59話「アルテマオンライン・イベント」
キャンプが終わった後、ささやかな変化があった。
栃尾安芸子は陸斗を見かけると話しかけてくるようになったのである。
これはちょっとした騒ぎになった。
「おい、どういうことだよ?」
同じクラスの男子たちからは問い詰められたが、陸斗には答えられない。
学校の人間には知られたくないという彼女との約束を守らなければならなかった。
「さ、さあ。たぶん、知り合いになったからじゃないか?」
苦しまぎれにもほどがある言い訳だったが、男子たちは信じる。
栃尾は有名であるがゆえに気さくな性格も知られていたし、陸斗が彼女にとって特別だと認めたくはないという心理も強く働いたのだろう。
波乱らしい波乱と言えばそれくらいで、月日は流れて陸斗がアルテマオンラインの仕事をする時がやってきた。
アルテマオンラインの第一回イベントは午前七時から行われる。
陸斗はそれに備えて前日には運営会社が手配してくれたホテルに泊まり、六時に起床して三十分ごろエレベーターで三階まで移動し、食堂に行く。
最初は「最終日に条件を満たしたプレイヤーとだけ戦う」と説明されていたはずだが、予定は変更されて一日限定イベントとなったのだ。
そのせいで彼らは早朝から待機しなければならなくなったのである。
別に彼らの出番がすぐに来るわけではないが、プレイヤーたちがいつ出現条件を満たすか分からない以上、最初から待機しているのがプロ意識というものだろう。
彼はそう思っていたし、エトウミナ、岩井もすでに起きて食堂の簡素な椅子に座っている。
「おはよう。よく眠れたかい?」
岩井がコーヒーカップを片手に、早朝にふさわしいさわやかな笑顔を見せた。
「おはようございます。お二人とも早いですね」
陸斗は返事をしながら二人から少し離れた席に腰かける。
四人掛けのテーブルが三つ並んでいるだけの小さな食堂だし、先に来ていた二人も離れて座っているのだから何もおかしくはない。
「おや、ミノダくんにまで距離を取られるとは少し悲しいな」
ただ、岩井の方はそうは思わなかったらしく、悲しそうに肩をすくめる。
「は、はあ」
年長者に言われてしまうと気まずくなってしまうが、陸斗は距離を詰めようとはしなかった。
よく知らない相手と一緒にご飯を食べるというのは、あまり得意ではない。
小林たちとは同じクラスのよしみだったからできたことだ。
「あら、年少者をいじめるなんて、感心できませんね」
ミナが彼をかばうような発言をする。
「ははは、手厳しい」
岩井は笑って引き下がった。
彼らの間の空気にトゲトゲしいものはなく、なごやかである。
おかげで陸斗も居心地の悪い思いをせずにすんだ。
ほどなくして食堂の人がトーストにハムエッグ、牛乳、コーンスープを黒いトレーに乗せて持ってきてくれる。
牛乳以外は湯気が立っているところがうれしい。
「コーヒー、紅茶もあります。セルフサービスでどうぞ」
中年のおばさんはそう言って引っ込む。
陸斗が黙って食べている間、岩井とミナは近況報告をしあっている。
「今のままなら、何とかダービーに潜り込めそうです。今度こそグループステージを通過したいわ」
彼女の意気込みは彼が聞いても気持ちいい。
「私もそろそろタイトルが欲しいな。いつまでも『日本人選手はカンバラだけ』と言われたくない。カンバラ選手にも申し訳ないしな」
岩井も呼応するかのように自らの心情を明かす。
カンバラと言えば「世界三大伝説」と謳われるあのカンバラダイキのことだろう、と陸斗は思う。
日本のゲーマーなら知らない方がおかしいと言われるほどの人物であり、彼もまた憧れている一人だ。
「本当ですよね。あんたたちだってすごい人はひと握りでしょって言いたくなっちゃいます」
ミナが口の前で両手を組み合わせ、いら立ちを込めて答える。
長らく日本はWeSAツアーの後進国と見なされていて、実際苦戦の連続だった。
それを覆し、日本人初の六大タイトルを獲得した人物こそがカンバラダイキである。
「それにはモーガンとマテウスを何とかしなきゃ……」
陸斗はぽつりとつぶやく。
現在世界の二強とか双璧と言われるドイツのマテウス、アメリカのモーガンが目下のところ最大の難関だろう。
世界の頂点に立った証である「グランドチャンピオンシップ」の優勝は、ここ数年この二人に独占されてしまっている。
「そうだな。あの二人に勝たないとはじまらん」
岩井が陸斗に賛同した。
「それに今はアンバーが出てきましたね」
