74話「カッコイイ」
聖寿寺が伝票を持って去ると、明らかに場の空気が弛緩する。
「薫さんは、どこまで知っていたのかな?」
陸斗の問いに薫は申し訳なさそうに答えた。
「詳しくは教えてもらっていなかったわ。ただ、厳しく接して反省してもらった方が、あなたのためになると言われていたし、同感だったから従っていたのよ」
おかげで昨日は本当に泣きそうだったと彼は、内心で思う。
二人きりであればあるいは言葉にしたかもしれないが、彼の左右には二人の少女がまだ座っている。
彼女たちの前で弱い部分をさらすのは何となく恥ずかしかった。
「そっか……」
何か一言言いたいものの、どう言おうか言葉を選んでいる彼に対して、薫は先回りする。
「陸斗君を責めるのは酷なんだけど、色々と甘かったのは事実だから、そこは反省してちょうだいね」
「う、うん、ごめんなさい」
陸斗は素直に謝った。
薫は彼を心配しているのは分かっているし、実際周囲への認識が甘かったのは事実である。
同じようなことがあれば、今度こそ厳しい罰が下されると想像するのも難しくはない。
「本当にごめんなさい」
栃尾が薫に詫びると、彼女は笑顔で首を横に振る。
「いいのよ。結果的に最悪の事態はまぬがれたし、陸斗君にとっていい薬になっただろうから。勘のいい人なら気づくわよって、ただ注意するだけじゃ、きっとこの子は本気で受け止めてくれなかったでしょう」
「そうだね。気をつけているから大丈夫だよ、としか思わなかっただろうね」
陸斗は薫の推測が正しいと自嘲気味に認めた。
「ある意味で感づいたのがこの二人でよかったわよ」
「……そうおっしゃっていただけると、ありがたいです」
栃尾は神妙に答え、天塩が無言でこくりとうなずく。
彼女たちには薫や聖寿寺をとがめるような意思はないらしい。
彼らが二人のことも守ろうとしていたのだと、十分に理解しているからだろう。
「それで? 二人はご両親を説得できそうかしら? 契約だけ交わして、本格的に活動するのは学校を卒業してから、ということもできるから、頑張って説得してくれるとうれしいのだけど」
薫の問いに栃尾は沈黙したが、天塩はすぐに応じる。
「大丈夫だと思う……思います。うちの両親、犯罪や迷惑行為以外なら、ボクが何をやっていようが興味ないだろうし」
薫は軽く目を見開いたものの、少女は明るく気にしていない様子だったため、何も言わないことにした。
「私は学業を優先できるのであれば、説得できるかもしれません。あまり自信はありませんが……」
栃尾は慎重に言う。
「できなかったらまた考えるからいいわ。ご両親と話した結果を陸斗君に教えてもらえる? そうすれば私や聖寿寺さんにも伝わるから」
「はい。ある程度事情は話してから来たので、帰り次第結果を聞かれると思います」
「お願いね」
ふと話題がとぎれる。
数秒の間を置いて、天塩がおそるおそる口を開く。
「あの、お泊まり会ってどうする? 止めておいた方がいい?」
「止めておいた方がいいんじゃないかな」
陸斗が困った顔で言ったのに対して、薫はぴくりと眉を動かす。
「お泊まり会? どういうこと? 何も聞いていないわよ?」
「本当だったら昨日のうちに相談するつもりだったんだけどね」
彼は弁明するように言った。
「この三人だけでのお泊まり会ってやっぱりまずいかな」
「年頃の男女三人だけって……せめて保護者がわりの大人がいないと、外聞が悪すぎると思うのだけど」
薫がじっと陸斗を見る。
彼としてもその点は分かっていたため、彼女に相談しようとしていたのだ。
「うん、じつは薫さんに頼むつもりでいたんだよ」
「……それでも難しいかもしれないわね。プロゲーマーになる子を、陸斗君が面倒を見る合宿的な何かだったら、できるかもしれないわ」
薫は頭の中で整理しながら答える。
栃尾はちらりと天塩を見てから話す。
「できれば人数は少なめの方がいいのですが」
「あと一人か二人くらいかしらね。いずれにせよ、すぐには難しいと思っていて。今日の件のことを考慮すれば、余計にね」
「はい……」
大事にはならなかったとは言え、問題となったのは事実である。
今後はより注意をはらった方がいいだろう。
「聖寿寺さんには私からそれとなく伝えておくわね。いざとなったら、あの人の名前と力を借りましょう」
薫はいたずらっぽい表情で言い放つ。
