54話「キャンプ当日」
キャンプ当日の朝、陸斗が黒いリュックサックを背負って外に出てみると、抜けるような青空が広がっている。
燦々と地上を照りつける太陽の日差しはまぶしく、まだ五月だというのに暑かった。
せっかくの遠出なのだから、雨やくもりよりも晴れている方がずっとよい。
どこからともなく響く鳥の歌声に動かされるように、彼は目いっぱい新鮮な空気を肺に流し込む。
そうすると心まで新鮮なものへと変わっていく心地がするから不思議だ。
(沢村と一緒で大丈夫かなあ?)
と実のところ不安でいっぱいである。
女子二人はいい子みたいだから緊張はしても不安は小さいのだが、残り一人の男子が彼にとっては難題だった。
幸い寝る時はクラス別のため、沢村と離れて水谷や小林と合流できるのが救いである。
二人にしてみれば陸斗にそう思われ頼りにされても、ありがた迷惑かもしれないのだが。
五分前に点呼があるため、集合場所の七弦駅には十分前にはついておきたいところだ。
そのため二十分前にはついてしまう時間のバスを選ぶ。
このバスは五分前後遅れやすいことで地元民では有名だからである。
五分前につくものにすると高確率で点呼の時間に間に合わないだろう。
間に合う可能性だってなきにしもあらずだが、こういうところで賭けに出るのは真っ平ごめんだった。
三分遅れてやってきたバスに乗り込むと、同じ学校の制服を着た生徒の姿がちらほらとある。
いずれも見覚えのない顔ばかりだった。
彼は運転席側の後ろから二列目のグリーンの座席の窓側に腰を下ろす。
一人席はもちろん、二人席も他に空いていなかったのである。
時間的には通勤ラッシュのピークを過ぎたはずだが、それでも意外なほど乗客はいた。
(もっとも、うちの学校の人が俺を入れて十人もいるせいもあるか)
路線バスで座れる人数はせいぜい三十人くらいである。
そのうち三分の一を占めているとなると、混んでいる原因のひとつとして挙げてもよいだろう。
エラプルを起動させてメッセージを起動する。
アルジェントとグラナータには今夜ログインできそうにないことはすでに伝えてあった。
驚いたのは今日にかぎって二人ともログインは難しそうだと返してきたことである。
グラナータがログインしてこないというのはたまにあったが、アルジェントがログインしないというのは非常に珍しい。
(おそらくプライベートで何かあったんだろうな)
と陸斗は直感したものの、詮索しようとは思わなかった。
プライベートのことを聞かれて困るのはお互いさまである。
自分から打ち明けようとしないかぎり、素知らぬフリをしているのが望ましいだろう。
二人のことを考えている時がとても落ち着くというのは、本人にも不思議であった。
あるいは彼にとって最も気の置けない存在になっているのかもしれない。
バスがいつものペースで七弦駅に着いて彼が降りた時、同じ制服を着た集団が駅の北口の入り口から離れた位置で固まっている。
時計を確認してみれば十五分前だったが、それでも遅い方だったようだ。
遅刻してはいけない、万が一のことがあってはいけないと思う生徒が多かった結果、眼前の光景につながったのだろう。
ひとまず陸斗は同じクラスの仲間を探すが、遠くからではよく分からない。
仕方なく集団に近づいていき、見覚えのある男子生徒を発見する。
名前は知っているがほとんど話したことがない相手だ。
目が合ったので朝のあいさつだけ済ませておく。
十分前になると青いジャージを着た学年主任の男性教師が前方に立ち、口に手を当てて叫ぶ。
「それじゃ少し早いが、班に分かれていけ。まず一組が壁側に寄り、そこへ八組の生徒が一組に合流しろ」
一組と組むせいか、最初に移動対象となった八組の陸斗は人の群れをかいくぐって壁際へ向かう。
それから栃尾と沢村、佐野の三人を探さなければならない。
相手も自分を探しているからまだいいと思いながら、目を皿のようにして必死に感覚を働かせる。