ミナが第三の存在としてアメリカ人少女を挙げる。
「モーガンの姪で、ずっとモーガンに鍛えられ育てられていたそうだな。英才教育ってやつか」
岩井がうなった。
すい星のごとく現れたアンバーは、今WeSAツアーの世界でトップクラスの話題を集めている。
ロペス記念での結果はまぐれではないかという意地の悪い意見も出たが、その後のグレート十二でモーガンに次いで二位に入り、実力を改めて証明したのだった。
これまで若手のホープと言えばイタリアのヴィーゴ・ヴァザーリと言われていたのが、完全に食われた形である。
「ほんと、あの子はあの強さでどうして今まで無名だったのかしら?」
ミナが多くの人々が疑問に思っていることを言葉に出す。
「何か過保護だったらしいですよ」
陸斗が何気なく言うと、二人の視線が彼に集中する。
「どうして君は知っているんだい?」
「どこで誰から仕入れたの?」
決して問い詰められているわけではなく、興味津々といった態だ。
それでも彼が自分のうかつさに気付くのには十分である。
まさか二人きりで仲良くゲームしたりしている最中、本人から直接聞いたとは言えない。
よくよく考えてみれば言っても別にいいような気がしたものの、何となく今この空気で言うのはためらわれてしまった。
何故だか分からないが、もう一人の自分が警告を発しているため、それに従うことにしたのである。
「どこかで見た覚えが……違っていたらごめんなさい」
「ふうん」
ミナは明らかに納得していない表情で、じっと陸斗を見つめた。
彼はドキドキしながら素知らぬ顔を決め込み、朝食をたいらげる。
世界戦で鍛えられたせいか、彼女はさぐりきれなかったらしくやがてあきらめた。
「てっきりアンバーとデキたのかと思ったわよ」
「ぶほっ?」
不意打ちでそのようなことを言われたものだから、陸斗は飲みかけていた牛乳を噴射してしまう。
「あー、汚いわね」
「いや、今のはエトウ君がよくないだろう」
岩井がたしなめてもミナは悪びれなかった。
「でも、本当にそうなのかって思ったんですもの」
「事実であってもそうでなくとも、プライベートにあまり立ち入るのはよくないよ。ゴシップ誌じゃあるまいし」
子どもっぽく口をとがらせた彼女に、岩井がゆっくりと諭す。
「はーい」
ゴシップ誌という単語を聞いた彼女の表情が一瞬ゆがみ、己の非を認めた。
ああいうのと一緒にされては堪らないと言わんばかりに。
「プロe選手保護制度」は彼女たちを守ってくれているが、批判的な意見がないわけではない。
「プロ選手は公的存在なのだ。ある程度は公開するべきではないか」
「他のプロは情報公開しているのに、どうしてeスポーツだけ保護されるのか」
という声は多かった。
だからお前たちも公開しろという論調に賛同できないのは、ミナも陸斗も岩井もである。
微妙な空気になったところで陸斗が口を開く。
「僕は彼女いませんよ」
きっぱりと否定しておいた方がアンバーのためにもなると彼は信じていた。
「へえ、そうなんだ。eスポーツのプロってモテそうだけどね。特にミノダトオルは日本二強じゃない?」
ミナがやや意外そうな顔をする。
「身近な人で知っているのは親くらいですからね」
陸斗は苦笑で応えた。
ミノダトオルが彼と結ぶつけられる人はほとんどいない以上、当然のことである。
グラナータこと栃尾安芸子がファンだというくらいなのだから、ミノダトオルは本人が知らないだけで人気があるのかもしれないが。
「何かドライね。女の子にモテたい! というのはないの?」
「いやー、モテたところで、どうしたらいいのか分かりませんから」
食いついてくるミナに対して、陸斗は困った微笑をする。
年の近い少女たちから黄色い声援を浴びるという光景が、どうしても想像できなかった。
女子との接点が皆無のモテない男の悲しさである。
「ふうん?」
ミナは獲物を見つけた猫のように目を輝かせた。
「何ならお姉さんがオンナを教えてあげよっか?」
「ぶほっ」
陸斗は再び牛乳を噴射するハメになった。
「あら、照れちゃってかわいい」
彼女は彼の背中をさすりながらからかう。
「エトウくん、未成年を相手にいったい何を言っているんだね」
見かねたように岩井が制止する。
「私だってまだ二十歳なんですけど」
ミナは若干不満そうに言い返す。
年の差で言えばまだ三つか四つくらいしか変わらないと主張したそうな彼女に、岩井は額に手を当てた。
「それでも大人と子どもには違いない」
