63話「がっかり」
ビルの二階は横長で全域で六十坪ほどである。
ドアを開けながらこの階を丸ごと貸し切っていると説明すると、少女たちは目を丸くしていた。
「陸斗ってどっちなの? 学校に通っているのならツアー?」
天塩が好奇心に満ちた目で見ながら聞く。
「うん、ツアーの方だよ」
この国で言うプロゲーマーは大きく分けて、ツアープロとリーグプロの二種類ある。
リーグの方は年に百試合ほど開催されているため、とても学生には無理だと彼女は判断したのだろう。
「学生なのにこういう綺麗なビルを貸し切れるなんてすごいのね」
栃尾が感心したように言う。
「いや、案外安いんだよ。都内なら高いらしいけど」
陸斗が答えたのは謙遜ばかりでもない。
シャワー室とトイレがあり、バス停や飲食店、コンビニからも遠くなく、素晴らしい立地条件の割に月の賃料は五万である。
難点と言えばあくまでも「オフィスビル」であるため、住居としては使えないということだろうか。
たまにひと晩明かすくらいであれば目こぼししてもらえるのだが。
「そうなんだ」
彼女たちの前に白い正方形の座布団を二枚並べて、座ってくれるようにすすめる。
壁に立てかけていたテーブルを移動させた。
「先にサンドイッチを食べよう。栃尾が持ってきてくれたケーキ、冷蔵庫の中に入れておくよ」
陸斗は声をかけて彼女から保冷バックを受け取り、ふたを開けて白い紙の箱を取り出して冷蔵庫へ持っていく。
そして中から二リットルペットボトルの麦茶と紅茶を手にして、シンクの上にある紙コップも取る。
彼が戻ると天塩がリュックからサンドイッチが入った麦モールド容器を三つ、テーブルの上に置いていた。
「陸斗は男の子だから多めにしておいたよ。口に合えばいいんだけど」
そう話す天塩の表情は不安に揺れている。
ふたを開けるとタマゴサンド、トマトとレタスのサンド、ベーコンサンドが所せましと入っていた。
「天塩ちゃん、一人で作ったの?」
栃尾の問いに彼女はこくりとうなずく。
「どうせ食べてもらうなら、一人でやらないと意味ないし……」
ぶつぶつと小声で言った内容は、陸斗の耳に届かなかった。
その彼はと言うと、
(さてどこに座ればいいんだ?)
という悩みを抱いている最中である。
栃尾と天塩が並んで座っていれば、その反対側に腰を下ろせばよかっただろう。
ところが彼女たちは向き合う形に座っているため、彼はどちらかの隣に座るしかない。
どちらの隣にも座らないという選択肢は一瞬浮かんだのだが、二人の横に一人分のスペースがはっきりとあいている以上、悪手になる予感がひしひしとしている。
「陸斗、来て」
天塩に甘えるようお願いされ、彼は従うことにした。
デニムのショートパンツから伸びた白い太ももがまぶしかったが、意識的に視線を外す。
コップとペットボトルを並べると少女たちからお礼の声が飛ぶ。
「紅茶と麦茶しかないんだけど、それでもいい?」
彼の問いに二人は大丈夫だと答える。
天塩の手作りサンドイッチを口に入れて咀嚼するが、なかなか美味しい。
「どう?」
不安そうに問いかけてくる銀髪の美少女に、飲み込んでから言った。
「美味しいよ、これ。天塩、料理できるんだなぁ」
感嘆がこもった言葉を聞いた彼女は、白い頬を朱に染めて恥ずかしそうにうつむく。
「そんな……サンドイッチなんて、大して難しくないよ」
もじもじとしながら謙遜する。
「そうなの? でもこれは美味しいけどなあ」
フォローの仕方が分からなかった陸斗は、美味しい美味しいとサンドイッチを貪っていく。
彼につられるようにして少女たちも手を伸ばす。
「これは美味しいわよ、天塩ちゃん」
栃尾も称賛したが、こちらの意見は天塩は「ありがとう」と応じただけだ。
分かりやすいこの落差を、サンドイッチに気を取られていた陸斗は見落とす。
ただ、天塩はとてもうれしそうに彼が食べているところを見ていた。
女子たちは少し残しているのに気づいた陸斗は、聞いてみる。
「残すならもらってもいい?」
「どうぞ」
二人の許可をもらった陸斗は全部たいらげてしまう。
「そんなに美味しかったの?」
天塩が喜びを殺した表情で聞くと、彼は力強く肯定する。
「うん。美味しかった」
具体的な感想は言えなかったが、かえって説得力があった。
「よ、よかった」
天塩は胸に手を当てて、ホッと息を吐く。
あどけなさが残っている割にけっこう豊かだということに陸斗は気づいたが、気づかないふりをする。
「容器、洗おうか」
と彼が言えば天塩が慌てて言う。
「いいよ、これ使い捨て用の安物なんだから。ボク、持って帰って捨てるよ」
これには陸斗も苦笑する。
「そんな遠慮せずに捨ててくれよ。……燃えるゴミだよな?」
確認してみるとプラスチックに分類されると表記されていたため、プラスチック用のゴミ袋の中に入れた。
1914
食後のひと時となったところで、陸斗はふと問いかける。
「ところでいつから俺がプロだって気づいていたんだ?」
「ベルーアの時」
天塩は真顔で即答し、栃尾が苦笑しながらうなずいた。
やはりあの時かと彼は苦く思いながら振り返る。
ただまあ、この二人にであれば別にばれてもいいという気持ちもあるため複雑だった。
「でもさ、正直、天塩も相当じゃないか? プロだったとしてもおかしくないくらい」
「そうね。私もそう思うわ」
陸斗の意見に、栃尾は賛同してくれる。