「あ、いた! 富田君!」
という聞き覚えのある女子の声が左の方から聞こえたため、そちらに視線を向ければ栃尾、沢村、佐野の三人がすでにそろっていた。
沢村は苦虫を噛み潰したような顔をしているが、佐野はそれに気づかず彼に手招きをしている。
栃尾も手を挙げかけたが、佐野が先にやっているせいか途中で引っ込めてしまう。
「皆、早かったんだね」
陸斗が話しかけると佐野がはにかみながら応じる。
「思ったより早く着いちゃったから」
さらに栃尾も加わってきた。
「私もよ。道が混んだりしたらいけないと思って早めに出たら、意外とすいていたの」
最後に沢村がややぶっきらぼうに言う。
「俺の家、駅の近くだから」
「それだと通学が大変じゃない?」
佐野が興味を持ったかのように聞くと、沢村はにこやな笑顔で否定する。
「そうでもないよ。バスで一本だからね。部活の朝練の時がちょいと大変だけど」
「部活やっているのか」
陸斗が反応すると、長身の同級生は義務的な返事をする。
「ああ、バスケ部なんでね」
そこで話は途切れてしまう。
まだ知り合ったばかりなのだから話題がなくても無理はないと彼は思ったが、沢村はそうではなかったらしく栃尾と佐野の二人に話しかける。
話題は大体スポーツのこと、それから勉強のことだった。
VRゲームならばいざ知らず、現実が材料となれば陸斗が入るのは難しい。
沢村の計算通りなのかはともかくとして彼は一人ぽつんと時間が過ぎるのを待っていた。
それに気づいたらしい栃尾が彼にも話を振ってくる。
「富田君は? どんなスポーツが好きなの?」
「うーん、スポーツ全般はあんまり得意じゃなくて……」
陸斗は少し困りながら答えた。
VRゲームでのスポーツであれば、ツアー戦で優勝したこともあるのだが、現実の方はそう上手くはいかない。
体育の授業で戦力として計算されたことは一度もなかった。
「あ、そうなの。ごめんなさい」
栃尾は手を口に当てて謝罪する。
図らずも苦手なものを言わせてしまったと軽く悔いているようだ。
「まあ誰にでも得手不得手はあるよなあ」
理解を示しているかのような言葉とは裏腹に、沢村は侮蔑のこもった視線を向けてくる。
彼はスポーツが苦手な男を見下すようなタイプなのかもしれない。
陸斗は居心地が悪い思いをしながらも、素知らぬふりをした。
「そうね。私もスポーツはあまり得意じゃないし」
と栃尾が言い出す。
「えっ? そうなの?」
佐野が意外そうに聞くと、彼女ははにかみながらうなずく。
「ええ、実はね。スポーツ観戦やゲームで遊ぶのはいいのだけどね」
「そうなのかい? じゃあよかったら今度コツでも教えようか」
栃尾に対して沢村は身を乗り出して発言する。
彼女に近づける格好の口実が見つかったとばかりに、見えない尻尾を振っていた。
「せっかくだけど止めておくわ。私じゃ沢村君についていけないだろうし、沢村君も部活で忙しいでしょう?」
やんわりとした口調ながらはっきりと断られてしまい、沢村は肩を落とす。
「あ、ああ。じゃあ気が変わったら気軽に声をかけてくれよな」
それでもめげずに彼は栃尾に笑いかける。
いささか表情が引きつっているようにも見えた。
もしかしたら部活の関連の話題をしたことを後悔しているのかもしれない。
そのような沢村を佐野が気遣うように視線を送ったが、声はかけなかった。
何となく会話が途切れて彼らの間に沈黙が広がる。
「ようし、班分けできたな。じゃあ出発する。一組と八組から順番に駅のホームへ進め!」
そこへ学年主任の大きな指示が聞こえてきたため、彼らは進む方向に体の向きを変えて順番が来ると歩き出す。
駅の改札は陸斗を含めた全員が携帯端末を当てて通過する。
彼らが乗る特急「はばたき」は四番線に到着し、一時間ほど西に進んだところに赤石駅はあるのだ。
陸斗たちは青い座席に向かい合って座った。
進行方向側に栃尾と佐野が座り、その反対側に陸斗と沢村が腰を下ろす。
