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50話「登校日」

 ゴールデンウィークが終わり、多くの人にとって悪夢のような平日がやってきた。

 陸斗はかつて多数派に所属していたが、今は少数派である。

 友達に会えるし早ければ運営からの回答が来るかもしれない。

 待つしかなかった時間がようやく動き出したような感覚であった。

 ささやかな変化でこれだけ心境も変わるとは彼自身も驚きである。


(今まで知らなかった自分の一面を見つけた感じだな)


 他の人からすれば大げさに感じそうなことを本気で思っていた。

 予鈴の五分前に教室に入ると、もう大半の面子がそろっている。

 偶然、水谷がドアの付近にいたのであいさつをした。


「おはよう」


「ああ、富田、おはよう。……何だか元気だね」


 水谷は目を丸くしてあいさつを返してくる。


「そうかな?」


 内心自分の心境を見抜かれたかとひやりとしつつ、陸斗はできるだけ不思議そうな表情を作ろうと努力した。

 水谷はしげしげと彼のことを見て小さくうなずく。


「うん、何となくだけどね。一緒にハンバーガーを食べた時よりちょっと明るい気がして」


 かなり勘が鋭い。

 陸斗は舌を巻いたものの、率直に認めてはいけない気持ちになった。

 冷静に考えれば適当な言い訳を作って肯定してもよいはずだが、この時の彼はそう思えなかったのである。


「そうなのかな? 俺はよく分からないけど」


「いいんだ、ほんの何となくだったから」


 彼が困ったような反応をすると、水谷は詫びるように右手を挙げて撤回した。

 本当にささやかな違いを感じただけだったらしい。

 ホッとしながら陸斗が席のフックにカバンをかければ、近くの男女からもう具合はいいのかと問いかけられる。


「うん、何とか。心配してくれてありがとう」


 何も知らないクラスメイトたちに申し訳なく思いながらも、笑顔で礼を言って椅子に座った。

 それから分からないことがあったら聞いてもいいかたずねてみる。

 隣の席の女子が笑顔で快諾してくれたため、少し気が楽になった。


(水谷たちに頼りっぱなしなのも何だか悪いしな)


 複数に頼れば一人あたりの負担も減るだろうと考えたのである。

 机の中に教科書とノートを移しながら彼は担任の教師がやって来るのを待っていた。

 やがて予鈴が鳴ると教室内の同級生たちの半数くらいが、慌てるように自分の席へと戻っていく。

 このクラスの担任教師は早めに来る日が多いためだ。

 案の定、今日も予鈴が鳴り終わるのとほぼ同時に前方のドアが開く。


「おお、席についているな」


 担任の茂沢は四十二歳の地味でだらしない印象を与える男性だ。

 声に覇気がなく、くたびれたグレーのスーツを毎日着ているのもひと役買っている。

 それでも横暴さとは無縁で物分かりがよいせいか、生徒たちからは親しみを持たれていた。

 茂沢は伝達事項を義務的に並べていった最後に、「ああ、そうだった」と言い出す。

 

「今月のキャンプだが、お前らと組むのは一組に決まったからそのつもりでな」


 担任の発言を聞いて教室内は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。


「ええーっ? 一組とっ?」


「栃尾がいるクラスだな」


「ラッキーッ!」


 単純に驚いているのは女子生徒が多く、美少女で有名な栃尾がいると世論でいるのは男子生徒ばかりだった。

 そしてその男子たちの様子に気づいた女子たちは白けた顔をしたり、ひややかなまなざしを向けている。

 そのような状況の中で唯一富田陸斗だけが例外であった。

 彼はそもそもキャンプのことさえ忘れていたし、どうして一組と組むのかも分かっていなかったのである。

 隣の席のセミロングヘアの女子生徒は彼の様子に気づき、そっと身を寄せて小声で話しかけてきた。


「富田君は他の男子みたいに騒がないのね。栃尾さんに興味ないの?」


「えっと」


 女子からはほのかにいい匂いがただよってきて彼の心臓がはねあがる。


「キャンプがあることを忘れていたから、話についていけないんだよね」


 プロの世界で鍛えられた精神力で何とか平常心を保ち、本当のことを明かす。


「あ、そうか。富田君はこの間休んでいたものね」


 名も知らない女子は彼が知らない理由について一人納得する。


(水谷たちも忘れていたんだな)