我慢強く言う岩井に分の悪さを感じ取ったのか、彼女はここで引き下がる。
(た、助かった)
命拾いしたと言えば大げさなようだが、陸斗は似たような心境だった。
何となく沈黙が訪れた時、食堂に新しい人物がやってくる。
スーツを隙なく着こなした男性はゲーム会社の人間で、彼らがそろっているのを見てホッとした。
「皆さん、おそろいでしたか。さすがにはじまってすぐに出番とはならないでしょうが、それでも七時半には集まっていただきたいのですが」
「承知しております」
岩井が応じ、ミナと陸斗もうなずいたため、会社の人間は安心して出ていく。
彼の態度から察するに先ほどまでの会話は聞かれていなかったのだろう。
まさかこの国を代表する立場にあるトップ選手たちが、子どもじみた恋愛話をやっているとは夢にも思うまい。
ゲーム会社の人間と入れ替わるようにして、彼らのマネージャーがやや焦った表情でやってくる。
彼らも決して遅くはないのだが、選手より遅いのは失態と見なされがちだ。
三者三様に契約選手たちに詫びる。
「珍しいよね、薫さんが俺より遅いなんて」
「ごめんなさい」
陸斗は嫌味を言ったわけではなく、心底意外に感じただけだ。
それもで薫は穴があったら入りたいと目を伏せている。
彼らがいなかったおかげで色々と話せたし、彼らがいればミナにからかわれなかったのも事実だろう。
どちらがよかったのか、陸斗には判断が難しかった。
彼らは七時には待機場所に向かい、大型のモニター越しにイベントを見守る。
今回のイベントは「大規模防衛」で、敵の大軍の侵攻を食い止めるのが目的だ。
一定の時間が経過し、なおかつ敵の撃破数が規定量に達すると大規模侵攻を指揮するボス、つまり陸斗たち三人が操縦するユニットが出現する。
彼ら三人を撃破すればクリアだが、午後の七時までに全てのボスを倒せなかった場合は敗北になってしまう。
「わざと勝たせろとは言いませんが、プレイヤーたちが頑張れば勝てる程度の強さでお願いしますよ」
ゲーム会社の人間が改めて彼らにくぎを刺す。
「そうだね。トッププレイヤーがいるパーティーの波状攻撃に負ける、というくらいが無難だろうか。強すぎては論外だが、手応えがなさすぎて失望されても運営に申し訳ないからね」
岩井の言葉に若い二人が同意する。
「トッププレイヤーの動きを確認しておきたいのですが」
ミナが希望を出すと、運営の人間が説明をはじめた。
「現在トップクラスの実力を持ったプレイヤーと思われるのはクリ―ムチーズ、レインボージャム、スカイソルト、ストライプクッキー、ミネストローネの五名です」
「……見事に食べ物関係ばかりですね」
陸斗が堪りかねて口を挟んでしまい、ミナと岩井の二人が笑みをかみ殺す。
運営の人間はそれらとは対象にポーカーフェイスを貫いてうなずいた。
「ええ。彼らはそれぞれジョブもスキル構成も重なっていませんから、誰が最も強いのか一概には断定できません。ケースバイケースでしょう」
感情を殺して説明に徹する姿を見て、陸斗は「これもプロの姿勢だ」と感心する。
まじめなビジネスシーンなのにも関わらずどこかコミカルな印象なのは、トッププレイヤーたちのネーミングセンスがおよその原因であろう。
「五人のリアルタイムでのプレイをモニターで写してみましょう」
さすが運営側というべきか、指定したプレイヤーの状況をリアルタイムで流せるらしい。
クリームチーズは壁役、レインボージャムは後衛でスカイソルトは前衛のアタッカー、ストライプクッキーはアタッカー兼支援職、ミネストローネは回復と支援のようだ。
彼らのプレイを三人のプロは興味深く見ていたが、やがて陸斗はある疑問を抱く。
(スカイソルトってまさか天塩なのか?)
スカイソルトという名前のプレイヤーのスタイルは、アルジェントのものとどこか似ている。
スカイソルトも単純に日本語に直せば「天、塩」ではないか。
いくら何でも安直すぎるだろうと思わなくもないが、彼女の本名を知らなければ分かるはずもないことだ。
「天空の塩はあらすじにも出てくる、重要アイテムのひとつなんですよね?」
ミナの問いかけに運営の人間はうれしそうな顔で応じる。
「ええ。まさかプレイヤーの人が、アイテムにちなんだ名前をつけて下さるとは思いませんでした」
彼らはスカイソルトの名前の由来を、作中のアイテムだと解釈しているようだ。
(そっか、そっちの可能性もあるのか)
陸斗も納得する。
もしも天塩ならば楽しみが増えるというものだが。




