうか」


 彼女は自分の見落としに気づく。

 

「トップ選手のマネージャーはハードだけど、見返りはあると思うわ。ただ時給換算で割のいい仕事をしたいと思う人、拘束時間が短い方がいい人には向いていないのも確実かしら」


「よく分かりました、どうもありがとうございます」


 栃尾がぺこりと頭を下げると、薫は微笑みながら言う。


「引退したら陸斗君のマネージャーにでもやってみる?」


「富田君が許可をくれるなら、考えてみます」


 二人の女性の視線が陸斗に集中し、彼は目を白黒させる。

 

「えっと、別に俺はいいけど……その、薫さんに大変な思いをさせちゃって、とても申し訳ないし……」


 陸斗は薫の負担をろくに考慮せず、彼女の厚意に甘えていたのではないかと反省していた。

 彼がしょんぼりと肩を落として言うと、薫は屈託なく笑う。


「別にいいのよ。気にしてるなら、六大タイトルを獲った時に、臨時ボーナスでもちょうだいな」


「はい。頑張ります」


 彼が応えると黙って聞いていた栃尾もくすりと笑った。


「もう一度、両親に話してみます」


 そう言った彼女は憑きものが落ちたような表情になる。


「今日は突然押しかけて、申し訳ありませんでした」

 

 彼女はていねいなお辞儀をして、さわやかな笑顔を残して去って行った。


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