71話「プレイヤーネームがばれた件について」
二人を見送って陸斗はビルの一室に戻る。
「ふー、疲れたー。試合より疲れた……」
初めてのオフ会を終えた彼は、大きくため息をついて乱暴に座り、椅子の背もたれを軋ませた。
思わず口から洩れた言葉は決して誇張ではない。
年の近い、容姿のいい異性二人とひと時を過ごすというのは、彼にとって大きな試練である。
(今にして思えば、過去の俺はよくオフ会をする気になったよな)
今さらにもほどがあるというものだが、ようやく事の大きさを理解できた気がした。
二人が帰った後の部屋は、まるで太陽が沈んだ夜空のようなさびしさに支配されている。
(この部屋で一人でいるのは別に珍しくないのに……こんな広くてさびしい部屋だったっけ?)
過ごし慣れたはずの部屋が、全く違って見えることにとまどう。
気のせいか、かすかにいい匂いがただよっている感じがしたが、あわてて否定する。
(二人の残り香をかぐなんて、まるで変な男じゃないか)
きっと初めてのオフ会の反応に違いない。
陸斗は必死に自分に言い聞かせる。
もんもんとしている年ごろの少年の救ったのは、カギとドアが開く音だった。
この部屋のカギを持っているのは彼を除くと、母と薫の二人だけである。
そして母は一度もここに来たことがないため、誰が来たのか彼にはすぐに分かった。
「陸斗君、お疲れさま」
優しい笑顔を浮かべて、耳ざわりのいい声をかけてくれたのは、予想通り薫である。
「どうだった、オフ会は?」
「とても楽しかったよ。ただ……」
問いに答えた陸斗は一瞬言いよどむ。
「ただ?」
不思議そうに聞いてくる薫に後押しされ、彼は意を決して話す。
「今度お泊まりをやろうってことになったんだけど、冷静に考えたらまずいかなって」
「男同士のお泊まり会なら、別にいいんじゃない?」
薫は何げない表情で言う。
お泊まり会の話が出たくらいだから、今日のメンツは同性だったと判断したのだ。
これは当然の反応で、彼女を責めることはできない。
陸斗はやはりためらったが、彼女に隠しごとをするという選択肢はないため、打ち明ける。
「実は今日会った二人、どちらも女の子だったんだ」
「えっ?」
目を丸くした薫に向かい、彼はさらに追い打ちをくり出す。
「それも一人は同じ高一、もう一人はひとつ年下の中学生なんだ」
「それはさすがにまずいと思うわよ。せめて年が離れていればアリだったかもしれないけど、女子高生と女子中学生と同じ屋根の下で泊まるのは、外聞が悪いどころじゃすまないわ」
薫は頭痛を感じたかのようにこめかみを抑える。
「あ、うん、やっぱり……?」
陸斗も冷静になってみるとよくないのでは、という気がしていたのだ。
「君だけの問題じゃないわ。その女の子たちだって、年の近い男の子と未成年だけで一泊するっていうのも、大問題でしょう。親御さんの許可は出たの?」
「それは……」
薫の鋭い質問に彼は口ごもる。
天塩はどうだか分からないが、栃尾の両親が許可を出すのだろうか。
「親御さんに黙って、というのはダメでしょう。説得できないなら、最初からやってはいけないわ」
厳しい表情と強めの口調に、彼はしゅんとうなだれる。
「う、うん。ごめんなさい。二人にもちょっと待ってと言ってみるよ」
「それがいいわ。悪いことをしているわけじゃないなら、二人の親御さんにきちんと話すべきよ」
先ほどとはうって変わって、薫は優しく言った。
陸斗はこくりとうなずいてから「あっ」と声をあげる。
「そう言えば女子の片方に、俺のプレイヤーネームがばれちゃったんだけど」
「ええっ?」
薫は大きく目を見開いた。
プレイヤーネーム制度を適用している選手が、プレイヤーネームを知られるというのはかなり大きな問題である。
「だ、誰にばれたの?」
「今日来ていた、同じ学校の栃尾って女子に」
陸斗が言うと彼女は本格的に頭を抱えた。
「大問題じゃない……」