 陸斗は反射的に考えたが、ひとまず黙って女子の説明に耳をかたむけた。


「二つのクラスを組んでやるのが伝統みたいよ。他のクラスとも団結できるようにですって」


「ふうん?」


 果たして効果があるのか疑問に思ったものの、彼一人が口にしたところで何か変わるはずもない。

 彼の反応を見ていた女子はさらに口を動かす。


「その様子だと気づいていないと思うけど、キャンプの時は今の席の左右の男女でペアだから、富田君は私と組むのよ?」


「えっ」

 

 思わず陸斗はまじまじとその女子生徒の顔を見つめる。

 なかなか造形はよく黒い髪も日本人的な美しさがあるように思う。


「あの、そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど」


 数秒間もの間彼の視線を浴び続けていた彼女は、頬を朱色に染めてうつむきながらそっと言った。


「あ、ごめん」


 自分が無遠慮なことをしていたとようやく理解した陸斗は慌てて謝罪する。

 

「いいのよ、本当に何も知らなかったのね」


 女子は微笑んで許してくれた。

 彼の先ほどの行動も何も知らなかったがゆえだと解釈したようである。 


(そう言えばこの子の名前も知らないんだよな)


 陸斗はとても決まりが悪い事実をこのタイミングで思い出す。

 クラス全員の自己紹介の場に彼もいたのだが、どうにも出てこなかった。

 さすがに今になって聞きにくいし、何かいい手はないものかと自問する。


「お前ら、いい加減にしろ!」


 茂沢はたまりかねたのか、名簿帳で教卓をバシバシと叩きながら叫ぶ。

 それを二度繰り返すとようやく教室内は静けさを取り戻した。


「これから案内のしおりを配っていくから、各自それをしっかり読んで記憶しておくように」


 配られたのは水色の表紙に黒い文字で「一年・キャンプ合宿」と書いてあるしおりである。

 中央部分には木で造られてたと思しき小屋の写真が映っていた。

 

(えーっと場所は赤石か……)


 七弦駅から出ている特急に乗って行ける割と有名なところである。

 急な勾配などはないはずだから、現実での体力に不安がある陸斗でもおそらく耐えられるだろう。

 

(日程は今週の金曜日と土曜日で、一泊二日か……薫さんに言っておかないとな)


 日帰りだったら一言連絡すればすんだ話だが、一泊するとなるとまた違ってくる。

 薫にも彼女の都合があるからだ。

 

(言っても所詮は一泊二日か……)


 となるとそこまで大きな影響が出るとは思えない。

 七月に入ってからであれば困ったかもしれないが、今週末で幸いした。

 だからこそ茂沢も何も言ってこなかったのだろう。

 自分の中で結論を出してると、当の茂沢が彼を呼ぶ。


「あ、富田。お前はこの後ちょっと来い」


「え、はい」


 クラスメイトの好奇心や心配を含んだ視線を浴びつつ、陸斗は己が呼ばれた理由について思いを馳せながら立ちあがる。


(どれのことでなのか、さっぱり見当がつかないな)


 ロペス記念のことなのか、今後のスケジュールについてなのか、それとも授業やキャンプの話なのか。

 茂沢があごをしゃくってドアの向こうを示す。

 クラスメイトたちに聞かせたくないから人気がない廊下で、ということなのだろう。

 

(じゃあWeSAツアーのことか)


 まずはクラスメイトたちに上手くごまかしをしてくれた礼を言っておいた方がよいと思い、ドアを閉めると自分から口を開く。


「ロペス記念の時はどうもありがとうございました」


「おう。八位なのは惜しかったよなぁ。最後に競り勝ていれば五位くらいは狙えたような気がしたんだが、世界のレベルはそう甘くないってことか」


 頭を下げた陸斗に対して茂沢はドアに右手のひらを当て、笑みを作りながらも残念そうな言葉を放つ。

 これに驚いたのは彼の方である。


「え、先生、ご覧になっていたんですか?」


「おう。たぶん、校長や教頭も、他の先生がたも見ていたはずだぞ。俺にお前が負けたのが悔しいってメッセージを送ってきた人が何人もいたからな」


「えええ?」


 思いもしなかった衝撃的な内容を聞かされた陸斗は、大きな声を出しそうになってしまい、慌てて自分の口を両手で抑え込む。

 茂沢はそんな彼を、息子を見守る父親のような目で見る。


「俺らが勝手にやっていることだから、お前は何も気にするなよ」


「は、はい」

 

 陸斗はとっさに無理だと思ったものの、教師相手にはっきり言うわけにもいかない。

 ひとまずうなずいて本題に入ってもらいたかった。


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