「そうですね」
つられてクスリと笑ったのは陸斗一人である。
彼女が意外と茶目っ気があると知っているからこそ、急な変化にも対応できた。
「ひとまず解散しましょう。親御さんの許可がないと何も始まらないから」
薫の一言で四人は立ち上がって帰り支度をする。
天塩だけ路線が別のため、改札で名残惜しそうに手を振る彼女に手を振り返して別れた。
「栃尾さんは同じ路線か。ああ、同じ学校だったわね」
薫の言葉に栃尾はうなずく。
「ええ、たぶん通学に使っているバス会社、富田君と同じですよ。路線は違うのでしょうけど」
「そうだな。トレーニング用のマンションと自宅は、それなりに離れているからね。マンションの方からだと同じ路線になるのかな?」
陸斗の言葉に彼女は「ええ」と答える。
「同じバスを使っているのに、バスの中で会ったことなかったものね」
「言われてみればそうだよな。だから知らなかったんだよ。クラスも違うしね」
クラスと生活圏内が違う異性のことなど、知らないのは当然であった。
「むしろ同じ学校の人がミノダトオルだったことが驚きよ」
「同じ学年の人がグラナータだったことにびっくりだったなあ」
二人は微笑を交わしつつ言い合う。
はるか遠くのインターネット世界の住人だと思っていた相手が、じつは身近なところにいたのだから当然だ。
彼らの初々しくもぎこちなさの残るやり取りを、薫は少し離れた位置から見守りながら聞いている。
彼女としては栃尾が同じ学校の生徒だったのはうれしい誤算だ。
(本当はダメなのだろうけど、陸斗君がプロだと知っている友達ができたのはよかったのよね)
あくまでもプレイヤーネーム制度という点から見れば悪いに決まっている。
だが、陸斗の保護者という立場としては喜ばしい。
けっこう複雑な状況なのである。
(できれば男友達の方がよかったけど、こればかりは仕方がないし)
ネットの世界では性別よりも、気が合うかどうかの方がずっと重要だろう。
同じ電車に乗り、同じホームで降りて、バス乗り場に移動したところで栃尾が「じゃあ」と切り出す。
「私はこっちだから。またね」
「うん、またね」
栃尾はきれいなお辞儀を二人に見せて、二人はお辞儀を返した。
「学校でね」と言わなかったのは、学校だと会うかどうか分からないからだろうと陸斗は思う。
クラスが違い、共通の授業もないのだから、遭遇するかどうか運しだいである。
周囲の、特に男子生徒の反応を考慮すれば、学校ではあまり話さない方がいいかもしれない。
二人きりになったところで薫が陸斗に話しかける。
「お疲れさま、陸斗君」
「薫さんもお疲れさま。いろいろ迷惑をかけてごめんね。冷静になってみれば、一番大変だったのは薫さんだよね」
二人きりになったからこそ、陸斗には言えることがあった。
「いいのよ。これもまた私の仕事だからね。それに大事にはいたらなかったんだから、気にしないで。あ、でもあとで聖寿寺さんにお礼のメッセージは送っておくのよ。だいたいはあの人のおかげなんだから」
答える薫の表情は女神のように優しい。
こちらの方が彼のよく知る彼女だった。
「うん、分かっているよ」
彼の返事は短い。
聖寿寺もきっと頑張ってくれたのだろうと想像するのは、さほど難しくなかった。
(人のために頑張っている姿は見せない方がカッコイイ、なんて人だからな)
いつだったかぽろりと言っていたのを、陸斗はまだ覚えている。
当時はよく分からなかったのだが、実際に自分がその恩恵を受ける立場になってみると「たしかにカッコイイ」と思えた。
(あんなカッコイイおとなになりたいな……なれるかな)
とひそかに考えているのは、彼一人だけの秘密である。
いくら薫と言えども、これを打ち明けるのは少し恥ずかしかった。
「それにしても栃尾さん、あなたの大ファンなの? 必死に隠そうとしているけれど、隠しきれていない感が初々しくて可愛かったわ」
「……」
彼女が不意に表情を切り替え、露骨なからかい文句を口にする。
陸斗としては実際に生で触れた初めてのファンであり、どう対応していいのか分からなかった。
「いじめすぎたらいけないわね。でも、プロならファンを大切にしなきゃね」
「うん」
薫のこの言葉には素直にうなずける。
どうすればいいのか具体的なことは知らないのだが、大事にしなければいけないと思う気持ちは本物だ。