通路側が一組、窓側が八組の男女という構図になったのは偶然とは言い切れない。
「私、トランプを持ってきたよ」
と佐野がはにかみ笑いを浮かべつつ、黒いカバンからトランプケースを取り出す。
目的地に着くまでの時間つぶしは生徒たちに任せる方針であったため、気を利かせたのだろう。
陸斗も一応カードゲームを入れてきたのだが、果たして出番はあるのか。
「四人でやるなら何がいいかしら?」
栃尾が疑問を投げるとすぐに沢村が答える。
「オーソドックスにババ抜きとかでいいんじゃないか?」
「まずはババ抜きからね」
佐野が慣れた手つきでカードをシャッフルしはじめたのを見て、他の三人は自分の座席についている小さな白いテーブルを引っ張り出す。
サイズ的には飲み物とカード、後は携帯端末を置くのが限界だろうが、今はありがたかった。
佐野が順番に配っていき、陸斗は一枚ずつ確認していく。
「富田君は少しずつ確認していくんだね」
と話しかけてきた栃尾は、配り終わるまで触らずに待つタイプらしい。
沢村も彼女と同様で意味ありげな視線を彼に向けた。
配り終わった佐野も自分のカードをめくっていく。
「あ、カード置きはどうする?」
沢村が話しかけると、佐野が自分のテーブルにあるジョーカーが一枚だけ入ったケースを指し示す。
「ここに入れたらいいんじゃない?」
「そうだね、そうしよっか。ありがとう」
沢村はにこりと佐野に微笑みかける。
「どういたしまして」
返事をした彼女はどこか恥ずかしそうだった。
そんな空気を壊したのは栃尾である。
彼女がまず同じ数字の札を捨て、陸斗がそれに続き、残り両名も行動をはじめた。
最初のうちはスムーズにはじまり、やがて陸斗のところにジョーカーがくる。
それでも眉ひとつ動かさずに自然体をよそおえたのは、プロ選手として鍛えられているせいだろうか。
意外なことで意外なものが役に立ったなと感じながら、彼は沢村にカードを差し出す。
沢村は特に疑いもせずにジョーカーを引き、露骨に顔を歪ませる。
「沢村君、ジョーカーを引いたの?」
栃尾が聞くと佐野も「分かりやすいね」と言う。
言われたのが女子二人だったためか、沢村は真っ赤になりながらも言葉を発さずに我慢する。
そのまま勝負は沢村の負けで終わった。
「いやー、負けちゃったよ。皆、強いんだな」
彼は笑顔でそう言ったものの、どこかぎこちない。
だが、それを指摘するような愚か者はいなかった。
「沢村君はポーカーフェイスは苦手みたいね」
と佐野が言うと、彼は怒らずにうなずく。
「うーん、どうもそうみたいだなぁ。気付かなかったよ、ははは」
どこかわざとらしく笑う彼をよそに、栃尾はカードを集めてシャッフルしはじめる。
「もうひと勝負する? それとも違うゲームをする?」
「違うゲームでいいんじゃない?」
佐野が言ったのはあるいは沢村のためだろうか。
陸斗は直感的に思ったが、反対はしなかった。
特定の誰かに負けが集中するのは好ましくないというのが彼の考えだからである。
「沢村が得意なものでいいんじゃないかな」
陸斗が言うと、一瞬にも満たないわずかな時間、沢村が怒りの視線を彼に向けた。
しかし、それはすぐに消えたため、彼は気づかない。
「そうだな。大富豪はどうだろう?」
沢村は女子たちにいつもの爽やかな笑顔で提案する。
「うん、いいんじゃない?」
佐野が賛成し、栃尾も首を縦に振った。
陸斗も無言でうなずいたため、次のゲームは大富豪になる。
そして次は陸斗が負けた。
「おや、富田が負けるとは意外だな」
沢村はそう言ったが、その瞳には明確な侮蔑がこもっている。
「得意分野でも勝てないのか」と言いたいのは陸斗にも伝わってきた。
「そうかい? カードゲームは運が絡むものだろう?」
と言ったのは彼の本音だったが、沢村には強がりだと思えたらしい。
憐れむような視線を向けてくる。
「負け犬の遠吠え」と言わなかったのは、すぐ近くに女子たちがいるせいだろう。