天塩は少し考え込む素振りを見せてから、彼の方を見た。
「プロの話、聞いてみたい」
「あ、私も」
彼女はクールな表情だったが、食いついてきた栃尾は目を輝かす。
困ったのは陸斗である。
プロの話をするのはやぶさかではないものの、内容は慎重に選ばなければならない。
(国内戦だけでいいかな。あと、優勝したとか言わない方向で)
彼はあいまいにうなずきつつ、必死に頭を回転させる。
彼のような年齢で海外のグレート戦やタイトル戦に出場しているのは、ミノダトオルだけだ。
国内戦で優勝しているのも同様である。
この点を考慮しておかないと、一瞬でプレイヤーネームがばれてしまう。
さすがにそれは避けたかった。
(いつの日か言えたらいいんだけど、今はちょっと……)
後ろめたさのようなものを抱えたまま、彼はいくつかの話をする。
栃尾は無言で相槌を打ち、天塩はサファイアのような瞳に関心の色を宿して口を開く。
「プロってそういう感じなんだね。お金を稼ぐだけなら今のままでも十分だってボクは思っていたけど、ちょっと真剣に考えてみようかなあ」
彼女があまり興味がなかったツアープロへの見方を変えたのは、陸斗にはうれしい。
「天塩がプロになったら、対戦する機会が増えるかもな」
はげますつもりで言ったのだが、彼女の表情はくもってしまった。
「うーん……でもボク、まだ中学生だから、親の許可がないと無理なんだよね。あんまりうるさくない親だけど、どうかなぁ?」
その独り言のような声を聞いた彼と栃尾は視線をかわす。
保護者の許可という問題は、未成年である彼らにはどうすることもできない。
「と言うか、天塩ちゃん、まだ中学生だったのね」
栃尾の驚きがこもったつぶやきは、陸斗も理解できる。
あどけなさは節々から感じていたものの、容姿とゲームの実力で幻惑されてしまうのだ。
「うん、今は三年生だよ。義務教育って面倒だよね」
仕方なさそうな表情で天塩は肩をすくめる。
義務でなければ通っていなかった可能性が高そうな言い方だった。
「俺たちのひとつ下か」
「あ、陸斗たちって高一なんだ?」
彼女の言葉を聞いた陸斗は、まだお互いの年齢も知らなかったのだと気づく。
一年以上の付き合いになり、ある程度考え方や性格を把握したはずなのに、奇妙なものだ。
これがオンライン上の人間関係というやつだろうか。
「ねえ、二人の高校ってどんなところ?」
天塩の問いに陸斗は思わず、栃尾の端正な顔を見る。
彼にはどう説明したらいいのか、難しすぎるものだった。
栃尾はと言うと、少し考えたのち真剣な表情を浮かべて言う。
「入ってまだ二か月くらいだから、よく分からない部分もあるけど、特に変わったところはないわね。たぶん、期待して入学するとがっかりするかも」
「ふうん? そう言えば、VR特待生制度もないんだっけ」
天塩はつまらなそうな顔になる。
知り合い二人がそろって通うことを選んだくらいだから、何か特長でもあるのではないかと考えていたらしい。
彼女の視線が陸斗に移り、彼は栃尾の意見に賛成する。
「俺は特待生制度を使えなかったんだよ。プレイヤーネーム制度を使っているからね」
VR特待生になるためには、相応の実績を開示しなければならない。
ミノダトオルだと明かせば一発で審査は通っただろうが、それは避けたかったのだ。
「あ、そうか。プロ選手がプレイヤーネームを使って素性を隠して、VR特待生制度も使うのは禁止されているんだっけ?」
天塩は合点がいったと手を叩く。
「ああ。そもそも将来のプロ候補を集めるために、作られた制度らしいからね」
と陸斗は答える。
ただ単に制度が制定された時、「現役高校生なのにプロ」という人間が出るのは想定されていなかっただけなのではないかと思うのだが、それは黙っておく。
「将来プロになれそうな有望な人を集めるための制度を、すでにプロになっている人が使うのはちょっと、という理由もあるのかもしれないわね」
栃尾が言うと、彼は大いに納得した。
「そりゃそうだね。枠には上限があるし、俺がひと枠使っちゃうのはたしかによくないね。素性を明かしているならまだしも、匿名だとね」
だから彼の主要スポンサーである聖寿寺も、無理にすすめなかったのかもしれない。
「そっかぁ……」
理解の光を浮かべつつ、何かを考え出した天塩に陸斗が声をかける。
「天塩なら使えるかもな。ちょっと強すぎる気はするけど」
まだ中学生の少女に過ぎないなど、彼女の素顔を知らなければなかなか信じられないことだ。
「えっ? ボクはいいよ。だって二人が通っているところにはないんでしょ? 使う必要がないじゃん」
天塩は目を丸くして即答する。
ここまで言われて陸斗はようやく、彼女が自分と同じ高校に通うことを視野に入れていることに気づく。
だからこそ、彼は次の一言を放った。
「うちの学校は公立だから、天塩は通えないんじゃないか?」
「七尾千早が最寄り駅なら、県が違うものね」
栃尾がうなずき、天塩が「あっ」と声をあげる。
学区制度はずいぶんと前に廃止されたため、同県内であればどこでも自由に受験ができるが、県外だとそうはいかない。
「そうなんだ」
しょんぼりと肩を落としてしまった天塩を、栃尾が気の毒そうな目を向ける。
「私立高校なら寮もあるし、制限もゆるかったはずだけどね」
こればかりはどうしようもないのだ。