「本人は誰にも言わないって約束してくれたんだけど」
彼としては栃尾を庇いたい気持ちが強かったが、薫の立場では信じるわけにいかない。
「それで済むはずがないでしょう。プレイヤーネームは選手を守るために作られた公的制度のなのよ」
彼女はぴしゃりと言う。
「とにかくWeSAに連絡して、善後策を相談することになります。栃尾って子が本当に誰にも言わないのなら、大事にはならないと思うけど、あちらの判断しだいだからそのつもりでいてね」
「う、うん」
陸斗は落ち込む。
「でも栃尾は悪くないんだよ。俺が間抜けだっただけで……」
せめて栃尾だけでも守ろうと彼は発言したが、薫はそっけない。
「そのことも含めて、一度相談するわね」
彼女は冷たく言うと携帯端末を取り出す。
彼女にとって守るべき対象は陸斗であり、会ったこともない少女を守ってやる義理はなかった。
いつになく厳しい薫の態度に、陸斗は悄然と肩を落とす。
何件かメッセージを送信した彼女の端末に、すぐにも返事が届いたことを知らせる音が鳴る。
メッセージの確認を終えた彼女は怖い顔で彼に話しかける。
「……陸斗君、明日の昼過ぎからWeSAの日本本部に出頭要請が出たわ。詳しい話を聞きたいそうよ」
「えっ」
と言ったものの、陸斗は目の前の女性の様子から、何となく予想はできていた。
問題は彼だけすむのかという点である。
「それから栃尾さんに……もう一人の子も」
「栃尾はともかく、天塩もですか?」
彼にとって予想外だったのは、出頭要請が出た対象に天塩も含まれていたことだ。
「栃尾さんが知ったのなら、同じ条件だったもう一人も気づいていてもおかしくない。そう判断したようね」
「そんな……」
何か事情はあるようだが、明るく無邪気だった天塩にも迷惑をかけるのか。
「処罰を受けるのは何とか俺一人だけにできませんか? あの二人は単に俺と一緒に遊んでいただけなんですよ」
懇願するような陸斗の言葉に対して、薫は信じがたいことに突き放すように言う。
「それは協会の人に言うのね。私が決めることじゃないから」
「えっ? でも、弁護士の手配も薫さんがしてくれるんじゃ……」
あっけにとられる彼の思い違いを正す。
「いえ、今回は弁護士の出番はないわ。あくまでも話を聞かれるだけだから」
取り付く島もない彼女の態度に、陸斗はさすがに不信感を持つ。
「明日の昼だなんてずいぶんと急だよね? 二人とも行けるかどうか分からないよ」
「行く方が二人のためよ?」
薫が不気味な言い回しをしたため、彼の背筋は寒くなる。
彼女がここまで非好意的な態度をとり続けるのは、普通で考えられない。
「分かった、二人に連絡するよ」
陸斗はもやもやしながら二人にメッセージを送る。
彼は自分が思っていたよりも悪い事態になったのだと悟った。
せめて少しでも情報が欲しいと思い、さぐりを入れる。
「明日は協会の役員が揃うのかな?」
「ええ。聖寿寺氏も見えるわよ」
彼の最大のスポンサーにしてeスポーツ協会に大きな影響力を持つ、聖寿寺が来ると知ってやや気が楽になった。
一人でも味方してくれそうな人物がいるのは心強い。
しかし、薫が頬をゆるめそうになっている陸斗に釘を刺す。
「期待しすぎたらダメよ。聖寿寺氏はあくまでも役員の一人だし、特定の選手に肩入れしすぎるわけにもいかないんだから」
「あ、うん」
いったいどうして薫はこれほどに冷たいのだろう。
(……それだけのことをしてしまったせいか。見捨てられたのか)
陸斗は暗たんたる思いで、泣き出しそうになるのをかろうじてこらえる。
二人からの返信が届く。
二人とも驚き戸惑いながらも「行く。場所はどこか?」と書いてある。
本部の住所は彼もとっさには出てこないため、協会の正式名称を伝えてから正直に「ごめん。住所は思い出せない。調べて」と送った。
「二人とも来てくれるらしい」
「そう先方に伝えておくわね」
薫が言ったあと、二人の会話は途切れる。




