40話「七弦駅前」
陸斗は十一時すぎにビルを出る。
上はあるメンズブランドの水色のシャツ、下は同じブランドの濃藍のパンツといういでたちで左手首に黒革の腕時計をつけていた。
自分で選んだのであれば大したものかもしれないが、薫の見立てである。
さらに自腹で購入したわけではなく、スポンサーが提供してくれたものだった。
高校のクラスメートと遊びに行くだけであるため、靴は革製の市販品にする。
「時計もそれなりのものにしたのに、靴だけ市販品なの……?」
薫には奇妙な顔をされてしまったのだが、陸斗にしてみれば友達と遊びに行くのに全身ブランド品で固めてどうするという気持ちが強い。
それに彼は自発的にブランド品をそろえたわけではなく、立場上スポンサー企業からの支給品を拒否できないし、使える機会があれば使うしかないとうだけであった。
「靴メーカーもスポンサーになってくれるように頑張らなきゃね」
という女性マネージャーの言葉にはうなずいて彼は出発したのである。
陽ざしはだいぶ強くなってきているが、直射日光さえ避ければまだそこまで暑くはない。
青色が目立つバス停の標識の前に立っていると、早くも半そでになっている人もちらほら見られるのだが。
五分ほどぼんやりしていると青と白のコントラストが特徴的な「七弦駅北口」行きの市営バスがやってくる。
バスは音をほとんど立てずなめらかに彼の目の前で停まった。
このバスに乗ると少し早く駅に着いてしまうが、皇帝バーガーがすぐに見つかるか分からないし、待たせるよりは早く着いた方がよいと判断して乗り込む。
車内には右前方の二人席に老夫婦が仲良く座っていて、それより二つ後ろに中年女性がいるだけである。
ゴールデンウィークも折り返しだというのに、意外なほど人が少なかった。
(それともみんな出かけているんだろうか?)
いつもバスを利用する層がこの地域にはいないというのはありそうである。
家族旅行とは無縁のまま育った陸斗には想像するしかできないことだ。
彼は最後部のグリーンの座席の左窓側に腰を下ろす。
何となく外の景色をながめていたい気分だったのである。
バスは彼の着席を待っていたとしか思えないタイミングで発車した。
バスに乗ってゆっくりとながめる町並みは何やら新鮮な印象を彼に与える。
薫が運転するクーペに乗っている時も大概は見ているはずなのに不思議であった。
(乗り物と視線の高さが違うってことなんだろうか?)
ヒマだったので彼は自分が受けた印象の違いについて分析してみる。
だが、もっともらしい答えは見つからなかった。
クラスメイトが聞けばあきれそうな方法での時間つぶしだが、本人にはまるで自覚がない。
十五分ほどバスからの景色を楽しんだ彼は目的地の七弦駅北口のバスおりばに足をつける。
乗降客があまりおらず道もすいていたせいか、予定よりも少し早い時間だった。
(えっと皇帝バーガーっていうのは……)
携帯で検索してきたとおり、緑色の背景に赤い文字で「エンペラーバーガー」と書かれた立て看板をさがす。
左手側にはJR七弦駅の入り口があり、それよりも手前側には牛丼チェーン店の看板が出ている。
右手側にはバスターミナルがあって何台かタクシーの姿も見られた。
携帯のマップ検索アプリを呼び出して確認してみると、皇帝バーガーは彼のいるところよりも数十メートルほど歩いたところにあるらしい。
携帯をしまってまっすぐにあると目当ての看板が視界に飛び込んでくる。
ホッとしたところでその近くに小林がヒマそうに立っていることに気づく。
彼は黒の長そでの洋服にジーパンという恰好だった。
男子高校生同士の集まり、それもハンバーガーチェーン店でなのだから何もおかしくはない。
(むしろ俺の方がズレているのか)
陸斗はこの時初めてその可能性に思い当たり、危機感を覚える。
もっとも今から服を着替えることなどできるはずもない。
何食わぬ顔をして合流するべきだったが、彼にとってそれもまた難しかった。
どういう言葉をかければよいのか、まずそれが分からない。
とりあえずエラプルを使って到着を知らせてみる。
小林は携帯端末の通知音に気づいて画面をチェックした。
それから周囲をきょろきょろ見回して陸斗を見つけて早歩きで寄ってくる。
「よお。しばらく」
右手を軽く挙げるだけのラフなあいさつだった。
「よお」
それにややとまどいながらも彼は同じものを返す。
小林は微笑とも苦笑ともつかぬ表情をして、自身の携帯画面を見せる。
「お前なんでエラプルで言ってきたんだよ。普通に声をかけろよ」
「いやー、何となく?」
他に説明できるはずがなく、彼はあいまいな笑みを浮かべた。
「何だそりゃ」
小林は笑ったもののそれ以上何も言わなかった。
「水谷はもうちょっとしたら来ると思うよ。あいつはいつも待ち合わせ時間にギリギリだからな」
「そうなんだ」
慣れた調子から二人の仲が色々とうかがえる。
「ところで具合は大丈夫なのか? 見た感じピンピンしてそうだが」
「あ、うん。もう大丈夫だにょ」
突然の質問に思わず噛んでしまったが、小林は気にしたそぶりを見せなかった。
(というか、俺病欠扱いになっているのか?)
