43話「三人で夕食」
陸斗は小林に自分が休んでいた時に授業でやったことをエラプルで聞き、それを自分なりにやっていた。
ゴールデンウィーク明けに登校した際、答えと解説が書かれたノートを見せてくれるという。
何とかやり終えたところでブラックの丸椅子をきしませながら背伸びをした。
「あーっ」
間が抜けた声を出しているとノックとともに薫が部屋に入ってくる。
彼女はお盆に麦茶が入ったコップを乗せていた。
「陸斗君、お疲れさま。そろそろご飯よ」
「あ、薫さん、ありがとう」
彼女がこの家に来るのは別に珍しいことではない。
それゆえに陸斗は自然に礼を言ってコップを受けとる。
「今日の晩ご飯は母さんが作っているのかな?」
「ええ、久しぶりに陸斗君に作り立てを食べてもらえるって、はりきっていらっしゃったわ」
微笑ましそうなマネージャーの顔を見て、彼は気恥ずかしさを覚えた。
このあたり彼もまた年ごろの男子なのだろう。
彼はふと我に返り、時計を確認する。
現在の時刻は六時四十七分であった。
(今からご飯を食べてそれから移動するとなると……)
どう計算しても八時にログインするのは難しそうである。
久しぶりに母とゆっくり食事をとるのだから。
とりあえず彼は机の隅に置いていた携帯に手を伸ばし、アルジェントとグラナータに遅れそうだと連絡を入れておく。
(そうだな、九時くらいでいいかな)
さすがにそれ以上の時間にはならないだろう。
今日もネット上のゲーマー仲間と待ち合わせしたと知っている薫は、彼の携帯操作が終わったタイミングで声を発する。
「ご飯を食べたらあっちに移動するの?」
「うん、泊まろうかどうかは迷っているんだけどね」
彼女が相手ということで陸斗は素直に胸の内を吐露した。
今さら一回同じ屋根で寝たところで親子関係がどうかなったりするはずもないことくらい頭では理解しているのだが、それでも考えてしまうのが人情である。
「遠慮しなくていいんじゃない? 由水は陸斗君に遠慮されすぎだって申し訳なく思っているみたいよ」
「えっ? そうなんだ?」
彼は意外なことを聞いて目を丸くした。
「じゃあ、遠慮なく向こうに泊まろうかな。あさってから学校だから、明日はさすがにこっちで寝るけど」
「うん、それでいいんじゃない?」
薫はニコリと笑う。
お互いを想い合いながらも不器用で微妙にかみ合っていないという点で彼らは似た者親子だった。
その二人の間に入って調整するのもまた彼女の役目なのだろう。
それを苦労だとは思わないほど二人とも好ましい人柄である。
「そろそろ行こうか?」
薫は赤いバンドの腕時計をちらりと見て言う。
「うん」
陸斗はコップを左手に持ち、彼女の背中に続いて階段を下りる。
二人が仲良くキッチンに入れば、由水が三人分の食器を並べたところだった。
「さあ、一緒に食べましょう。薫さんも」
「ごちそうになります」
薫が母子と一緒に食事をするのは珍しかったが、陸斗は空気を読んで黙って席につく。
「薫さんはほんと大したものよね」
由水は笑顔でほめる。
「自慢のマネージャーです」
その息子は内心面白がり、表面上はすました顔で称賛した。
「やっぱり? しかもまだ若くてこれだけきれいとなると陸斗のお嫁さん候補になるかしら」
母親はさらに悪ノリをしはじめる。
「ふ、二人していきなり何ですか……?」
突然のことに薫はすっかりうろたえていた。
事前に打ち合わせなど一切していないとは思えないほど、見事な連携プレーを前に精神面で圧倒されてしまったのである。
このあたりはさすが親子と言うべきなのだが、被害を受けた身が感心するはずもない。
たっぷり十秒以上使ってようやくからかわれていることに気づいた彼女は、頬を赤く染めながらも陸斗の方をじろりとにらむ。
「後で覚えていなさいよ、陸斗君」
「もう忘れた。今すぐ忘れた」
おっかなそうに彼が肩をすくめて早口で言うと、軽やかな笑い声が生まれた。
由水は二人のやりとりに目じりに涙を浮かべている。
「ほんと二人は仲がいいよね。見ていてなごんでしまうわ」
陸斗はどこかうれしそうに首肯したが、薫は恥ずかしそうに目を伏せた。
「これはお見苦しいところをお目にかけて申し訳ありません」
「謝らなくてもいいのよ。この子によくしてくれて、本当にありがたいわ」
由水は笑って許す。
母としての態度を見て彼女はもう一回、今度は無言で頭を下げる。
その後の話は陸斗関連が中心だった。
主に話すのは薫であり、母と息子はそれに耳をかたむける。
前者はともかく後者にはかなりの忍耐力が要求された。
「ロペス記念で二年連続ベストエイト入りはすごいんですよ。他のスポーツで言うと、オリンピックや世界選手権で二大会連続入賞したのと同じですからね」
「そうね。そう言われると、我が息子ながらとんでもないことをやっているんだと思うわ」
女性たちに称賛される本人は恥ずかしさをこらえ、白米をそしゃくする。
(まだ上に七人もいるんだよなぁ……)
漠然とそう考えたのは謙遜や客観視ばかりではなく、現実逃避という一面もあった。
似たような話が何度か繰り返されているように思えるのは、果たして彼の気のせいなのだろうか。
彼にとってうれしく楽しくも恥ずかしい時間はやがて終わりを迎える。
キッチンの壁にかかっている時計が八時を回ったことに由水は気づき、手を軽く叩いた。
「そろそろお開きにしましょうか。今日もこれから練習するんでしょ?」
「うん」
陸斗はもう少しくらいならば大丈夫だと言いかけたが、自分の部屋で薫に言われたことを思い出して飲み込む。
「友達と一緒にプレイすればトレーニングになるんだから、ある意味ラッキーだよ」
代わりに軽く言って笑って見せる。
もちろんそれだけでは強豪に勝てるだけの練習になるかは微妙だ。
しかし、ここであえて言う必要はない。
母には友達と過ごす時間とプロゲーマーとしてやっていくために必要な時間の両方を、きちんと確保していると伝えることが大事だった。
「そっか。じゃあいいわ」
彼の発言を聞いて安心したように微笑む母を見て、正解だったと思う。
薫のにこやかな表情も裏づけているようだった。
「じゃあ、私は陸斗君を送っていきますね」
彼女が声に出したのはこの一言である。
「よろしくね、薫さん」
「ありがとう、薫さん」
母子から同時に言われた彼女は思わず吹き出してしまう。
「はい、承知いたしました」
口元を手で隠しながら返事をすると、母と子は照れくさそうに視線をかわす。
そっくりですねという言葉は声に出さなくても二人に伝わったのだ。
陸斗はそそくさと食器を流し台へと持っていく。
焦っていてもこういうことは忘れずにやるあたりが、彼の美点である。
すでに持って行っていた薫は自分のショルダーバッグを左肩にかけて、彼の合流を待つ。
「それじゃ由水さん、失礼します」
「またね」
二人のあいさつにうなずきを返して由水は彼らを見送った。
車に乗り込むと薫は助手席に座った陸斗に話しかける。
「よかったわね、久しぶりに由水さんと一緒で」
「うん」
彼は素直な反応を見せた。
彼女にからかう意図があったのであれば反発したかもしれないが、そのような人物ではないと百も承知している。
そこで彼女の言葉は途切れたため、彼はエラプルの新着メッセージを確認しはじめた。
アルジェントとグラナータは了解したという返事が五十分前と三十分前に来ていて、さらに五分ほど前に二人で先に「ファイブ」をはじめるとメッセージが来ている。
「何とか八時半過ぎにはログインできそうだよ」
とメッセージをグループに送ると、次のチェックに移った。
小林と水谷からは特に何も来ていないが、ヴィーゴとアンバーからは来ている。
「今度の日本選手権には出場するつもりだからよろしく。かわいい子が多いカフェとか教えてくれるとうれしい」
イタリア人からはニュースになりそうな連絡といかにもらしい文面の両方が混ざっていた。
「ヴィーゴの奴、日本選手権に来るのか……」
日本選手権はグレート十二に位置付けられているWeSAツアーの中でも重要な大会のひとつである。
開催されるのが八月ということもあり、陸斗にとっても優先順位は高かった。
「あのナンパ男が?」
薫の表情が若干けわしくなる。
彼女にしてみればいかにも軽薄な女好きなヴィーゴは好ましくないのだろう。
「うん。優勝したい俺にしてみれば、強敵が一人増えちゃったな」
「たしかに日本選手権を優勝できれば、いろいろと楽になるわね。グランドチャンピオンシップにも出場できる可能性が少しは増えるでしょうし」
グレート十二だけあって獲得賞金もポイントも高めである。
上を目指すのであれば少しでもいい成績を残しておきたいところだ。
「そこまでは考えていないけどね」
彼女の言葉に陸斗は苦笑する。
彼にとって好条件な大会であるように、他の強豪選手にとってもいい条件の大会だった。
そのため毎年ひとケタ台の世界ランカーが何人も集結する。
そのせいで日本人選手は長いこと優勝できていなかった。
日本唯一のタイトル戦「桜ノ宮杯」も同様である。
続いてアンバーからのものを見てみると、そこで絶句してしまう。
「お誘いありがと。明日ならイケると思うけど、時差の問題があるかしら。ところであたしは八月の日本選手権におじさまと出場するつもりだけど、トオルはどうするの?」
正常な状態に回復するまで二十秒近く必要とした。
「どうかしたの?」
横にいてただならぬ雰囲気を察したのか、薫が気遣わしげに訊いてくる。
「アンバーとモーガンも日本選手権に出るってさ」
「えっ? モーガンってもう何年も出てなかったでしょ?」
理由を説明すると彼女はよほど驚いたのか、かん高くうわずった声を出した。
「うん……」
陸斗が記憶しているかぎりでは、もう五年以上モーガンは日本選手権には出場していない。
今年になってエントリーしたのはやはり姪のアンバーが原因なのだろうか。
「元々レベルの高い大会だったけど……今年は桜ノ宮杯に迫るかもしれないな」
大きく息を吐いた彼の表情と声色は単純なものではなかった。
驚き嘆いているのはたしかだが、それ以外の感情も混ざっていたのである。
(そういうところは男の子よね)
それを感じ取った薫は、そっと微笑む。