実のところそのあたり学校側がどういう対処してくれたのか、まだ陸斗は知らない。
登校した際に担任に聞けばよいと思っていたのだ。
「そりゃ何よりだ。せっかくのゴールデンウィーク、寝込んで過ごすとか悲惨すぎるもんな」
カラカラと笑う級友に陸斗は心の底から賛成する。
せっかくやりたいことだけやっていればいいというのに、寝込んで何もできないのは最悪だ。
陸斗も自分から何か話を振ってみようと思ったものの、すぐには何も浮かんでこない。
とっさに口から出たのは次のようなものだった。
「ゴールデンウィークは何してたんだ? まだ終わってないのにこう訊くのも違う気がするけど」
「うん? 課題やりつつゲームだよ。ほら、例のアルテマオンライン」
「ああ」
もちろん彼はアルテマオンラインのことを覚えている。
「大体終わったから息抜きに外でも出ようと思ってな」
「おお」
小林のこの言葉に彼は感嘆まじりの相槌を打ったが、これは本心だ。
(外で遊ぶとか健康的だな)
彼にはなかなかできない発想である。
ゲーマーという人種の宿命みたいなものかもしれないが、こうして健康的な生活をしようとしている級友はとてもまぶしかった。
「何だよ、何か気持ち悪いぞ」
「いや、俺、休日はあんまり外に出ないから」
陸斗はそっと友達から目をそらす。
ツアー戦に出場するためには世界各地を飛び回ることもあるが、それ以外で積極的に外出しようとは思わない。
ゲームをやっていればそれで幸せなタイプなのである。
小林は彼の態度から何となく察したらしい。
両目に理解の光を宿しつつ小さくうなずいた。
「ああ……まあ、俺もそこまで立派なわけじゃないよ。親がうるさいからな。特に母親が」
「なるほど」
陸斗は自分の母親が高校生らしい生活を送ってほしいと願っていることを思い出す。
(よその親も似たようなところがあるのかもしれないな)
そう思えば理解はできそうな気がする。
「おっ、水谷が来た」
小林が不意に声を高めた。
彼の視線の先には駅の方から出てくる水谷の姿があった。
この季節に青いTシャツを着た彼は二人の存在を見とめると小走りでやってくる。
「おっとすまんすまん。でもギリギリセーフだよな?」
目の前で立ち止まって携帯端末を取り出して時間を確認した。
それにつられて陸斗も腕時計を見てみると、十一時二十九分である。
「たしかにギリギリセーフだな」
彼がそう言うと水谷は満足そうにニヤリと笑う。
小林は小さく息を吐いただけで何も言わなかった。
すでにあきらめの境地に達しているのかもしれない。
「さあ、ハンバーガーでも食おうぜ」
水谷がそう言ってあごをしゃくると小林が呆れた顔をする。
「お前なあ、来るのが一番遅かったくせに何を仕切っているんだよ」
「いいじゃねえか、こういうのは誰が言ってもよ」
水谷は少しも悪びれずスタスタ歩き出す。
小林は陸斗と目を合わせると無言で肩をすくめて、その後を追った。




